第4話 呪い

 ストレスを溜めれば、人は壊れてしまう。だから、人はストレス発散なるものをし、何とかしてストレスを解消するのだ。これは程度の差はあれど、大抵のことに共通する。

 要は、ガス抜きはすべきだ、ということだ。


「──おえっ」


 マサカズは口から吐瀉物を吐き散らし、胃に穴が開いたような痛みを覚え、悪寒と罪悪感とが同時に彼を襲い、更なる吐き気を催させる。

 虐殺の記憶がフラッシュバックし、頭の思考回路が焼き切れんばかりの熱さを感じた。


「マサカズ!? おい、どうした!?」


「マサカズさん!? 大丈夫ですか!?」


 狂って行った鏖殺を、正常な感覚で思い出す。ハッキリと、鮮明に、クリアに、自らが行った罪を、自分自身の記憶によって見せつけられる。


「が⋯⋯あ⋯⋯」


 ──気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 

「誰か、水を持ってきてくれ!」


 ナオトの声と、マサカズの事態を見た村人たちはすぐさま水を用意し、飲ませる。

 乱暴に水を飲まされたことで気管に水が入り込み、マサカズは咳き込むが、一旦は落ち着きを得たようだ。


「うげ⋯⋯がっ⋯⋯はあ、はあ⋯⋯」


「マサカズ、喋れるか? 立てるか?」


 四つん這いになり、マサカズはまたもや吐こうとする。だが、何もない胃から何を吐き出すというのか。


「っ⋯⋯あ、ああ。もう⋯⋯もう、大丈夫だ」


 フラッシュバックも、吐き気も、悪寒も、もう治まった。しかし、未だ罪悪感は残っている。

 

「⋯⋯一人に、してくれ」


 ナオトの顔に、ユナの顔に、村人たちの顔に、前回の顔が、死者としての顔が、重なる。だから、マサカズは彼らの顔を直視できなかった。


「あ、ああ⋯⋯」


 その狂気の残滓を感じ取ったのか、あるいは心配からか、ナオトはマサカズの願いを聞いて少し困惑した様子を見せるが、承諾する。

 マサカズは一人、人気のない場所に向かって、そこで腰を下ろす。


「──ああ、もう、どうすりゃいいんだ」


 どうすれば、エストの帰還まで耐えられるのか。

 あの化物がこの町に来るまでの猶予は、『死に戻り』時点から数十分。この間に冒険者組合まで行くことはできないし、そもそも、あの化物の部下らしき奴らがマサカズたちを殺しに来る。

 

「どうすれば、エストが戻ってくるまで⋯⋯」


 戻ってくる? 帰還するまで? 


「『死に戻り』はおそらく、俺が生存できる時点で戻る力だ。だが、エストが帰還するまで、俺は生きていられない。仮説が正しいとするなら⋯⋯その選択が、そもそも間違っている?」


 時間まで耐えきるという選択は、尽く失敗し、何度も死んだ。これが正解のルートだと思っていたが、そもそも、これが間違いだとしたら?


「逆だ。逆なんだ。待つではなく、行く、なら?」


 エストを待つのではない。エストの所へ行く方法だ。 


「走っても間に合わない。飛ぶことはできない。一瞬でエストの下に行くには⋯⋯」


 そんなこと、できるのか? いや、できるできないじゃない。やらなくちゃならない。


「──そうか。一瞬、だ。一瞬なら、心当たりがあるじゃないか!」


 マサカズは、エストがどのようにして冒険者組合へ行ったかを思い出す。


「転移魔法! それなら、一瞬で行って、一瞬で戻って来られる!」


 問題は、その転移魔法をマサカズ、ナオト、ユナの三人は使えないことだが、


「転移魔法を知っていた人が居る。ただ単に知識だけの可能性もあるが⋯⋯使える可能性もある」


 そうと決まればすぐに実行だ。

 マサカズはナオトとユナの二人と合流し、事情を説明もせず、付いてくるようにだけ言って、あの場所へと向かった。


 ◆◆◆


「──できない、ことはありませんが⋯⋯」


 村長は、エストの転移魔法を見て、「⋯⋯転移魔法ですか。あのお年で行使できるとは」と、まるで知っているかのように、使えたかのように振る舞った。

 マサカズは、村長なら転移魔法が使えるかもしれないことを思って、彼に聞いたのだ。


「できないことはない? とは、どういう意味ですか?」


 が、しかし、答えはあまり芳しくなかった。


「マサカズさんらは、魔法使いの適正年齢を知っていますか?」


 マサカズのイメージでは、魔法使いとは、それこそ村長のような老人のイメージだ。あるいは、エストのような人外の長寿な種族であるか。

 知識があり、高年齢故の冷静さのある人物が、一般的な魔法使いのイメージだ。


「俺のイメージだと、高齢ですが⋯⋯」


 しかし、村長は、その答えが聞きたくて問うてるようには思えなかった。


「いいえ、違います。魔法使いの適正年齢は、十代後半から二十代まで。それ以降は段々と衰えていくのです。現役は良くて四十代⋯⋯儂なんぞ、魔法使いとしては下も下というところです」


 この世界では、魔力とは一種の生命エネルギーだ。その生命エネルギーが最も盛んな時期は、十代後半から二十代。 

 魔力が強さに直接結びつく魔法において、その理屈は筋が通っている。


「そんな、ことが⋯⋯」


「しかし、同時に魔法使いには知識も必要。魔法への適正も必要。才能が九割で決まるとは、よく言ったものです」


 皮肉でも言うように、村長は魔法使いについて話した。


「ってことは⋯⋯村長さんは、転移魔法を使えるだけの魔力がない、ってことですか?」


 話はあまり聞かされていなかったが、今の一連の話を聞かされればマサカズの目的も理解できる。


「そうです」


 村長はユナの言葉に肯定の意を示した。


「できないことはないってことは⋯⋯逆に言えば、魔力以外の素質、つまり、行使能力はあるってことですよね?」


 そして、ナオトはそれに言葉を付け足す。これにもまた、村長は肯定した。


「人によって魔力の性質は異なります。ですが、魔力そのものは、万人に共通していて⋯⋯それを使えば、今の儂にも転移魔法が使えるということです」


 魔力は、魔法の行使と、体の成長でも増える。筋力と同じで、負荷を掛ければ掛けるほど強くなっていくのだ。

 だから、本職ほど魔力がなくても、マサカズたちの魔力量は、転移者ということもあり少なくない。


「つまり、村長さんに俺たちの魔力を流し込めば、転移魔法が」


「使える、ってことです」


「でも、ボクたちは魔力を流し込む方法なんて知りませんよ?」


 そもそも、魔力の概念さえまだ理解しきっていないのだ。魔力の操作なんて、できる気がしない。あるいは訓練すれば可能かも知れないが、その時間さえ今はない。


「いえ、それは儂の方でします。皆さんには悪いですが、魔力を吸い上げる方法です。できるだけリラックスして頂ければ、できます」


 ちなみに、相当な魔法使いでもなければ、無抵抗の相手からとはいえ魔力を吸い出すなんて芸当はできない。抵抗されても尚魔力を吸い出せる存在など殆ど居ないだろう。


「分かりました」


 村長の指示に従い、マサカズ、ナオト、ユナの三人は彼の背中に触れる。

 

「3、2、1──0」


 ゼロのタイミングで、三人は一気に力が──魔力が減る感覚を味わった。

 それと同時に、村長は魔法を唱える。


「〈転移陣テレポティングサークル〉!」


 四人の足元に白色に発光する魔法陣が展開された。そして、次の瞬間、視界が真っ白の光に包まれて──


 ◆◆◆



 ──気づいたとき、マサカズの視界を覗き込んだのは白髪の美少女だった。


「おっ、目覚めたか」


「ん、ああ。⋯⋯っと、エスト! 今すぐ村に転移してくれ!」


 倒れていた体を起き上がらせ、エストの肩を掴みマサカズは必死に訴える。


「え? いや、私は天才だけど、何も分からない状況で言われても理解できないんだけど」


 エストからしてみれば、いきなりマサカズ、ナオト、ユナ、村長が冒険者組合に気絶した状態で現れたようなものなのだ。


「オーケー。時間が押してるから単刀直入に言う。村に黒の教団が現れる」


 現れた、ではなく、現れる。過去形ではなく未来形であり、普通なら「どうして知っているのか」と聞くところだが、マサカズの加護を知っているエストはそれだけで事態を理解する。


「分かった。じゃあ、皆その場から動かないでね」


 エストは、四人でようやく発動できた転移魔法を一人で行使した。


 ◆◆◆


「ひっ⋯⋯」


 リン・エルモットという娘は、金髪金目という特に珍しくもない外見で、顔立ちもそこそこ程度の、イヨツ村の単なる村娘だった。

 家の農作業を手伝って、そろそろ結婚して、そうして老いていくだけの、平凡な人生を全うするはずだった娘であった、はずだった。


「この村にかなり優れた白魔法の使い手が居るはずですが、知っていますか?」


 男は、腰を抜かして地面に座り込んでいるリンに、そう質問する。声はとても優しくて、リンを安心させる。しかし、男の威圧感がその安堵を掻き消し、むしろそれを得体のしれない恐怖へと変換した。

 黒髪で、高身長の、黒いスーツを着た男。だが彼は、人でない何かである気がする。


「⋯⋯答えない、ですか」


「──っ」


 心当たりなら、ある。というか、この村には魔法使いなんて一人しかいない。それは、村長だ。しかし、村長はもう『優れた魔法使い』と言うにはあまりにも年を取りすぎているはずだ。

 そこで、リンは気づく。


「⋯⋯知ってます」


 ついさっき、冒険者の四人がこの村に訪れた。なんでも、近くのゴブリンの集団を殲滅したらしいのだ。

 リンも、その四人を一目見た。顔立ちはこのあたりでは見かけない黒髪の、リンと同年代くらいの少年少女と、貴族令嬢みたいな白髪の少女。

 先の三人の少年少女は、剣や弓を持っていたが、白髪の少女は魔法杖を持っていた。


「ほう。その名前は?」


「⋯⋯分かりません。ですが、白髪の女性でした」


「白髪の、女性⋯⋯ですか」


 男は何か考えるような仕草を取っていたが、すぐさま男はリンの方を向き直る。


「分かりました。ありがとうございます⋯⋯なので、あなたは楽に終わらせてあげます」


 殺意も、殺気もない。男は、本当に慈悲のつもりでリンを殺そうとしているのだ。それを直感的に理解したリンの恐怖は計り知れない。

 恐怖により涙が流れて、穿いている下着がじんわりと心地の悪い温かさで溢れる。


「──」


 男は、リンの頭を卵のように叩き割ろうと、手刀を掲げ、それが音を置き去りにしたスピードで迫ってくる──。

 走馬灯が流れて、酷くゆっくりとなった世界で、リンは手刀を眺める。抵抗もできず、このまま即死する。


「──全く、私はいつから人助けなんてするようになったんだろうね」


 ──が、その『死』は、リンの命を奪う直残で離散した。


「⋯⋯」


「へえ。拳が砕け散ったのに、声一つ上げないか。流石はアイツの手下だよ」


 リンの後ろから、透き通るような美声が聞こえる。この世で、この声に振り向かない人は居ないだろう。それが例え女であっても。


「白髪の女性。白魔法の使い手⋯⋯考えたくはありませんでしたが、現実を見せつけられると納得するしかありませんね」


 聞き覚えのある特徴に、明らかに超人的な白魔法の行使。

 数時間前、森の中で起きた謎の重力魔法によるゴブリンの大虐殺を確認した男は、それについて調査しているとき、イヨツ村で強者の気配を感じ、村に向かったのだが、エンカウントしたのは、


「──白の魔女、エスト」


 男の拳があった辺りに黒色の靄がかかり、それが晴れると消し飛んだはずの拳が元に戻っていた。回復魔法などとは違う、異質な力にエストは眉を顰める。


「キミは⋯⋯黒の教団の幹部、ってところかな」


「ええ。私は黒の教団の幹部、ケテルです。──では、さようなら」


 ケテルはエストに背を向けて、地面を踏み、砕きながら走る。そのスピードは生物が出せる限界だと言っていいくらい速く、普通なら、気づく頃には追いつくことができないくらい離れているだろう。


「彼我の力の差を瞬時に理解し、逃げる判断も早い。なんでキミみたいな高位で、かつプライドの高い悪魔があんな奴に従っているのかは知らないけど⋯⋯まあ、いいか」


 ──ケテルの体は、その場から一歩も動いていなかった。なぜならば、その瞬間、世界の時は止まったからである。どれだけ速くとも、停止からは逃れられない。


「さあ、死ね」


 エストがケテルに歩いて近づき、そして彼の頭を触って、魔法陣を展開する。


「炎で脳髄を沸騰させたら、一体どうなるだろうね?」


 ケテルの頭の内部で炎が発生。脳髄、脳味噌、頭蓋骨に至るまでを焼き尽くし、それらは真っ黒な灰に変貌した。

 そうして時間停止が解除され、ケテルの体はマリオネットの糸が突然切れたように倒れ伏す。


「仕事おーわり。村に戻ろうか。⋯⋯っと、そこのキミ、怪我とかない?」


 エストは、尻餅をついている村娘、リンの方に目をやる。失禁していることには敢えて優しさで触れなかった。

 彼女は未だ怯えているようであった。「それも当然か。あんなことがあったのだから」と思考するエストだったが、


「エスト⋯⋯エストって、あなたはまさか⋯⋯!」


「あっ」


 リンが今も怯えていた理由は、ケテルではない。いや、それも少なからずあるだろうが、主な原因はそれだけではなかった。

 エストとは、白の魔女の名前であるとは、よく知られている。それ以外は殆ど情報はないのだが。そして、魔女とは、一人だけ例外が居るが、それだけで畏れるべき存在だ。


「──」


 刹那、エストの灰色の瞳が光る。

 能力者の瞳が光るときは、大抵、能力を行使したときである。

 リンから、エストの正体に関する記憶のみ消去し、ここであったことは『エルトアという女性が、ケテルと対峙し殺害した』というものに書き換える。


「⋯⋯はっ!」


「気がついた? キミ、少し気絶していたよ」


 エストはできるだけ恐怖心をリンに持たせないために、天使のように(本人はそのつもり)微笑み、彼女の手を引き立たせる。


「あっ⋯⋯」


「ああ、まあ、あんなことがあったんだ。仕方ないよ」


 リンは自分が失禁していることに気が付き、それについてエストは透かさずフォローする。

 一応、濡れたものを乾かす魔法もあるが、それを使うのもどうかと思ったので言わないことにした。


「ありがとうございます⋯⋯エルトアさん」


「いいや、私は私のできることをしたまでさ」


 エストは片目をつぶりながら、答える。

 リンはエストに対して深く礼をしたあとに、小走りで自宅に戻った。


「さてと⋯⋯マサカズの話だと教団員がまだ居るらしいし⋯⋯〈敵知覚〉」


 エストは戦技を行使し、自分に対して敵対意識を持つ者を探す。しかし、そんな者は居なかった。範囲は村より広いくらいだから、この辺りにはもう敵は居ないことになる。


「教団員が自我のない存在だったらこの戦技には反応しないけど、ケテルを見る限りそうとは考えづらいし、逃げたのかな?」


 仮にも上司を見捨てるとは、非情なのか、あるいは合理的なのか。おそらく後者であるとエストは結論づけた。


「⋯⋯にしても、悪魔、ね」


 ケテルを一目見たとき、エストは彼の正体について理解した。

 ──公爵悪魔デュークデーモン。一般的な悪魔の最上位種であり、本来、召喚などされても、決して召喚者には従わないプライドの非常に高い悪魔だ。エストも昔、一度召喚したことがあったが⋯⋯従えることはできなかった。

 ちなみに、デュークデーモンが『一般的な悪魔の最上位種』とわざわざ表したのは、本当の悪魔の最上位種が皇帝悪魔デーモンロードであるからなのだが、デーモンロードは悪魔社会において一体しか君臨できない種族であるのだ。


「単純な強さだけなら、デュークデーモンはデーモンロードに匹敵するほどなのに、どうして⋯⋯ここまで弱かったんだろ」


 過去にエストが召喚したデュークデーモンは、もっと強かった。エストでさえ、本気でやらなきゃ負けるくらいには。

 なのに、ケテルはそこまで強くなかった。そうまるで、何か、制限されているように。


侯爵悪魔マークワイスデーモンから進化したばかりだったのかな? だったら、納得できる。進化したてであれば⋯⋯いや、それだとしても、ちょっと素質ありすぎるけど」

 

 もし、マークワイスデーモンからの進化したての個体だとすると、あまりにも素質がありすぎる。エストの見立てだと、あと百年もあれば自然に、きっかけがあれば一瞬で、魔女クラスに匹敵するまでに成長できるくらいには。

 どちらにせよ、何か引っかかる。死体を見ていると、何か、嫌な予感がする。


「⋯⋯〈腐食コロージョン〉」


 赤色の魔法陣が展開され、ケテルの全身が腐食し、朽ち果てる。骨も肉も、土に還っていった。


「さて、私も戻るかな」


 土に還ったケテルを見届け、その死を確信したあと、エストはマサカズたちの居る村長宅へ歩いて向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る