天地の龍と大烏
小紫-こむらさきー
一章
大烏編
1:獣とヒト
「んなぁお」
大きな大きなヤマネコの三対の目が全部こっちを見ている。
俺を探す母さんの声が遠くで聞こえたけれど、動けなかった。
母さんと水くみをしに来て、それで、少し大きなカニが足下にいたから、ついめずらしくて追いかけていたら、いつのまにか一人になっていて……。そんなところを上から降ってきた化け物に両肩を押さえ込まれた。
俺をしばらく舐めるように見ていた大きなヤマネコは、俺から視線だけ外して頭を高くする。
怖くて声が出せない。今、声を上げたら母さんは助けてくれるかな。でも、怒ると怖い母さんもこの化け物には勝てないかもしれない。
どうしよう……どうしよう……。力を入れても、ヤマネコの大きな前足はビクともしないし、鋭い爪が両方の肩に食い込んで痛い。
「ぐるるる」
長い長い髭を上下に動かしながら、こっちへ目を戻したヤマネコが口を大きく開いた。
びっしりと並んだナイフみたいに鋭い牙を見て、今から自分がどうなるかわかってしまう。小さく「ひ」と悲鳴が漏れた。
足をばたつかせたけれど、ヤマネコにとっては痛くも痒くもないみたいでどんどん口が近付いてくる。
もうだめだ! そう思ったと同時に、どこからともなく俺の握りこぶしと同じくらいの布包みが飛んできて、胸の上に落ちる。
「ふぎゃあお!」
六つの目を丸く見開いたヤマネコが、大きく跳ねて俺の上から飛び退いた。
あまりにも急な出来事に驚いて、ぼうっとしていると、首根っこをぐいっと引っ張られる。
うしろに勢い良く放り投げられてから、やっと自分が大人に助けられたんだって気が付いた。
「じいちゃん!」
「ニコ、母さんから離れたらダメだと言っただろう?」
「だって……」
「話は後で聞こう。さあ、まずはこの獣にどこかへいってもらわんとな」
じいちゃんは俺に背中を向けたまま、ヤマネコとにらみ合っている。
背中の毛を逆立てた大きなヤマネコは、シャーッと蛇みたいな声を出して頭を低くした。
背負っていた大きな斧を採りだしたじいちゃんは、ヤマネコから視線をそらさないままマントのポケットから何かを取りだした。
「目を瞑れ」
反射的に、ギュッと目を閉じる。瞼を閉じているはずなのに太陽を見てるみたいにまぶたの内側が白くなる。
ぎゃっとヤマネコの悲鳴が聞こえて、やっと目を開けると、じいちゃんが大きな斧をヤマネコの首に振り下ろし終わった後だった。
「じいちゃん! すげえや」
「……こいつら暗いところでよく見える目を持っているが、こうして目眩ましをされると弱いんだ」
自分の背中に飛び乗った俺を受け止めながら、じいちゃんはヤマネコの力なく開いている六つの眼を指差してそう教えてくれた。
それから、俺を背中から降ろして、ヤマネコの前へ連れてきた。
「さあ、ニコ、死んじまった獣に頭を下げなさい」
「でも……」
こいつは、俺を殺そうとしてたのに?
俺が言い訳をする前に、じいちゃんは首を横に振って、口を開いた。
「お前を襲ったのもこいつが生きるためだ。わしたちも獣も、生きるためには殺し合わなきゃいけないときもある」
そう話したじいちゃんは、ヤマネコの前まで行って両方の膝を地面についた。
それから胸の前で指を組んでじっと俯く。だから、俺もよくわからないままそれを真似した。
「わしら人間は弱い。それを忘れちゃいかん。よく相手を視て、弱点を探るんだ。そして、感謝を忘れてはいかん。こいつらの牙や骨、毛皮のお陰でわしらは獣に太刀打ちできるんだからな」
じいちゃんの言うことは、まだ小さかった俺には難しかったけれど、とても大切なことなんだってだけわかった。
「よし。じゃあ、こいつを持ち帰って母さんを安心させてやろう」
やっといつもみたいに笑ってくれたじいちゃんはそういってヤマネコの頭に腰から下げていた袋を被せてから、死体を持ち上げた。
これが、俺がまだ小さかった頃の話。じいちゃんとした最初の狩りの思い出だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます