4:泥岩河馬《ベヘモト》

狩人ハンターがやられたぞ」


「砕けた鉄の鎧と肉片が川辺に落ちていたらしい」


 森に行った狩人ハンターは帰ってこなかった。そして、とうとう今日、そうとう惨い姿で発見されたらしい。

 大人達が集まって話しているのを建物の影から聞いて「やっぱりな」と心の中で思う。

 それから、大人達に見つからないようにこっそりと森へ向かった。

 ちゃんと熟練の狩人ハンターを雇わないからこうなるんだ。っていっても、まあ、それなりの金は払ったみたいだから、単純に外れクジをひいちまったってことかもしれねえけど。

 泥岩河馬べへモトは、空を飛べない中型のドラゴンとなら縄張り争いをするくらいに気性も荒く力も強いし、じいちゃんみたいな熟練の狩人ハンターじゃなきゃ、簡単にやられちまうっての。


「ニコがまたいないぞ」


「あの子ったら……まさか、森に行ったのかしら」


「死んだじいさんの代わりになるんだ! なんて意気込んで泥岩河馬べへモトに近寄ってないといいんだが」


 父さんや母さんが俺を探している声を背中で聞きながら、俺はみんなに見つからないように隠れてじいちゃんが遺してくれた小屋へ向かった。

 数日の間に、泥岩河馬べへモトの被害は増していた。狩人ハンターを殺して脅威はないと判断したのか、怒ってナワバリを誇示するためなのか、判断はできないけれど、とにかく、あいつが森から離れ

て村の近くまでやってくることが増えた。

 村で飼っていた羊や牛たちを何匹か喰われたし、森へ様子を見に行った大人たちも何人かが襲われそうになって逃げ帰ってきた。死人が狩人よそもの以外に出ていないのは奇跡的な幸運というだけで、いつ知

ってる誰かが死んでもおかしくない。

 もう、やられてばっかりなのはごめんだ。じいちゃんがいないし、狩人ハンターや、大人達があてにならない今、俺が一人でも戦うしかない。


 覚悟を決めた俺は、じいちゃんと過ごしていた小屋に急いで駆け込んで、床板を外す。

 床下にしまいこんでいたのは、じいちゃんが残してくれた獣やドラゴンについて記されている秘蔵のメモだ。


泥岩河馬べへモトページはっと……」


 分厚い鱗の付いた革が張られた表紙を持ち上げて、龍の髭で閉じられたメモを捲っていく。

 メモの中にはじいちゃんが描いた獣たちの絵と、狩人ハンターたちが暗号で使う特別な文字で特徴や食べ物などが走り書きしてある。

 イボだらけでゴツゴツした岩のような革を持っている獣の絵を見かけて手を止める。

 全部は読めないが、簡単な狩人ハンターの暗号文なら俺にでもわかる。

 記されている文字を指でなぞりながら読んでいく。


 泥岩河馬べへモトは、丸太や人間の骨も大きな頑丈な歯で砕いてしまう。鉄の胸当てや鎧は役に立たない。動きが鈍くなる分、裸の方マシである……そこまで読んで、村にきた狩人ハンターを思い浮か

べた。

 あいつはギラギラ光る鉄の鎧を自慢げに着ていたっけ。

 溜息を吐いてから、さらにメモに目を落とす。


「天敵は……空を飛ぶ中型以上のドラゴン、この近辺にいる龍だと……当てはまるのは雨乞い龍パルジーニヤか」


 繁殖期になると、灰色の鱗の一部を真っ青に染めるドラゴンのことだ。穏やかな気性のドラゴンで滅多なことでは村の近くへ下りてこない。子育ての時期になると家畜を何匹か連れていくこともあるが……ヒトの姿

を見るとサッと飛び立っていくので危険な生物という印象はいまいち薄い。

 中型といっても家よりも体が大きいから、あいつらが襲ってきたら村なんてひとたまりもないのは確かだ。

 あいつらがうまいこと村の近くに来てくれれば、泥岩河馬べへモトも逃げていくんだろうけど、そのためにわざわざ雨乞い龍あいつらを村の近くへ近付けるのは多分うまい策ではない。


狩人あいつ……泥岩河馬べへモトのことを調べもしないで森に入ったにちがいねえよ」


 こうしてじいちゃんが残してくれたものを読んで悪態をついたところで、今の俺には泥岩河馬べへモトを倒せそうにはないという結論は変わらない……。

 何か手立ては無いのかと更に読めそうな部分を探していく。


「寒いのを嫌うので夜には動かない……か。だから、村長は夜の間に水をくみに行けって命じてたんだな」


 水辺で無惨な姿になっている狩人ハンターを見つけたのは、夜のことだった。

 多分、あいつは泥岩河馬べへモトを侮って水辺で戦ったんだろう。

 あの獣は、ずんぐりむっくりとした体からは想像も出来ないが、濁った水の中に姿をくらまして、ものすごく速く動ける。

 それは、木の上から観察した俺でも目にしている。

 さらに、基本的に泥岩河馬べへモトは泥を身体に塗りたくっているので、水辺では見つけにくい。

 だから、水辺で戦うのは阿呆のすることだ。

 俺が読めるのはここまでだった。細かい対策や有効な武器や植物の名前なんかは俺にはまだわからない部分が多かった。

 メモを閉じて、床下にもう一度しまい込む。そして、水棲馬ケルピーの皮を被って、弓と矢筒を背負う。それと獣除けの薬を数個、いざというときに獣たちの注意をそらせるように生肉を油を塗ってよく鞣した皮で匂いが漏れないように包んだものを持って小屋を出た。


 足跡を残さないように、木の上に登る。それから太い枝を見つけて、木から木へ飛び移りながら森へと向かった。

 あたりを見回しながら、水辺へ近寄って、茂みの中に身を隠す。

 無事に河辺まで辿り着いた。巻き付かれたら危険な翡翠蛇も、近くの枝にはいないようだ。

 深呼吸をして、河を凝視する。日も高くなってきたし、気温も上がってきた。そろそろ泥岩河馬べへモトの動きが活発になるはずだ。

 狩人ハンターが殺された後のことだ。大人達は水辺に近付くなと行っていたけれど、それは逆だ。

 腹が満たされている間なら、あいつらは積極的な狩りをほとんどしない。目の前に手頃な獲物がいたら食べるくらいはするだろうけど。


「……!」


 小枝が折れる音と水音がした方へ顔を向ける。

 緩慢かんまんな動作で、泥岩河馬べへモトが水中から顔を出した。

 浅瀬にゆっくりと歩いてきた泥岩河馬べへモトは、泥の上に寝転んで地面に身体をこすりつけている。

 背中と側面に泥をまとうと、今度は腹這はらばいになり、そのままいびきをかき始めた。

 どこからか集まって来た小鳥たちが泥岩河馬べへモトの背に止まって、さえずり合ったり、身体をつつきあったりしているが、泥と一体化したように見える泥岩河馬べへモトは、小さな筒状になった耳

をプルプルと震わせるだけで意に介していないようだ。


「ロロン……ロロロン……」


 どこからか、琴のような音が響いてきたと思ったら、地面に大きなドラゴンの影が差す。

 上を見上げると、灰色の鱗に覆われた雨乞い龍パルジーニヤが森を横切って飛んで行くところだった。

 小鳥たちが飛び立つ羽音と、派手な水音が響き渡る。慌てて水辺に目を向けると、泥岩河馬べへモトが大慌てで水深が深い場所へ移動して姿を隠したみたいだ。


 長い首と尾、そして頭から生えた一対の白い捻れ角が特徴的な雨乞い龍パルジーニヤは、俺にも泥岩河馬べへモトにも気付かずに水辺を通り過ぎていった。

 天敵がここを通過するだけだとわかると、すぐに泥岩河馬べへモトは水から出てきて、昼寝を再開する。


「あーあ。ドラゴンが泥岩河馬べへモトだけ襲って、帰ってくれりゃいいんだけどなぁ」


 思わず小さな声で独り言を漏らす。

 うまいことあいつがここに下りてきて、忌々しい獣を追い払ってくれないかなと思うけど、そんなにうまくはいかないらしい。

 泥岩河馬べへモトの耳がピクピク動き、目をけたので慌てて両手で口を押さえて息をひそめた。

 寝転んで、鳥にたかられている泥岩河馬べへモトは、パッと見るだけでは水辺の岩と変わらないように見える。

 気付かずに自分に近付いてきた鹿を、あっという間に大きな口で一呑みした泥岩河馬べへモトは、口に入れた獲物をバリバリと咀嚼そしゃくする。

 そして、食べ終わると骨だけを器用に吐き出した。

 あの狩人ハンターも、恐らくああやって骨と鎧だけ吐き出されたのだろう。

 背筋が寒くなるような思いをしながら、俺は泥岩河馬べへモトから目を離さないまま気を引き締めた。

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