ピアス

〈殺伐感情戦線 第9回【穴】〉


 昼下がりの白い光が壁伝いに流れている。手探りで見つけた電気のスイッチを押すのをやめて、隣で不思議そうな顔をしている薔子しょうこの手を握る。

「あがって」

 薔子は小さく頷くと何も言わずにそろそろと部屋に入っていった。玄関から廊下をぬけて、すぐ目の前のリヴィングルーム。レースのカーテンが揺れて、時折、ことんことんと音がするのはカーテンの紐についている部品だろう。

「急に来て、なんて。どうしたの」

 薔子は薄く微笑みながら帽子を取って、汗の張り付いたあごの下を掌で扇いだ。すこし湿った指先まで白い手に、どき、としたのを隠すように、今日ほんと暑いね、と返しながらずっと付けたままにしているエアコンのせいで冷たい床を足の指でつかんで立つ。

「手、出して」

 薔子は扇ぐ手をとめて、私の方をじっと見ながら何も言わずに手を伸ばす。私は自分の手の中にあるその四角いものを握らせた。

「ピアッサー?」

「そう、最後にしてほしいこと考えてって薔子、言ってたでしょ。ピアス開けて」

 薔子はしばらくピアッサーを見つめて、顔を上げて私を見上げて、目を細めた。

「こんなことでいいの」

「こんなことがいいの」

 薔子は、じゃあその椅子に座ってて、と言ってから、手を洗いに洗面台に向かった。


 今までずっと一緒だった薔子。

 この部屋はもうほとんど薔子と私、ふたりの部屋。

 薔子は明日、東京に行ってしまう。夢を叶えるために。


 帰ってきた薔子は私の横に椅子を引き寄せて、ピアッサーを箱から出した。耳を消毒して、しるしを付けながら話す。

「それにしても莉音りおんがピアスなんてね」

 本当はピアス穴なんて要らない。イヤリングで今まで十分だったし、これからも本当はそうだ。でも、私は。

 私は、この痛みを覚えておきたい。


「東京に行ってもいつでも電話してね、莉音」

「東京に行ったってすぐ会えるわよ、3時間もあればすぐなんだから」

「たくさん勉強して、すぐに帰ってくるわ」

「莉音も、大学院頑張って」

 薔子は何も悪くない。ただ、私が僻んでいるだけ。私よりも大きな夢を持って。私よりも輝いて。私よりも頑張って。

 私より、夢を選んだ薔子を。

「うん、わかってる。またLINE、してね」

 だから私は、覚えておきたい。この会話を、この光を、この温度を、この匂いを、この感情を。

 この、穴の痛みと共に。

「いくわよ……まず右ね」

 すぅっと息を吸う音の次に、バチン、と衝撃が来る。

 痛い。

 すこしずつ痛い。

 うずくように痛い。


 でも、痛くない。


「大丈夫? ……ちょっと、莉音?泣いてるの?痛かった?」

 痛い。

 この痛みは、きっと、耳の痛みじゃない。

「……大丈夫だよ」

 薔子はどんどん先に行く。私を置いて。私をここに残して。

 私は、この薄暗い場所で、覚え続けている。

 薔子の、すべてを。




〈ピアス 了〉 

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