第3話 王冠

 マサカズたちはゴブリン討伐を終えたあと、イヨツ村という所へと招かれた。

 どうやら最近、森の奥からモンスターや野生動物などが逃げて来るように村の近くに出没するようで、イヨツ村の住人たちはそれらの討伐を行おうとしていたらしい。

 だから、代わりに討伐を行ってくれたマサカズたちにお礼がしたいということである。


「ゴブリンというか、モンスターと普通の人間じゃ、その間には相手にもならないほどの力の差があるんじゃなかったっけ」


 冒険者、という本来の意味を無視した職業があるように、この世界では人間とその他モンスターとでは歴然とした力の差がある。

 例えばよく劣等種と呼ばれているゴブリンでさえ、単純な力だけならば人間よりも上回っている。問題はその知能が低く、技術面で人間に負けているということなのだが。

 だが逆説的に考えれば、技術がなければゴブリンにさえ勝てないのが人間である。そしてそのような技術を一般人が持っているはずがないのだ。


「はい。ですが儂らのように、モンスターが蔓延る地域に住んでいれば、嫌でも慣れますので」


 マサカズの独り言に答えたのはイヨツ村の長だ。白髪が所々に混ざった頭や、薄いが顔にある皺からも、彼は五十代後半から六十代前半であることは分かる。服装もこの世界特有のもので、マサカズたちが知る服ではない。しかし近いものを挙げるならば、茶色を貴重とした無地の厚手のシャツだろう。


「そうなんですか」


「ええ。儂も少し魔法が使えるのでね」


 魔法は一に才能、二に知識が必要な技術だ。そして知識は魔法学校でしか学ぶことができず、公立魔法学校というものがないこの世界では、魔法を学ぶには多くの金銭が必要である。ないしは魔法に精通した者から学ぶこともできるのだが、それは少ない例である。

 そうなれば、あとは独学しかない。魔法語学を吸収し、魔法書を読了する。これを自力でできる者がいるとすれば、おそらくその人は大変優れた人物であるだろう。


「へぇ、凄い。どんな魔法が使えるの?」


 興味を示したのは、四人の中で唯一にして、世界最高峰レベルの魔法使いのエストだった。


「この年齢にもなると、個人で使えるのは第四階級の白魔法です。赤魔法も第三階級までなら。⋯⋯いかんせん、魔力が全盛期より衰えていましてね」


「⋯⋯いや本当に凄いね」


 勿論、エストからしてみれば第三階級や第四階級は低階級の魔法である。しかし、人間からしてみれば優秀も優秀なのだ。魔法を使うために消費する魔力は、いわば生命エネルギー。当然、若い人の方が魔法能力は優れている。

 そこで会話が終了して、マサカズたちはイヨツ村へと到着する。

 策や塀はなく、村の家屋も現代日本の家屋を見てきたマサカズたちからしてみれば貧相なものだ。畑も決して肥えているというものではなかった。

 だが、村人たちの顔からは、不満の一つも感じられない。今の生活に満足しているようだ。


「さあ、こちらに」


 村長はマサカズたちを自宅へ招待する。

 村長宅は一階建てであるが、他の家屋と比べると少しだけだが大きくて、見窄らしさもあまりない。

 通されたのはリビングであり、他に部屋が二つあるようだ。

 四人は席に座り、村長の婦人から白湯が出される。


「お礼というのは、今夜に行う予定の宴への参加です。時間があれば是非」


「宴⋯⋯まあ暇だしいいよね?」


 エストの他三人が頷く。


「⋯⋯っとそうだ。クエストの達成報告しないといけなかったんだ」


「そうでしたか。これは⋯⋯代わりに何かを⋯⋯」


 ここから王都までは、それなりの距離がある。普通に歩いていけば小一時間かかるくらいだ。クエスト報告の所要時間も入れれば、往復三時間ほどかかる。


「大丈夫だよ。すぐに帰ってくるから。皆もここに居てね。私一人で行ってくる。〈転移テレポート〉」


 エストはモンスターの体の一部が入った袋を持って、転移魔法を行使して王都へ戻った。


「⋯⋯転移魔法ですか。あのお年で行使できるとは」


 魔法は才能と知識が必要。才能だけで魔法を使えるような者は少ないというかほぼ居ないだろうし、知識があっても才能がなければ使えたものじゃない。

 転移魔法はそのうちどちらも高水準でなければ使えないような高階級の魔法だ。外見は十代後半であるエストくらいの年齢だと、まだまだ若い。若すぎるのである。


「まあ⋯⋯彼女は天才だと、自他共に認めるような奴なので」


 ◆◆◆


 しばらく村長と、他愛もない雑談を交していた。だが、突然、マサカズたちは何かに勘付いたかのように、会話を止める。


「何かありましたか?」


「──村長さん、部屋の奥に行っててください」


 無視できないほどの威圧感プレッシャー。それを放っている者が、ゆっくりとマサカズたちに近づいてきていたのだ。

 足音が聞こえてきて、それはマサカズたちが居る家屋の扉の前で止まる。


「⋯⋯」


 三人は各々武器を取り出し、いつでもそれを使えるように構える。

 扉が音を立てて、ゆっくりと開かれる。開かれた隙間から漏れでる威圧感プレッシャーは、先程より濃い。


「っ!?」


 そこに居たのは、身長191cmの、人間のような姿をしたナニカだった。黒色のスーツを着ていても分かるほどの筋肉に、短い黒髪の強面。さながらヤクザのようだった。瞳は赤色で、無慈悲な感情がそこに眠っている。そして──溢れ出る、人ならざる者の雰囲気オーラ


「初めまして、異世界人⋯⋯そして、さようなら」


「──」


 、ソイツの動きが。次の瞬間には、右隣で生きていたはずのナオトは、頭を潰されて、即死していたのだ。

 脳髄と血肉を撒き散らして、ナオトの頭部はたった一撃の正拳突きによって粉砕された。


「──は?」


 そしてまた、時間でも止められたように、気づいたときには死が迫っていた。

 ソイツは左足を振り上げており、踵の位置はマサカズの頭頂部よりずっと上だった。

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。死んでしまう。殺されてしまう。

 どうにかして回避しないと。でも、体が思うように動かない。死が迫って来るのは、凄く遅く見えるのに、体はそれ以上に遅い。

 ──ソイツは足を振り下ろすと、マサカズの頭を砕き潰した。原型なんて一瞬で破壊され、即死したのは誰にでも容易に理解できたことだった。


 ◆◆◆


 即死とは痛みを感じない分、比較的楽であることをマサカズはまだ知らない。

 ただ覚えるのは筆舌に尽くしがたい不快感であり、その原因は死そのものであることを知っている。

 吐き気や頭痛などはなく、怖いくらい体は正常だが、精神は確実に磨り減っていることが実感できてしまう。

 死ねば死ぬほど、心は削れていく。完全に摩耗しきれば、マサカズも無事、狂人の仲間入りだ。


「誰がSAN値ゼロになりたいと言った⋯⋯クソ」


 だがまだ、マサカズには、この、何度も死を覆せるチャンスをくれる加護を与えた何者かに、愚痴を言えるくらいの余裕はあった。どういうわけか、彼には死への精神的耐性があったらしい。普通に生活していれば、絶対に活用されることのない耐性だ。彼だけ特別なのか、それとも、全人類には備わっているものなのだろうか。もっとも、そんなの確かめようなんてないため、疑問のまま終わる問題なのだが。


「⋯⋯マサカズ、何があった?」


 『死に戻り』については、既にナオトとユナには教えてある。そしてその直後のマサカズの顔は、ひと目で分かるくらいには苦悶の表情に満ちているらしい。


「襲撃者だ。あと十数分もすれば来るだろうな。で、奴はまず、俺たちじゃ敵わない」


 攻撃一つとっても、全く見えなかった。

 あの人の姿をしただけの化物には、今のマサカズたちでは足元にも及ばない。戦っても、そのまま即死するだけだ。意味がない。結果の分かりきっていることなんて、したくない。


「じゃあ、どうするんですか?」


 戦って勝てない。ならば、どうすべきか。


「⋯⋯逃げる」


 命がなければ、他に何を手に入れたって意味がない。命より大事なものは存在せず、恩義だとかの優先順位は第二位以降だろう。

 そしてマサカズたちは弱い。よって、自分たちの命しか助けることができない。


「⋯⋯そんな」


 ユナは何か言いたげだった。それもそのはずだ。彼女は人並みくらいには優しく、現実的なナオトや、死を知るマサカズほど、無情にはなれない。知らない故の傲慢とも言えるが、彼女の性格がここで出た。


「なら、他に手段があるのか? ここの村人全員助けられるような手段が」


 マサカズの言い方はかなり悪い。だが的は得ている。

 代案無き否定など愚の骨頂。ユナも頭ではそれが最も平和的で、かつ確実的な解決方法であることは理解しているはずなのだ。だから、マサカズの提案に真っ向から否定することができなかった。


「⋯⋯分かりました」


 ヒーローのような強い力も、突然覚醒するなんていう展開も、この世界ではない。無意識の内に抑えている力なんてない。

 鼠は猫から逃げるしかないように、マサカズたちはあの化物から逃げるしかない。窮鼠猫を噛むなんて言葉があるが、それはあくまでも絶対的な力の差がそこにはない場合にのみ、小細工が通用する相手の場合にのみ、適応される言葉だ。だがあの化物には、小細工なんて通用しない。全て、力で潰されるに違いない。


「⋯⋯」


 逃げる。逃げる。逃げる。

 なんて弱い。なんて惨め。なんて滑稽。

 ただ逃げるしか選択肢にないことが、これほどまでに歯痒いとは思わなかった。心の中に潜む他者を尊重したい気持ちが、これほどまでに邪魔だとは思わなかった。

 人間が劣等種と呼ばれる所以は、やはりこの脆い心を持つからだろう。非情になっても、心のどこかでなりきれない、この感情的な生物。

 肉体と精神は相互に影響し合う。

 助けてやりたいと思えば思うほど、足は段々と遅くなっていく。だがそれを疲労のせいだと自分に言い張り、騙す。

 ──やがて、その時が来た。


「⋯⋯っ」


 前回における、襲撃のタイミングは凡そ、この時間帯だろうか。いや、きっとそうなのだろう。

 ──ソイツらは、突然目の前に現れた。

 真っ黒なローブを身に纏ったおそらく人間。紋章だとかの装飾は一切なく、本当に全て黒色のローブだ。フードで顔は隠れており、一見、どうやって外界を認識しているのかは分からないが、よく見ると覗き穴のようなものがあった。そこから垣間見える瞳は、同じ人間とは思えないほど生気がなかった。

 目の前の存在は、黒ローブを着た人間だとも、化け物だとも形容できなかった。同じ人だとは、生物だとも思えなかった。パペットのような雰囲気がある。


「──殺る」


 いくらマリオネットのような気配を感じるとはいえ、生気を感じないとはいえ、三つの影の中身は人型だ。人であるという確証はないし、前回、殺されたあの人ならざる者と同系列であるかもしれない。けれど、姿形は人間だ。


「⋯⋯!」


 影に向かって、マサカズは走り出す。

 マサカズたちは転移者だ。世界最高峰ではなくとも、普通の人間最高峰の力はある。

 行き過ぎた自己防衛であることは自覚している。だが、その行き過ぎが、この世界では適性なのだ。元の世界の価値観なんて、この世界に、この殺伐とした世界に持ち込んではならない。


「──っね!」


 明確な殺意を以てして、確実にその首を落としてやると決意して、マサカズは聖剣を振った。それは、影のうちの一人の首を斬り落とす──はずだった。

 殺意はあった。躊躇いなんてなかった。人殺しの罪を背負うはずだった。背負う覚悟があった。だが、一つだけ、マサカズには過ちがあった。


「マサカズ!」「マサカズさん!」


 ──痛くて、熱い。

 熱がマサカズの腹部を襲った。鋭い痛みが彼の腹部を蝕んだ。

 銀色の短剣が、マサカズの腹部を切り裂いて、内臓を、とても綺麗な腸を、太陽の下に晒し出した。


「──う、え?」


 視界のピントが合わなくなってきた。耳鳴りが酷い。ナオトとユナの声が聞こえるが、何を言っているかまでは判断できない。

 暗く、暗く、暗く、なっていっている。体から、あれだけあった熱が抜けていくのを感じる。この血が流れ出て行く感覚が、とてつもなく気持ち悪い。

 嫌だ。死にたくない。痛みを感じたくない。死にたくない。怖くて堪らない。死にたくない。殺さないで。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない──。


「ぁ」


 ──死んだ。


 ◆◆◆


 たった二回の死で、どうしてこんなにも心は擦り減るのか。

 人は弱い。人は弱小。人は脆く、壊れやすい。


「⋯⋯」


 村に居れば、あの化物に殺される。かと言って村から逃げようとすれば、黒ローブに殺される。

 殺される、留まろうが、逃げようが。その最悪的な結末からは逃れられない。

 死ぬしかない。死ぬ以外に結末は訪れない。だとしたら、この加護は何のために己を生かし続けるのか。どうせ死んでしまうマサカズを、どうして。


「──ああ、クソ。俺に、何をさせようってんだ」


 そうだ。無意味な生を与え続けることを是とする者なんて存在しない。この世のありとあらゆる存在は有意義であるべきで、無意味なんてあってはならない。

 きっと、この『ループ』にも意味があって、無意味であるなんてことはない。

 ──そう思わなくては、この脆い心が砕けてしまいそうだ。


「ナオト、ユナ。この村内で隠れられそうなところを探せ」


「⋯⋯理由は、聞く必要ないか」


 知っている、とは、わざわざ状況説明しなくて良いという意味では楽で、早い。だが、その詳細を彼らは知らないし、マサカズは知らない彼らを知っている。

 豹変ぶりと、一言の命令。説明から、それがどんな意味を持つのかをナオトとユナは十分とまでは行かずとも理解しているつもりだ。本当に、それがしているつもり程度だとは思ってもいないだろうが。

 ともあれ、三人は村内の空き家に隠れた。

 子供の隠れん坊程度の浅知恵だ。児戯であれば、なるほど、妥当な隠れ方と言えるだろう。しかし、これはお遊びではなく、蹂躙だ。


「──」


 そして、始まった。

 最初は悲鳴だった。迫りくる死への絶望。それに打ちひしがれた結果の叫び声が響いた。耳に残って、弱さ故の罪悪感が呼び覚まされる。この焦燥感の正体から必死に目を背け、自らの体を隠れ場所から逃れないように耐える。

 続くのは魔法とか、剣戟の音だ。この村は魔物が蔓延る平原に存在する。そのため、戦闘力がある村人も少なくなく、その力は下手な冒険者より高い。しかし、転移者であるマサカズたちでさえ、何もできずに殺されたのだ。普通の人間程度が、その身に傷なんて与えられるはずがない。

 三番目したのは、液体の流れる音だ。転移したことによる身体強化。それは五感の強化でもあり、聴覚がその音を拾った。

 ポタポタ、ポタポタと、何かが流れ、滴る音。零れる音。

 それが何であるか、考察も、直接見ることも必要ない。予想するまでもなく、直感的に理解できる。

 そうして四番目。足音が聞こえた。濡れた地面を踏む足音の次に、家屋の扉を開く音。


「視界外に逃れたところで、この私の目を誤魔化せるとお思いで?」


 男の姿をした化物は、三人が隠れている家屋の中で、それだけ言った。隠れているのは、バレている。つまり、それは死を意味する。

 ああ、死ぬ。死んでしまう。あの不快感をまた体験するのか。


 ──最後、その村にしたのは無音だった。終わらない音が、続いた。

 そして、音は逆再生される。


「無駄、無駄、無駄。戦っても、逃げても、隠れても、何をしても奴には殺される」


 死までの猶予は凡そ数十分。一時間もない死刑執行までの時間を、こんな運命を与えてくれたカミサマには反吐が出そうだ。

 元より無神論者であったマサカズだったが、今では立派な神の存在を信じる者となった。

 だって、そんな存在が居なければ、そしてそんな存在が彼を嫌っていなければ、この絶望的な状況に陥る理由が分からない。

 信者と言えば信者だが、その実態は神を恨む者だ。


「どうすれば良い? どうすればループから脱げ出せる? どうすれば、どうすれば⋯⋯!?」


 人の心は脆い。死んだことに最初は耐えたマサカズでも、抜け出せない、逃れられない、免れない死には耐えられない。その先にある希望を見失ったとき、明かりを失ったとき、残るのは暗闇という絶望だ。


「──」


 そこで、マサカズは思いつく。だがその思いつきを、彼はすぐに捨て去る。二人を囮にできるほど、彼は強くない。


「⋯⋯ははは」


 強くない。弱い。マサカズも、所詮人間だ。形あるモノは必ず壊れる。だから、マサカズだって壊れてしまう。


「あは⋯⋯あはははは⋯⋯ハハハハハハハッ!」


 耐えられないなら、壊れてしまえば良い。壊れてしまえば、何も感じずに済む。自壊してしまえば、これほど楽になれるのだから。

 狂気に身を委ねて、心を保つ。精神を保つ。魂を保つ。保って、保って、保ち続けなくては、本当の意味での死を迎える。

 死にたくない。死にたくないから、狂う。狂って、狂って、狂い笑わなければならない。ならない。ならない。ならなくてはならない。


「ハハハハハハハ⋯⋯はは⋯⋯はあ⋯⋯ああ。ああ?」


 笑い、嗤い、哂い、そして気づく。舌に感じるのは鉄の味。喉は笑いすぎてはち切れたようで、痛みがする。

 いつの間にか剣を『鉄臭い』握っていたようだ。その剣には『鉄臭い』赤色の液体が付着『鉄臭い』しており、ふと見ると『鉄臭い』マサカズの両脇『鉄臭い』には二人の『鉄臭い』死『鉄臭い』体『鉄臭い』が『鉄臭い』あって──鉄臭い。

 死体だ。死体がある。二つの死体が。男女の死体が。よく知る死体が。死体が、死体がそこにある。そこら中にある。その辺りにある。いっぱい。いっぱいある。多くある。大量にある。色々なのがいっぱいある。色々。男もある。女もある。子供もある。老人もある。猫もある。犬もある。牛もある。ある。ある。ある。生き物がある。生き物だったものがある。生き物だったものがある。骸がある。赤色に包まれて。飾られて。汚されて。穢されて。死んでる。死んでいる。死んでしまっている。殺した。殺していた。殺してしまった。誰が。どんな奴が。俺が。俺が。オレが。おれが。私が。僕が。我が。己が。殺した。殺した。殺した。殺して殺して殺し尽くして。殺人して。殺害して。弄んで。遊んで。狂い。狂って。殺した。楽しい。面白い。最高だ。最優だ。最も最も最も最も最も最も最も最も最も最も良い気分だ。

 これだけ殺したのだ。これだけ手にかけたのだ。だから殺されないはずだ。だって目的を達成したのだ。達成したのが俺なんだ。感謝されるはずだ。きっと、絶対、必ず、確実に、間違いなく、明確に、必然的に、疑うこともなく、殺されないのだ。そうあるべきなのだ。そうでなくてはならないのだ。


「⋯⋯私が言うのもあれだが、お前、狂ってるぞ」


 何を言っているか聞こえない。何を考えているのかもわからない。どんな表情を浮かべているのかも見えない。

 でも殺されない。そのことは確信できる。確信であるべきだ。確信しなければならない。確信している。


「この私も正義だとは思わないし、間違いなく人からすれば悪だろう。私を憎み、殺そうとする者のことはまだ、理解できる。だが」


 男の形をした化物は、侮蔑が宿った瞳を、全身に血を被った少年に向ける。


「お前は、理解できない」


 化物──悪魔は、これまでに多くの人を殺してきた。そんな自分のことを正義だ善だとは思っていないし、やろうとしていることがどれだけの悪事であるかを知っている。

 しかしそれでも、矜持というものがある。それは、敵に平伏すなどしないというものだ。主への絶対的忠誠心を歪めることをしないというものだ。──仲間を、友人を殺さないというものだ。


「⋯⋯薄汚れた仲間殺しめ。お前には、生きる価値などない」


 悪魔は、狂い嗤う少年の腹部に拳を叩き込む。音速を超えたそれは容易く少年の体を貫通し、内側をグチャグチャにする。

 少年は血反吐を吐き、拳が抜かれたことで、空洞になった腹部から血が流れる。


「死ね、化物」


 ブレていき、暗くなっていく視界に、自分を見下す男の姿が映った。そして、男に向かってマサカズは『どうして』と言う。だが、それは声になっておらず、男には届かなかったし、届いたとしても何も変わらなかっただろう。

 直後──その命は、終わりを迎えた。

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