14:観察と交渉
岩で出来た樹木みたいな前足が目の前に差し出される。大人が両腕をひろげても長さが足りないような太さだ。
ずしんと地面が僅か揺れた。
岩肌だと思っていた場所をよく見ると、光沢のない鱗が並んでいる。そっと手を前に出して見比べてみたけれど、鱗のひとつひとつが僕の掌よりも大きい。
「すごい……」
顔をあげると、首だけもたげているドラゴンの顔が近くにあった。二本の巻いた捻れ角と、雄牛くらいの大きさはある頭……燃える太陽みたいな色の瞳。
ビリビリと空気が震えて、耳元でラッパを鳴らされたような音がして、思わず耳を塞いだ。それから、ぼたぼたぼたっと上から大きな雨粒が落ちてくる。
口を開いているドラゴンを見て、この音がこいつの咆吼だってやっと気付く。こんな音が鳴ったら、親父と兄貴もそのうち森に向かってくるだろう。
そういえば……と辺りを見回してみたけれど、
桶をひっくり返したみたいな強さで降り始めた大粒の雨粒を煩わしそうに受け止めながら、巨大なドラゴンは頭を再び地面に伏せた。
僕を食べるつもりはないみたいだ。森に入ってから聞こえていたゴロゴロという音が、再び僕の近くから聞こえている。あの変な音はこいつの音だったのか……でもなんだろう? 鳴き声の一種なのか?
視線を感じたのか、ドラゴンは閉じた目を薄らと開いてこちらを見る。
「ありがとな」
僕は右手を前に出して、ドラゴンに鼻先に触れた。特に嫌がる素振りもないので、そのまま手を滑らせる。ドラゴンの肌は、ゴツゴツしていて硬いけれど僅かに温かい。
この雨だ。下手に動いてさっきの
だから、兄貴と親父が来るまで、こいつを観察することにした。
ドラゴンは、いつのまにかまた目を閉じている。それに、あれだけ土砂降りだった雨もすぐに止んで、空には浮かんだ三日月がよく見えるくらいに晴れ渡っている。
観察には持って来いの環境だ。
さっそく目の前にいる巨大なドラゴンが大人しいのをいいことに、あちこち体を見ることにした。それでわかったことがある。灰色の鱗は、艶がない。それに、見知らぬ僕みたいな存在がいるのに平気で眠るところが変わってると思う。まあ、これだけ大きいのなら人間なんて敵じゃないって思ってるのかも知れないけれど。あと、こいつはここに来てから多分、ほとんど動いていない。大きな糞があった場所からそんなに離れていないのを見るに、こいつはあんまり動きたくないように思える。
動きたがらないのはなんでだろう?
見たところ怪我をしている様子はない。僅かに体の下から見えている乳白色の爪と、角を見て見るけれど、なんだかカサついている。角の根元は、削りきれずに古い角質がついているのか、根元の方がずいぶんと凹凸がある。弱っているのかも知れない。それが病気なのか、寿命によるものなのかはわからないけれど。
さっき見たから、爪の模様と鱗の傷で大体の年齢はわかる。こいつは少なくとも数百年は生きている。このドラゴンが本来どのくらいの年数を生きるのかはわからないし、大きなドラゴンはその分寿命も長いって聞くけれど……寿命を迎えそうで弱っている確率は低く無さそうだ。
弱っているのなら、下手に村人に見つかって騒がれたり、
だから、僕はこのドラゴンを助けることにした。自分の命を助けてくれたお礼ってのもあるけど、この珍しくて大きなドラゴンが相棒になるかもしれないって思ったんだ。
幸い、ドラゴンは大体の種類がとても賢い。野生のドラゴンでも簡単な人の指示や、こちらに敵意がないことくらいは伝わるだろう。
言葉が通じるかわからないけれど、僕はこいつに話しかけることにした。
鳴き声は……さっき
僕は近くに落ちている石と太い枝を拾って、ドラゴンから出ている音を真似してみた。
薄らと目を開いたドラゴンは「ロ」と琴の鳴るような音を出す。僕もなるべく似たような音を口から出すと、ドラゴンが大きく目を開いた。近くで開かれた目を見ると、本当に太陽みたいだなって思う。
しばらく、鳴き声と鳴き真似の応酬をしてから、僕は自分の言葉を話した。
「こっちに来いよ」
ドラゴンは僕が歩くと、動きを目で追いかける。
森の果てにはちょうどこいつみたいな色をした岩壁がある。そこへ連れていってでじっとしてもらっていれば変な事故も起きないだろう。
「多分兄貴と親父が駆けつけてくる。お前は悪い奴じゃないって僕が言っておくからさ」
大きなドラゴンは、ゆっくりと体を持ち上げて立ち上がる。見上げていたら首が痛くなりそうなくらい大きい。
言葉が通じてるのか? それとも偶然か? とにかく、言うことを聞いてくれるならどっちでもいい。
僕がしばらく歩いた後に振り返ると、ずしん、ずしんと重い足音を響かせながら、ドラゴンも歩き始めた。
月の光りが、頭の上に二本生えている捻れ角を照らす。手足も、両翼も……岩のような灰色だった。さっき振った雨で濡れいてる表面は、言われなければドラゴンのものだってなかなか気がつけない。
「ロン……」
琴の弦を勢いよく一本だけ弾いたような音で鳴いたドラゴンは、立ち止まった僕の方をじっと見つめる。
「――ロン」
それから視線を少し泳がせて、再び琴みたいな音で鳴く。
「あの岩壁、あそこにいけばお前もゆっくり眠れるだろ?」
言葉が通じたかはわからない。でも、琴の音色を響かせた大きなドラゴンは、一歩踏み出して、僕の頭の上をまたいだ。
驚いて見ている間に、ドラゴンはどんどん進んでいき、僕が指差した岩壁の前にすぐに辿り着いた。
意図を理解してくれたと思っても良さそうだ。口を思い切り開いて欠伸をしたドラゴンは、背を丸めて目を閉じた。
こうしてじっとしていると、規格外の大きさなことも相まってここにドラゴンがいるなんてわからない。
「すごいな……擬態ってやつ?」
これだけ大きなドラゴンに、外敵がいるとは考えにくい。擬態をするのは、待ち伏せをして狩りを行うような生態だからだろうか? でも、擬態をするなら、あんな森のど真ん中ではなく、最初から岩に紛れた方がいいはずだし、こいつの大きさ的に、永く生きているはずだから、そういう知恵はあると思うんだけどな。
悩んでいると、遠くからこちらに近付いてくる羽音が聞こえてくる。兄貴だ。
「セレスト」
すぐに、兄貴の声が上空から聞こえてきた。
「すごい音がして、
兄貴を背に乗せた
「この通りさ」
両腕を広げて肩を竦めてみる。
汚れに汚れた僕の体を見て、兄貴が顔を思いっきり顰めた。
「さっきのは、あいつの鳴き声なんだ」
兄貴の差し出した手を取って、
細長い首を反らして、
せめてもの抗議と言った様子で、長い尾羽と大きな両翼の羽毛を膨らませて不快な様子を露わにしている。
そんな
「は?」
兄貴はそのまま言葉を失った。
「
「馬鹿を言うなよ」
いつもの癖で笑った兄貴だったけど、動く様子がない大きなドラゴンを見直して、眉間に皺をよせている。
今は大人しくしていても、こいつが暴れたりしたらそれこそ街は一瞬で瓦礫の山になる。墜ちたときに森の一部を更地にするほどのドラゴンだ。きっと危険だって兄貴は考えているはず。
だから、僕は一言付け加えた。
「こいつ、年老いてると思うんだ。鱗の傷を見ても、爪の龍輪を見てもすごく長生きしてると思う。下手に殺そうとして暴れたら大変なことになるだろ? それよりは僕が………」
「……世話をするってか?」
「無理はしない。お願いだよ兄ちゃん」
兄貴は難しい顔をして、目の前で背を丸めている巨大なドラゴンを見る。
両翼を折りたたんでいるドラゴンは、気怠そうに目を半開きにして兄貴へ視線を向けた。
「何かあればすぐにこれを慣らせ。
兄貴は、
人間には聞こえにくい音なので、あいつらにはどんな風に聞こえるのかはわからないけれど……。兄貴と親父は全然聞こえないって言ってたけど、母さんはとてもいい音だって言っていたのを思い出す。
僕も、ドラゴンたちや母さんと同じように聞こえているかはわからないけれど、この笛からは小さな小さな歌のようなものが聞こえる。本当に少しだけなんだけど。
「ありがとう兄貴!」
「……まったく。あんなデカブツをみつけて、怖がらずに観察までするなんてたいしたもんだよ」
あいつ、今は何かの理由で弱ってるけど。元気になったら飛べるようになるかもしれない。
兄貴の背中にしっかりと掴まりながら、あの山の様に大きなドラゴンに自分が乗る未来を想像して、胸を高鳴らせた。
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