16:噴火《アグニ》

「ヤバい……自然の名を冠する龍グランドドラゴンだ」


 真紅の鱗、長細い首と尾、漆黒の瞳と大きく隆起した棘のような背びれ。

 そして、さっきの熱風と焼け焦げた大地。

 昔、母さんと一緒に読んだ本に書いてあったことを思い出す。

 アレは、噴火アグニ……。火山の麓に住むドラゴンだ。


「なんでこんなところに?」


 普通のドラゴンにならともかく、自然の名を冠する龍グランドドラゴンになんて、図体がデカいだけのエアがが、戦って勝てるとは思わない。

 ゴウゴウとという炎が燃える音が噴火アグニの方から聞こえている。


「逃げるぞ」


 エアの頭を叩いてから、角に抱きついて噴火アグニのいる方向と逆の方向へ引っ張った。これで意思が伝わるといいんだけど。

 こっちをじぃっと見ている噴火アグニが両翼を広げると、朱色の翼膜が見える。エアが動いても振り落とされないように、僕はエアの捻れ角に両腕を回してしがみつき直した。

 細長い口が開いて、こちらに近付いてこようとした噴火アグニに向かってエアが「ぐるるるる」と低い唸り声を上げて応じる。


「ダメだって!」


 エアにそう言おうとした時、見覚えのある影が二つ空から降りてきて、僕たちと噴火アグニの間に割って入った。


「――キュラララァァアアアア!」


 噴火アグニの甲高い咆吼が響く中、僕は目を疑った。下りてきた人影は、後ろ姿でも、遠目でも誰だかわかる。だってあれは、兄貴と親父だ。二人はもしかしてこいつを倒すためにでかけていたのか?

 王都からここはそれなりに離れているし、噴火アグニは王都よりも更に遠くに住んでいるって噂だった。それなのに、どうしてこんなところにまで……。


 空での機動力が劣る蛞鹿龍メルストロムが、地面に降りて口から放水をする。ギイイと歯ぎしりのような音を響かせた噴火アグニが、長い尾を振り回して建物を倒した。瓦礫が蛞鹿龍メルストロムの頭に当たり、放たれた水は噴火アグニに当たることなく空に孤を描く。

 噴火アグニと比べると、アレだけ大きく思えた蛞鹿龍メルストロムも小さく見える。大人と子供ほどの体格差がある二匹が距離を保ちながらにらみ合っている間に、孔雀龍フウァールがまっすぐにこちらへ向かってきた。

 よく見ると、綺麗だった両翼は端が焦げてボロボロになっているし、艶のあった嘴は僅かに欠けている。


「セレスト、そいつと逃げろ! 人の足じゃあ無理だが、そいつならなんとか逃げ切れるかもしれない」


 あちこち小さな火傷をしている兄貴は、全身煤まみれだ。声を張り上げながら、兄貴は孔雀龍フウァールをエアの上で旋回させながら、村とは反対方向を指差す。「ケンケンケン」と喧しく鳴き立てる孔雀龍フウァールを見たエアは、もう一度低く「ぐるるるる」と唸り、蛞鹿龍メルストロムと戦っている噴火アグニを鋭い眼光を向けた。


「街の人は? っていうかなんであんなもん連れてきたんだよ」


「王都のやつらが手を出しやがったんだよ! 一緒にいた軍隊は全滅。オレと親父は体勢を立て直すために逃げたんだが、噴火アグニが追ってきやがった」


 兄貴は吐き捨てるようにいうと、村の方からゴウっと熱風が吹いてきた。

 鱗の間から炎を噴き出している噴火アグニに、蛞鹿龍メルストロムが頭を下げ、ヘラジカのような角を突き出して突進をしているのが見える。


「街の人達は?」


「番兵たちと、領主殿が避難を呼びかけているが……どうなるか」


 兄貴は、そういって頭を振ってから顔をあげた。それから握っている手綱を引き、孔雀龍フウァールの脇腹を踵で軽く蹴る。


「ケンケーーーン」


 甲高い鳴き声をあげた孔雀龍フウァールは、芥子色の冠羽を大きく膨らませた。


「オレと親父がなんとかするから、お前はそいつと逃げろ」


 ボロボロになって所々焦げている尾羽が傷ましい。孔雀龍フウァールから身を乗り出しながら怒鳴った兄貴は、こっちを振り向かずに村へと戻っていく。

 首をまっすぐに伸ばして翔ぶ孔雀龍フウァールは矢のように飛んで行く。蛞鹿龍メルストロムに突進を前脚で受け止めていた噴火アグニの頭に、孔雀龍フウァールは黒い嘴を突き突き立てようとする。しかし、僅かに間に合わず、振り下ろされたもう片方の噴火アグニの前脚が、親父の蛞鹿龍メルストロムの喉から胸にかけてを袈裟切りにした。鮮血が飛び散ったのがこの距離からでも見える。

 そして、勢いよく振り回した尾は、孔雀龍フウァールの綺麗だった右翼を打った。バランスを崩した孔雀龍フウァールが絹を裂くような悲痛な鳴き声をあげて墜落していく。


「兄貴! 親父!」


 頭が真っ白になる。それから、村とは真逆の方向へ目を向けた。背後には岩壁、少し遠くにはいつも僕たちがすごしていた家がある。

 村も森も焼けている。みんなはどこに避難してるんだろう? 海岸か、それとも丘の上にある領主様の屋敷か……。

 それよりも、逃げないと。でも、どこへ?

 手足が震えてうまくうごかない。

 逃げてどうなる? 兄貴と親父はこのまま死ぬのか?

 見捨てるのか?

 考えろ。

 唇を噛みしめながら、僕は噴火アグニの方を再び見た。


「――ロン」


 琴を弾くような音でエアが鳴く。さっきまでの荒々しい鳴き声ではなく、とても優しい声で、まるで「大丈夫」と言われたような気がした。それを聞いたお陰で、冷え切った頭の芯がじわじわと温まっていく気がする。


「ありが……うわ」


 話してる途中で大きく体が揺れて、とっさに角にしがみついた。今まで僕たちの前では動きたがらなかったエアが、半年間振りに足を踏み出す。


「いや、戻れって! 相手は自然の名を冠する龍グランドドラゴンだぞ?」


 逃げるのか? と思ったけれど、エアが進み始めたのは噴火アグニのいる方向だった。

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