第4話 前世の記憶
私の名前は、エリス=ハウゼン。
ハウゼン侯爵家の長女。
そう、それは確かなことなのだけれど。
私をじっと見つめる、我が家の執事見習は私のことを聞いたことのない名で呼んだ。
そして、私は、それが私の名前であると――知っている。
古びた木造の修道院。子供たち。地下牢。斧。自分の腕が鮮血とともに千切れて行く。
森を
目を覚ましたら、仲間に囲まれていたこと。
そして、自分を追いかけてきた青い瞳の少年。
脳裏に駆け巡る映像は、確かに私が実体験としてどこかで見た光景だった。
何よ、これは。
私はただただ混乱する。
こんな光景を――私自身が見たことあるはずがないのに。
どうして、自分の記憶の様な気がするの?
「何者だ……っ、マーティンっ……」
国王様が私たちの間に漂っていたわずかな沈黙を破った。
玉座から立ち上がると、ジェイクに抱えられた息子に駆け寄る。
ジェイクはマーティン様を丁寧に床に置くと、国王様の身体を背後から羽交い絞めにした。
周囲の兵士が剣を構えるが、赤竜の吠え声に一歩後ろへ下がる。
「国王様、失礼をお許しください」
ジェイクは国王様を腕で押さえたまま、私に呼び掛けた。
「お嬢様、マーティン様の治癒を」
「治癒……って言われても……」
「貴女なら、
言われるがままマーティン様に近づいた。
顔は青ざめ、ヒューヒューと小さな呼吸の音だけが紫の唇から漏れている。
私は顔を歪めた。
あんなにいつも明るい方だったのに。
こんな風にするなんて。
元のように戻って欲しい。
私は胸の前で手を組んで瞳を閉じた。
ごく自然に、どうすればいいのかを身体が知っていた。
――元に、戻して。
途端、身体の中心が熱くなるのを感じた。ふわりと髪の毛が肩から舞い上がるのを感じる。
「――エリス? ――父上?」
マーティン様の声がした。
瞼を上げると、目の前でマーティン様が起き上がり、周囲を見回していた。
「マーティン? 大丈夫なのか? これは、一体……!?」
ジェイクが拘束を外すと、国王様が呆然と息子に近づき、その肩に触れた。
「父上、どうして僕はこんな格好でここに――、パーティーでワインを飲んでそれから――それに」
国王様に抱きしめられたマーティン様は玉座の後ろの壊れたステンドグラスとその破片の上で存在感を放つ竜を呆気にとられたように見上げて呟いた。
「あれは、竜ですか?」
「そのようだ」
国王様はそう言うと、私とジェイクを見比べ、私に問いかけた。
「エリス――、彼は誰だ?」
「ハウゼン家の使用人です」
私が答える前に、ジェイクがそう答えながら私の脇に立って頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。――ですが、お嬢様は、マーティン様の件とは無関係ですので、よろしくお願いいたします」
国王様は私を見つめた。
「エリス、お前がマーティンに毒を盛った、と自分から言ったと報告を受けたが――、それは事実ではないのか?」
「私」
大きく息を吸って、声を張る。
「私は、やっておりません」
どよっとホールにいる人たちがどよめいた。
思い出したようにマーティン様が声を上げる。
「エリスが僕を? そんなことはあるはずがない」
私は嬉しくなった。マーティン様は、私を信じてくれている。
「王位継承者をオーウェンにするために手を回したと、聞いているが。それに、ハウゼン家の誰かが今回の毒に使われた薬草を購入していたという証拠も、城下で死体で見つかった商人の遺品から出ている。それに、どうして自分がやったと言ったんだ?」
「それは」
私は視線を聴衆の方へ向けた。
オーウェン様が弟のディランを抱えてこちらを見ていた。
視線が合うと、彼は顔に笑みを浮かべた。
視線を国王様に戻し、ごくりと唾を飲む。
正直に、ここで言ったらどうなるかしら?
「そういうことですか」
その時横で小さな呟きが聞こえた。
え?と思った瞬間には、私の横に立っていたはずのジェイクの姿は消えていた。
――ぐぇっ
低い、男の呻き声が響いた。
振り返ると、ジェイクがオーウェン様を絨毯の上に組み敷いていた。
掴まれた腕が変な方向に曲がっている。
その横で弟は泣きそうな顔でお母様にしがみついていた。
「オーウェンっ!」
国王様が悲鳴を上げる。
「お嬢様、この男でよろしいでしょうか」
ジェイクは暴れるオーウェン様の頭を床に押し付けながら私を見る。
国王様とマーティン様が一斉に私を見た。
――どうしてわかったの
ジェイクを見つめると、彼は「早く言いなさい」というように、顎を動かした。
私は向き直ると、もう一度息を吸って一言一言をはっきりと口から出した。
「――オーウェン様と、アリエッタ様に、私がやったと言わないと――ハウゼン家全員の罪となると、言われたからです」
「オーウェンと……、アリエッタが……」
マーティン様が動揺したように呟いた。
周囲がどよめき、視線がオーウェン様と、国王様に近い前列に公爵家一族と参列していたアリエッタ様に向けられる。
「オーウェン……」
国王様が青ざめた顔でジェイクに床に押し付けられたままの息子を見つめた。
――しばらくの沈黙の後、国王様は呼び掛けた。
「……オーウェンよ、私の前に来なさい。アリエッタも」
アリエッタ様のお父様が、彼女の腕を引っ張って玉座の方へ連れ出した。
――何か、耳元で囁いた?
それは一瞬のことだったれど、私は見てしまった。
アリエッタ様が父親に何か囁かれ、微かに眉間に皺を寄せたのを。
次の瞬間には、いかにも不安げな表情なおどおどとした表情に戻っていたけれど。
オーウェン様の方は、彼の腕をジェイクが肩に回し、引きずるように玉座の方へ近づいて来た。「きゃあ」と聴衆から小さな悲鳴が聞こえた。――オーウェン様の形の良い顎は潰れていて、ぼたぼたと血が垂れていたからだ。
私も思わず息を呑む。
ジェイクは私の近くまで来るとオーウェン様の腕を外し床に落とした。
はあ、とため息をついてから私に頭を下げる。
「お嬢様、申し訳ありませんがオーウェン様も治して頂けないでしょうか。今のままだと言葉が話せないと思いますので」
オーウェン様は床に倒れたまま、顎を押さえてゲホゲホと苦しそうに咳き込んでいた。その度に赤い絨毯に黒い染みが広がる。あまりに苦しそうで、顔をしかめてしまう。
「すいません、やり過ぎてしまいまして……、このままだと気管に血が詰まって死んでしまうかもしれません」
ジェイクが困ったように私に言うので、慌てて、先ほどマーティン様にしたように手を組むと、祈った。――元通りに。白い光がオーウェン様の身体を包んだ。
咳き込む音が止み、オーウェン様はゆっくりと起き上がると、驚愕の表情で私を見つめた。
「オーウェン!」
国王様が大声で息子の名前を呼ぶ。オーウェン様は、向きを変え父親と兄に向かい合った。
その横にはアリエッタ様が寄り添うように立つ。
「エリスの言ったことは本当なのか!? お前とアリエッタがマーティンに、自分の兄に毒を盛ったのか?」
「僕は、お兄様に毒を盛ったりはしていません」
オーウェン様は、真っすぐに国王様を見つめて言った。
「確かに、僕は――、エリスに、君がやったと言わないと、ハウゼン家全員の罪になってしまう、と言いました。だけど! それは、ハウゼン家の誰かが、僕を次期国王にして――、エリスを王妃にするためにお兄様に毒を飲ませたのだとすれば――、エリスが独断でやったのであれば、家族まで重い罪は問われないだろうけど、もしそうでなくて、ハウゼン家自体がそう策略したのであれば、ハウゼン家全員が重罪で裁かれると事実を言ったまでです」
言葉を失って、私が治した口をペラペラと動かす婚約者を見つめた。
何を言ってるの? 貴方がやったんでしょう?
「僕は――ハウゼン家は民に慕われる良い領主であることは理解していました。ハウゼン侯爵のことを尊敬していました。だから、ハウゼン家がそんなことをするとは思えなくて、エリスが僕を王位継承者にしようと――思いつめてやってしまったのだと思ったのです。エリス、君はやっていなかったのか!?」
急に彼は私を見た。
「――貴方がやったんでしょう」私は彼を睨みつけて、そう言おうとした。
そのとき、横で不安そうな表情で立っていたアリエッタ様が、国王様の前に飛び出し、床に頭をつけた。
「私がっ、マーティン様のグラスに――毒を入れました」
肩と声を震わせて、彼女はそう叫んだ。
オーウェン様の口元が少し上がったのを、私は見逃さなかった。
「アリエッタ!?」
マーティン様が顔を真っ青にして自分の婚約者の名前を叫んだ。
「私は、マーティン様ではなく、オーウェン様を愛してしまったのです。だから――マーティン様と、エリスが邪魔だった。だから、マーティン様を殺して――、エリスに罪を着せれば良いと思いました。購入した毒の買い手をハウゼン家に書き換えて、家族の命と引き換えにと言えば――、エリスは自分がやったと言うに違いないと思っていましたから」
アリエッタ様は私を見ると自嘲気味に笑った。
「貴女は本当にそのとおりに自分がやったと言ったわね」
「そんな、アリエッタ! 君とのことは、正式にお父様とお兄様に話そうと思っていたのに!」
白々しく、オーウェン様がアリエッタの肩を揺らしながら震える声で言った。
――アリエッタ様ひとりを切り捨てて、それで済ますつもりなの?
私はその様子に自分の目を疑った。
さっき、アリエッタ様に彼女の父――マッケラス公爵が何か囁くのを見た。
彼らは、総出で彼女だけを切り捨てるつもりなのだろう。
怒りで頭が熱くなる。
それは、オーウェンに対しても、マッケラス家に対しても、そして、それをそのまま受け入れるアリエッタ様に対しても。
「ちょっと待ってください」
声を張り上げた。
自分に周囲の視線が集まるのを感じる。
ごくりと、喉を鳴らして、アリエッタ様を見据えた。
「アリエッタ様、貴女はマーティン様を殺せなかったんですよね?」
一瞬の唖然とした表情の後、彼女は眉を吊り上げた。
「――殺そうとしたわ! マーティンがぜんぶ飲んでくれなかっただけで!」
「貴女は、私のことが――、私から見える世界には嫌なものなんてなさそうで、そういうところが憎らしいってそう言いましたよね!? でも、私の目には貴女とマーティン様はお互いに想い合っている、将来とてもお似合いのご夫婦になると――そう見えたんです。そして――私はそれを信じています」
マーティン様はあの時勢いよくワインを飲み干していたし、十分な致死量を入れていれば、即座に死んでいるんじゃないだろうか。瀕死で生かしておく必要はあるだろうか?
『貴女とマーティン様はとてもお似合いに見えたのに!』
そう言った時に顔を歪めた彼女の顔に、私は彼女の本心を見た気がしたのだ。
「貴女は、マーティン様を殺せなかったんじゃないんですか?」
アリエッタ様はぐっと言葉を飲み込むと私を睨んだ。
「違うわ、私は――」
その言葉を途中で止めたのはマーティン様だ。
「アリエッタ、僕は、君のことが――本当に好きだったよ」
竜に乗せられたせいか、皺が寄った寝間着姿の彼はそのまま、アリエッタ様に近づいた。
「触らないでよ! 私が貴方のことを殺そうとしたのよ!」
それでも、マーティン様は彼女を抱きしめて言った。
「――君も同じ気持ちだと、思っていた。君がオーウェンのことを好きだなんて、信じられないんだ」
「――っ」
アリエッタ様は一瞬泣きそうな顔になった。
それから、マーティン様を突き飛ばすと、国王様の元に一歩踏み出し、いったん周囲をぐるりと一瞥してから膝をついて頭を下げて、言った。
「私は――、父とオーウェン様に――マーティン様に毒を飲ませるよう、言われました」
「お前……っ」
私の横で低い怒りに満ちた声がした。
そして、同時にばんっ、と何かが倒れる音。
振り返ると、ジェイクがオーウェン様をまた床に押さえつけていた。
「全く、往生際の悪い……」
ジェイクは眉間に皺を寄せた厳しい顔で呟くと、驚いた顔の私に気づいて、表情を真顔に戻した。彼の腕の下で、顔を床に押し付けられたオーウェン様が呻きながらもがいている。
「お嬢様、今度は喋れる程度にしてありますので、治して頂かなくても結構ですよ」
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