6:唸り声《ヴォルト》

 乱暴に落とされた場所は思っていたよりもやわらかい場所だった。

 風が少し冷たい。空が近いし、少なくともこれより高い木は近辺には生えていないように感じる。いつも遠くから見ている大樹の上に巣を作っていたのか?

 羽毛と木の枝でうまく編まれた巣らしき場所は、ことのほか清潔で不快な匂いもほとんどしない。

 巣の中央にはキラキラとした石や剣に、よくわからない硬そうな筒、角笛などのガラクタもたくさん転がっている。


「グゥ……ガァ」


 大烏ニフタは、俺を巣に落とした後、襲ってくるようなことはなかった。

 大きく羽根を動かすと、埃や小さな綿毛を舞い上がる。そいつは、それから四つの脚を揃えて止まった。

 ピョンっと飛ぶように歩いて、俺に近付いてきた大烏ニフタは、首を傾げながら片目でこちらをじぃっと見つめる。


「……グゥ」


 じいちゃんから聞いたことがある。鳥は、相手をよく観察したいときは片目で相手を見るんだって。

 哺乳類と違って少し表情が読みにくいが、目の前にいる大烏ニフタからは敵意のようなものは感じない。でも、ここで目を逸らして、背中を向けて逃げるのは多分ダメだ。

 大烏ニフタに限らず、雑食の獣は逃げるものを追いかける性質があるとじいちゃんが教えてくれた。

 そうじゃなかったとしても、ここで逃げようにも、この高さにある巣から飛び降りれば無事では済まない。

 大きな烏の真っ青な瞳をじっと見ながら後退あとずさりをする。

 さっき目視したときにあったボロボロの剣が取れる場所を位置取ってから、もう一度よく大烏ニフタを見上げた。


 じいちゃんは大烏ニフタは賢いのだと話してくれたのを覚えている。そして好奇心が強い獣なんだってこと。

 太陽が当たると僅かに煌めく漆黒の羽根は、じいちゃんが小さな頃から、とても高価な値段で取り引きをされるので巣に遺された雛を中心にしてたくさん狩られた時代もあったのだと悲しそうな顔をして話してくれ

た。

 それに、大烏ニフタの羽根や皮には雷を通さない性質があるのだと言われていたらしい。貴重なものなので実際に手にしたことはないらしいけれど、神話で言い伝えられていたことが本当なのかも知れないっ

てドキドキしながら聞いたのを覚えている。

 じいちゃんが話していた通り、目の前にいる大烏ニフタの全身を覆っている夜色をした羽根は、雲間から覗く陽の光に照らされると僅かながら表面に虹色の光を帯びる。


「……お前、もしかして、まだ子供か?」


 大烏ニフタの瞳は真っ黒だって聞いていた。でも、こいつの瞳は湖の底みたいに深い青色をしている。

 親はどこかへ行ってしまったのか、それとも死んだのか……。

 ああ、だから、羽根に矢が当たったくらいでバランスを崩したのかと納得する。

 それから、ふと、逃げられるかもしれないという考えが頭を過った。試してみる価値はあるか?

 じりじりと後退しながら、俺は後ろ手に剣をそっと握った。


「グァ! グァ!」


 羽根の付け根少し浮かせて、大烏ニフタが短く二度鳴いた。それから、嘴をこちらに突き出してくる。


「おっと……悪かったって! ほら、なにもしない」


 本当に賢いな……俺のことをよく見ている。ここで敵対するのは得策じゃない。俺は慌てて剣を遠くへ放り投げてから、開いた両手を大烏ニフタに見せる。


「グゥゥ……」


 唸り声を更に低くしたような鳴き声をあげた大烏ニフタの青い瞳に浮かんでいる瞳孔が一回り小さくなる。

 不満そうな表情だが、完全に怒っているようには見えない気がする。


「俺は敵じゃない。ほら、さっき助けてやったろ?」


 両手をひらひらとさせながら、話しかける。言葉が通じると思っているわけではないけれど、声色で相手と意思疎通をしたいと示すことは大切だ。

 背中に背負っている弓を手にすると、大烏ニフタは嘴を開いて抗議するかのように短く鳴いたが、弓をつがえていないのがわかると大人しく嘴を閉じてこちらをじっと見た。


「ほら、こうやってさ?」


 俺が放った矢でそもそもこいつはピンチになったんだけど、そこまで気が付かないことを願おう。

 身振り手振りで、こいつを助けた時の真似をすると、大烏ニフタはなにかに納得したように「ガァ」と元気よく鳴いた。

 瞳孔の大きさがさっきよりも二回りは大きくなっている。僅かに開いていた羽根を閉じて首を傾げている様子を見て、敵意と警戒がかなり薄れたようだと判断を下す。

 コミュニケーションを取るなら、今だ。

 ゆっくりと姿勢を低くして、片方の目で俺を凝視している大烏ニフタから目を逸らす。


「俺と、お前は仲良しだ。な? 友達になろうぜ」


 それから、じいちゃんから聞いた大烏ニフタ同士が親愛を示す仕草を試してみることにした。遠くから見ただけだから、あてにならないと笑っていたけれど、今は出来ることをやるしかない。

 仰向けになって手足を上に伸ばし、ゆっくりと手足をばらばらに上下させる。


「ガ! グゥゥ」


 短く鳴いて、一度首を傾げた大烏ニフタだったが、数歩近寄ってきてから、急に四本の脚を折り曲げた。

 そして、器用に仰向けになり、四本の脚をばたつかせて「ガ!」と短く鳴いた。


「これで、友達になれたかな?」


 ゆっくりと俺が立ち上がると、大烏ニフタも仰向けをやめて「ガ」と鳴く。

 速く動いてせっかくの親愛の雰囲気を壊してはいけない。慎重に大烏ニフタへ近付いていくと、こいつは自分の頭を下げて俺の顔にぐいっと近付けてきた。

 大きな青い瞳が、俺の手を見ている。

 静かに手を前に差し出すと、大烏ニフタは嘴を僅かに開いて俺の手を挟んだ。硬くて冷たい感触がして一瞬、しまった……と思ったけれど、それは杞憂だった。

 そっと柔らかいものが手に触れて、ゆっくりと指の間に触れていく。しばらく考えて、これが大烏ニフタの舌だということに気が付いた。

 嘴を開いて俺の手を解放した大烏ニフタがぐいっと頭を胸辺りに押してくる。思ったよりも強い力だったので思わず尻餅をつくと、目を丸く見開いた大烏ニフタが駆け寄ってきて俺の脇の下に嘴を突っ

込んできた。


「大丈夫だよ」


 立ち上がらせようとしてるのかと気が付いて、俺はそう言って腰を上げた。

 それから、まだ俺の顔を心配そうに覗き込んでくる大烏ニフタの頭を撫でてやる。


「俺の名前はニコ。仲良くしようぜ」


「ガァ!」


 わかっているのかいないのか判断出来ないが、大烏ニフタは大きく一声鳴いた。


「えーっと、せっかく友達になったんだ。名前を付けてやるよ」


「グゥルル」


「本当に大烏ニフタってのは獣みたいに鳴くんだな」


 大烏ニフタは首を傾げて、こちらを見てくる。人の言葉をわかるとまでは思っていないが簡単なコミュニケーションなら取れそうだ。それなら、名前があった方がいい。


「そうだ唸り声ヴォルト! お前はヴォルトだ」


「ガ! ガ!」


 名前を呼ぶと、偶然かもしれないが、ヴォルトは上を向いて嘴を開きながら短く鳴いた。

 俺は慌ててポケットを探る。軽食用にと持っていた干し肉をちぎって、ヴォルトの嘴を目がけて放り投げる。


「ガ!」


 干し肉を気に入ったみたいで、ヴォルトはピョンとその場で小さく跳ねた。


「ヴォルト」


「ガ!」


 名前を呼んで、反応をしたらちぎった干し肉を与えるというのを繰り返している内に、どうやらこの大烏ニフタはヴォルトが自分の名前だと覚えたらしい。

 名前を呼ぶと、短く鳴いて返事をしてくれるようになった。


「カエル」


「……」


「ウサギ!」


「……」


「ヴォルト!」


「ガ!」


「よしよし、いい子だヴォルト」


 どうやら、本当に他の言葉では反応しないらしい。

 干し肉を与えなくても、俺が名前を呼べばこちらを見てくれるようになった。

 それどころか「来い」というと、こちらへピョンピョンと跳ねながら近寄ってくる。

 大烏ニフタが賢いというのは本当みたいだ。猟犬を躾るよりも楽かも知れないな。

 一息を吐いて辺りを見ると、いつのまにか、空に浮かんでいる太陽が傾いていることに気が付く。

 ぼそりと「どう帰ろうか……」と呟くと、ヴォルトが「ガァ」と大きな声で鳴いて両翼を開いた。

 そのまま有無を言わせずに俺を四つの脚で掴むと、大きな両翼を羽ばたかせる。

 真っ赤に染まる夕暮れの中、飛び立ったヴォルトは森を越えて村の方へ向かっていった。


 もう日が暮れかけているからか、幸いなことに闇に紛れて空を飛ぶヴォルトの姿は見えにくい。


「ダメだってば! 止まれ! いけない」


 村のど真ん中で滑空しようとするヴォルトに、全身をばたつかせて抗議すると、どうやら意図は伝わったみたいで、ヴォルトは再び高度を上げていく。

 村の裏手にある丘は、昼なら目立つが夜は誰も近付かない場所だった。

 なんとか手振りと声で示しながら、ヴォルトをそこまで誘導する。


 ゆっくりと下降したヴォルトは、手荒に俺を落とすと、そのまま飛び去ってしまった。

 人の匂いが強いからか?

 まあ、村のやつらに誤解されて怪我をしたり、敵対するのはよくない。俺以外の人間は、警戒してくれる方が助かることも多い。

 暗闇に紛れてヴォルトの影は見えなくなった。


「ニコ!」


 丘からは一人で村へ戻る。茂みの中から出てきた俺を見つけた母さんが、大きな声を出しながら抱きついてきた。体が折れるんじゃないかってくらい強い力で抱きしめられて、それから頭を軽くひっぱたかれた。


「ったく! どこに行ってたんだい! 泥岩河馬べへモトに喰われちまったのかって心配してたんだよ」


「夜になればあいつは動かないから平気だってば」


「もう! あんまり心配させないでおくれ」


 もう一度軽く頬を叩かれて、また母さんは俺を抱きしめた。

 ここで大烏ニフタに巣まで持ち帰られたなんて言ったら、大目玉どころじゃ済まなそうだ。


「ごめん」


 母さんの背中に手を回して、顔を埋めると、汗とお日様の匂いが入り交じった落ち着く匂いがした。

 家に帰って、父さんからも大目玉を食らって、でも、無事でなによりだと頭を撫でられた後に俺たちは食卓を囲んだ。

 今日は色々あった。もう少しヴォルトを訓練したら、村に連れてこよう。それから、泥岩河馬ベヘモトを追い払うんだ。

 でも水棲馬ケルビの皮を水辺に置いてきたのは不味かったかもしれない。朝起きたら日が昇らないうちに回収しておかないと……。

 そんなことを考えながら、俺は寝床に潜り込んだ。



 翌朝、大きな悲鳴で目が覚めた。

 驚いて家を出ようと扉に手をかけようとすると、外にいた母さんが俺を扉の中へ押し込んだ。

 泥の匂いと、生臭い水草の匂いがする。泥岩河馬べへモトが、この村を襲いに来たんだとすぐにわかった。

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