第6話 翼をください-6

 次の日も松本が由美子と話すことはなかった。由美子がどんなに話し掛けようとも、松本はそこに由美子がいないかのように振る舞うのであった。

 6時限が終わると松本はさっさと部屋を出た。由美子は、話し掛けてきた風見をあしらいながら慌てて松本を追った。風見と前川が由美子を追うように廊下へ駆け出した。由美子が松本に追いついたのは正門の前だった。松本は、そこに立ち尽くしていた。由美子は息を切らして松本に追いついた。

 風見は、捕まえた、と言いながら由美子の前に立ち、

「昨日は、すっぽかしたんだから、今日こそ、来てもらうよ」と言ったものの、由美子の様子が変なことに気づいて、どうしたの、と訊いた。由美子は風見越しに松本を見ていた。風見が振り替えると、鞄を肩越しに下げた松本の前に、高校生らしい数人がたむろしていた。

 派手ないでたちの数人は、明らかに松本を見ていた。一人、リーダーらしい一人が松本に近づくと、薄笑いを浮かべながら、

「おひさしぶり、お嬢様」と言った。政岡だった。

「昨日の呼び出しを、シカトしていただいて、ありがとうございます。今日は、ワタクシがお迎えに上がりました」

「別に、呼んでなんかいないだろ」

松本の声がいつになく上擦っていた。

「いえいえ、お気遣いなく。ワタクシの意思で、お迎えに上がったのです」

 そう言った政岡は、松本の肩に手を回し、頬ずりをするように顔を寄せた。

「シカトしたのは、あんたが3人目だよ。前の2人がどうなったか、教えてあげようと、ただそれだけの用なんだけどね。どう、知りたい?」

 松本の身体が震えていた。由美子は風見越しにそう認めた。そして、この訪問者の右手がズボンのポケットをまさぐっているのを見たとき、思わず風見を押し退けていた。駆け出した由美子は、松本を突き飛ばすように二人の間に割って入った。思わずよろけた松本は、突き飛ばした由美子を睨んだが、滴り落ちる鮮血を見て青ざめ、苦痛に顔をしかめる由美子を抱きかかえた。由美子は右手の腕を押さえていた。制服がぱっくりと裂け、押さえる左手の指の間から血が滴っていた。

「由美ちゃん、大丈夫!」

「……ン、大丈夫…」

蒼ざめる松本と苦痛を堪える由美子を嘲るように、政岡が口を挟んだ。

「アラァ、3人目のはずが、4人目になっちゃいそうだね」

 不気味な笑みを浮かべながら政岡が近づいてきた。囃し立てる仲間の前で政岡は飛び出しナイフを掲げた。松本は由美子を庇うように政岡の前に立ち、叫んだ。

「何すんだよ、この娘に」

「何って?わかってるだろう、その娘はとばっちりを受けたんだよ、アンタのせいでね」

「おかしいんじゃないのか、あんた」

「オレが?そんなことはないさ、オレはオレのやりたいようにやるだけだ。素直なだけなのさ」

ナイフを持った手を振りながら政岡が近づいてきた。

「まとめて、御礼させてもらうよ、オレの顔を潰した」

 松本は由美子を突き飛ばすように遠ざけると、さらに近づいてきた政岡の手を目掛けて鞄をぶつけた。鞄はナイフには当たらなかったが、さらに振り回した鞄で政岡の顔を狙った。そして、一瞬目線を逸らした政岡の腕を掴むと、ナイフを取り上げようとした。力比べでは到底男にはかなわないことはわかっていたが、とにかくナイフだけは取り上げなければならないと思い、爪を立て噛みついてやっとナイフを奪った。

「おぉー、痛ぇ。噛みつきは反則だよ、お嬢ちゃん」

「凶器だって反則だろ」

「ハハ、オレはいいんだ。オレは特別なんだ」

「何勝手なこと言ってるんだよ」

「それより、そっち見たら」

 政岡が目で指示した方向を見ると、由美子が政岡の仲間に捕まっていた。

「どうする?お嬢ちゃん」

「どうするって」

「そいつを返しな。そうすりゃあ、あの娘は許してやるよ」

 不気味な笑みを浮かべながら、手を差し延べる政岡は信用できなかった。それでも、由美子が心配だった。まだ血は滴っていた。顔色も青くなっていた。

「わかったよ、あの娘は、放してくれるんだね」

「もちろんさ。オレのお目当てはオマエだからな」

 松本はナイフを政岡の足元に投げた。政岡はそれをゆっくりと拾い上げた。

「あの娘は放してよ」

「まあ、慌てるな。オマエがおとなしくしてれば、すぐに放してやるさ。少しの間だけ、待ちな」

 そう言いながら政岡は近づいてきた。松本は目を閉じて、立ち尽くしていた。


 「おい、何やってるんだ!」

一斉に視線がその声に集まった。

「お兄ちゃん!助けて」

 声の主は緑川直樹だった。

「由美子どうした」

 突然の登場に対応できなかった政岡の仲間は、由美子の包囲を緩めてしまい、由美子は怪我した腕に構わずに両手で押し退けながら直樹の元に駆けだした。

「どうした、由美子」

 駆け寄った由美子の腕から滴り落ちる血を見て、直樹は蒼ざめながら叫んだ。由美子は、息を落ちつけながら政岡の方を見た。直樹が見た政岡の右手にはナイフが光っていた。

「お前か、由美子にこんなことをしたのは」

政岡は薄笑いを浮かべながら、

「これはこれは、オニイサマのご登場ですか。どうやら、少し遅かったようですね。もう少し早ければ、コイツもオレの手にはなかったんだけれど。もう、オレにかなうヤツなんて、いないよ」

政岡はナイフをかざしながら直樹の方に向き直った。

「別に、そのお嬢さんには恨みはないんだけどね。ちょっと、邪魔するもんだから。まぁ、事故ってとこですか」

「人を傷つけておいてその言いぐさはないだろう」

「いいんだよ、オレは」

その時、後ろから松本がナイフを取り上げようと飛び掛かった。

「何しやがるこのヤロウ」

 しかし、今度は政岡はナイフを離さなかった。松本の腹を蹴り上げると、後頭部を殴りつけた。松本は頭を押さえながら、うずくまってしまった。

「裕美さん!」

 由美子の叫び声に触発されるように直樹が飛び出した。身構える政岡の右腕を巧くかわすと、そのまま脇固めに入り、政岡を地に伏せ、ナイフを奪った。ナイフを奪われた政岡は、一瞬の隙をついて直樹から逃げ出すと、今度は殴りかかった。しかし、直樹は政岡の攻撃を軽くかわすと、腹に蹴りを入れ、怯んだ政岡を背負い投げで叩きつけた。政岡は、白目をむいて気絶した。政岡の仲間連中は、静まり返ったままその光景を見ていたが、直樹が睨むと慌てて逃げ出した。

 「おい、警察を呼べ。こいつを引き取ってもらえ」

直樹が周りにいた生徒達に指示した。数人が駆け出して職員室へ向かった。

「おい、大丈夫か?」

直樹は松本はそっと抱え上げた。

「ありがとう。大丈夫、よ」

頭を押さえながら立ち上がる松本に由美子が寄ってきた。

「悪いね、あたしのせいでとんでもないことになって」

「んん。大丈夫よ、もう」

由美子が笑顔を見せた時、思わず松本も笑顔を返してしまった。


 警察が来て、政岡を引き連れていった。事情聴取は後日ということで、由美子は病院に行くことになった。

「一応、病院に行ったほうがいいな。君も」

「あ、でも」

 松本は断ろうとしたが、由美子が袖を引っ張ったので一緒にパトカーに乗り込んだ。

「強いな、あんたの兄さん」

「柔道も空手も習ってたから」

「すごいね。野球もうまいし」

 ふふ、と由美子は微笑みながら、松本に身を寄せた。松本も、由美子に身を寄せ、目を閉じた。頭の痛みは和らいでいて、由美子と接している部分が妙に温かかった。人と接する感触を久しぶりに感じながら、目を閉じた。

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