2:老狩人と孫

「なあ、じいちゃんが帰ってきたって本当?」


「ニコ! またあなたは一人で森の中へ行ったの? 畑仕事を手伝うって約束だったでしょう?」


「あとでするってば!」


 家に帰るなり、小言を言って、肩を掴んできた母さんの腕を振り払って部屋の奥を見る。

 鈍く光る大きな刃の斧そして背丈ほどもある太刀、大きな弓、たくさんの見たことが無い生き物の皮や骨が無造作に置いてあるのを確認して、俺は今はいってきたばかりの玄関から再び外へ飛び出した。


「もう! ニコったら! ダダンおじいちゃんの迷惑になったらダメよ?」


 母さんの小言を背中で受け止めながら、俺は村の端に建てられた小屋を目指して走り出した。

 ここから馬と船を使って数ヶ月、飛竜なら十日あまりの距離にある王都で働いている狩人ハンターのじいちゃんは、ここでしか採れない特別な道具の材料を補充するためにこうして時々帰ってくる。

 この村は王都から離れている上に、近くにも大きな都市はない。巨大な龍や凶暴な生物が襲ってきたら大変なことになる。だから、じいちゃんが罠を作り直したり、危険な生き物がいたら村に危害を及ぼす前に狩

っている。

 本当は道具の材料の補充というよりも、村のみんなが心配だから帰ってきてくれるんだろうけど、じいちゃんは素直じゃないから言わないんだろうなって俺は勝手に思っている。


「じいちゃん! 新しい話ある?」


「ニコか。ああ、もちろんあるぞ。古い遺跡に行ったときに壁に掘ってあった話だそうだ。聞かせてやる代わりに、睡棗ロートスをすり潰してから調合してもらおうか」


「任せてくれよ」


「お前は鼻が効くからな。調合はお前に任せた方が獣たちが良く眠る。がっはっは、良い孫を持ったもんだ」


「誰にでもわかると思うんだけどなぁ。まあ、いいけどさ。さあ、話をしてくれよぅ」


「わかったわかった」


 じいちゃんが話してくれたのは、今はもう滅んだと言われている巨大な黒い鳥……大烏ニフタの伝説だった。

 俺は、この伝説上の生き物が大好きだった。

 とはいっても、大烏ニフタってのは、じいちゃんが子供の頃はまだ村の近くで見かけることもあったって話だけど。

 四本脚の美しい大烏ニフタを、いつか俺も見つけるんだって言ったら、じいちゃんは馬鹿にしないで優しく頭を撫でてくれた。

 最初は優しく頭を撫でるばっかりだったじいちゃんも、俺が飽きずに狩人ハンターになりたいと繰り返し言っていたら、だんだんと村へ帰ってくる度に、狩人ハンターとして必要な道具の作り方や、

普段も役立つ薬の調合なんかを教えてくれるようになった。

 父さんと母さんに内緒で、雨乞い龍パルジーニヤを見に行ったり、水棲馬ケルビを捕まえるのを手伝わせてくれたこともある。

 もちろん、獣たちの領域では真剣そのもので普段は優しいじいちゃんが声を荒げる。でも、それも含めてとても楽しかった。

 睡棗ロートスの殻を剥いて、赤い実をゴリゴリとすり潰しながら、俺はじいちゃんの話に耳を傾ける。

 じいちゃんは、低い声でゆっくりと、聞いてきた伝説の話を教えてくれる。

 それは、こんな話だった。




 古い古い時代の話だ。

 まだ龍と人が同じ言葉を話し、精霊はこの地に留まっていた時代。

 空の龍に乗る太陽の巫女は生ける者たちの日々を助け、地底の龍は月の巫女と共に冥府で死者たちの眠りを守っていた。

 様々な生き物が手を取り合い、健やかに暮らしていた時、一羽の金色に輝く鳥が空の龍の元へやってきた。

 四本の脚を持つ大きな烏は、空の王にうやうやしく頭を下げてこう告げた。


「私には空を飛ぶための翼はあれど、鳴き声は獣のようでみっともなくて仕方がありません。自慢といえば、見目だけしか取り柄のないこの色とりどりの羽毛くらいなものです。あなたには大きな翼も、岩も砕ける

牙も、硬い地盤も抉れる爪もあります。空色の美しい鱗も、虹色に輝く大きな角も、太陽のように輝く大きな眼も……。それだけではなく、雨を呼び、雪を降らせ、光り輝く雷で空を割くことも出来ます」


 空の龍と太陽の巫女は、悲しそうに泣く大烏の話を聞いて顔を見合わせた。

 二人の戸惑う様子にかまうことなく、大烏はさらに話を続ける。


「あなたが眠りに就き、あなたの子が空を制するとき、きっと助けになると誓いましょう。その代わりに、あなたの力を一つ、私にいただけないでしょうか」


 迷った空の龍は、太陽の巫女をじっと見つめた。

 太陽の巫女は空のように青い瞳をしっかりと大烏を眺めると、力を抜いてふっと微笑んでこう告げる。


「空の龍が困ったときに助けてくれたのなら、あなたにきっと空の龍は力を授けてくれるでしょう」


 それを聞いた大烏は、うれしそうに一鳴きして「きっとですよ。私の名は大烏ニフタ。その名を呼ばれればいつでもあなたの元へ駆けつけましょう」と言い残し、両翼を広げてどこかへ飛んで行ってしまっ

た。

 それからしばらくして、空の龍は平和を脅かす悪鬼たちとの戦いに身を投じることになる。

 悪鬼たちと空の龍、両者の戦いは熾烈を極めたが、空の龍と太陽の巫女、それに地底の龍と月の巫女で力を合わせたお陰で徐々に悪鬼を追い詰めていった。

 しかし、追い詰められた悪鬼たちは、小さな子供たちを人質に取った。そして、あろうことか空の龍の首を捧げろと要求をしてきたのだ。

 子供たちさえいなければ、雷を落とし、悪鬼たちを焼いてしまえるのに……空の龍がそう思い悩んでいるとき、ふと大烏ニフタのことが頭に浮かんだ。

 空の王と巫女は、藁に縋るような思いで大烏ニフタを喚ぶと、漆黒の風が一陣、二人の頭上に現われた。

 黒い風は、獣の様な唸り声を上げながら、悪鬼たちが取り囲んでいる子供たちの元へ舞い降りる。


「精霊達に頼んで、羽毛の色と引き換えに雷を防ぐ翼を手に入れました。これで子供達を守りましょう」


 漆黒の鳥は、大烏ニフタだった。美しく輝く金の羽毛を失った大烏ニフタは翼を広げて子供達を覆って隠した。

 空の龍は、大烏ニフタを信じるしか無かった。悪鬼たちが棍棒を振り上げて、大烏ニフタを殺そうとした時には、空の龍は天に吼え、凄まじい雷が大地を舐めるように走る。

 悪鬼たちが黒い煙を上げながら灰になったのを確認しながら、巫女と空の龍は子供達がいた場所へと目を向けた。

 少しだけ焦げた翼を広げた大烏ニフタの元から、傷一つ無い子供達が駆けだしてきた。

 空の龍は、自分の自慢だった金の羽毛を失ってでも、約束を果たした大烏を認めることにして、雷を落とす力を譲り渡すことにした。

 人の言葉と龍の言葉が別れた今でも、大烏ニフタは空の王から授かった雷の力を大切に守り続けているのだ。


「じいちゃん! 本当に大烏ニフタは雷を落とせるのか?」


「さあな。ワシも小さい時に遠くから見ただけだからのう。大烏ニフタの羽や鱗は確かに雷を防ぐというが……実際に手にしたこともない」


「へえ……。じゃあ、じいちゃんが引退して、俺が狩人ハンターになったら大烏ニフタを捕まえてきてやるよ」


 そう言いながら、しっかりとすり潰された睡棗ロートスの実入りのすりこぎをじいちゃんに手渡す。

 じいちゃんは胸をそらして「がっはっは」と豪快に笑ってから、真剣な目付きで俺を見つめた。


「狩人は死ぬかも知れないし、そうでなくとも手足が生き物に喰われたり、時には密猟者だけじゃなく同業者ともやりあったりしなきゃならん。それでも……狩人ハンターになりたいのか?」


 低い声。まるで刺すような視線で見つめられながら、尋ねられた。緊張はしたけれど、迷ったり躊躇ったりなんてしない。


「もちろんだよ! 手足がなくなったなら義足でも義手でもつければいいさ! それに……人と戦わなきゃいけないのはこの村にいても同じことだからな」


 この村は、辺境の地にある。過酷な環境とはいえ珍しい動植物が多いから時々じいちゃん以外の狩人ハンターや学者さんが訪ねてくる。でも、そいつらがいいやつの保証なんてない。

 この村を無くして、珍しいものを独占しようとしたり、王都から逃げてきたお尋ね者がここを見つけて略奪をしようとすることだってある。

 それに、繁殖期や外敵から逃れるために住処を離れた泥岩河馬ベヘモトが村の近くの水辺に現われる時もある。

 だから、じいちゃんが現役を退いたり、死んだりしても誰かがここを守らなきゃいけない。

 それは、俺がやるべきだって思ったんだ。だって、父さんはちょっと気が弱いし、なにより人とも動物とも争うことが好きじゃない。


「ワシに似ちまったな。じゃあ、狩人になるための心得を教えてやる。これだけは覚えておけよ」


 首を縦に振ると、じいちゃんは自分の目を指差した。


人間俺たちは弱い。だから、よく相手を視ろ」

 

 目から離した指をすっと俺の目の前に持ってくる。


「わかった」


 何度も聞いている言葉だ。でも、毎回、じいちゃんは真剣だから、俺も緊張してしまう。ゆっくりと俺が頷くと、じいちゃんは嬉しそうに目を細めながら、頭を撫でてくれた。

 それが、じいちゃんとの思い出で一番印象に残っている会話だ。

 あれから五年、俺も十二になった。俺に色々なことを教えてくれたじいちゃんは、いつもみたいに突然帰ってきて、楽しそうにみんなと話した後に眠るように死んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る