第3話 sideジェイク

 私、ジェイク=サイモンは、ハウゼン侯爵家の使用人を取り仕切る執事の父と、奥方様付の侍女をしていた母の下に生まれた。


 いつからか覚えていないが、物心ついたころから繰り返し同じ夢を見ていた。

 

 ――貴方がやるのよ。 貴方ならできるわ。


 記憶の中で、ところどころ赤く染まった、元は白いローブに身を包んだ彼女が、自分を見つめてそう訴えかける。


 周囲には動かなくなった仲間が無造作に地面に転がっている。


 彼女の後ろには、彼女の身体の何倍も大きなグロテスクな、生き物とは呼べない塊が蠢いている。悪意の塊が命を持ったもの――、魔王と人々が恐れる存在。彼女の身体は半分それに取り込まているけれど、それでもいつもの穏やかな表情を一つも変えずに彼女は言う。


 ――貴方ならできるわ。


 仲間の最後の命を使って、今、彼女がそれを、抑えている。


 やるべきことは、ただ一つ。


「うわぁぁぁぁ」


 薄い白い光に包まれた剣を握って、叫びながらそれを、彼女に突き立てた。


 彼女が誰なのか、剣など握ったことがない自分が何故そんな夢を見るのか。


 それが自分の前世の記憶だと気づいたのは、7つの時、母親がかつて魔王を倒したという勇者の話を寝物語に聞かせてくれた時だ。


 ――騎士ルーカスの乗る竜は、空から魔物をその炎で消し去りました――


『ルーカス』


 耳元で懐かしさを感じる女性の声がした気がた。

 それが自分の名前だと私は当たり前のことのように思い出したのだった。


 そして、彼女の名前も。


 聖女・マリーネ。


 繰り返し夢の中で自分が刃で貫く彼女の名前だ。


 勇者の物語の中では、仲間には聖女がいたと語られるだけで、名前も残っていない彼女の名前を、私ははっきりと覚えていた。


 彼女――マリーネは、私の前世であったルーカスにとって姉のような存在だった。


 彼女は、孤児のルーカスを育ててくれた修道院の若い修道女だった。

 綺麗な金髪と、アーモンドの様な丸い茶色い瞳の女性だった。

 

 貧しい村の外れの修道院は貧しく、孤児はいつも飢えていて、

 ルーカスは領主の畑から果物を盗んで、仲間に食べさせた。

 それがバレて、領主は犯人を出せと修道院に殴り込んで来た。

 犯人を出さなければ、全ての援助を打ち切ると。


 領地内の犯罪は、全て領主が量刑を決める。盗みは、腕を切られる。


 けれど、彼女は名乗り出たのだ。


「私がやりました」 


 それは、いつもと変わらない優しく穏やかな声だった。

 私はただ、黙って震えていることしかできなかった。

 そして彼女は牢に入れられ、腕を切られ、領地の外に追放された。


 ――そして、数年後――魔王を倒す勇者一行にいるという片腕の聖女の噂を耳にする。


 直感で、彼女だと思った。


 孤児院を飛び出し、冒険者の一行に加わりながら勇者を追った。

 彼女に一言、謝りたかった。

 そして、彼女のために何かできることをしたかった。


 聖女はやはり彼女だった。

 私の罪を被って腕を失い、痛みを耐え抜いた彼女は神の啓示を受け、傷を癒し邪悪な者を退ける聖魔法の使い手になっていた。

 

 再会したとき、彼女は、一目で私に気付き、嬉しそうに笑った。


 「立派になったわね」と。


「あの時、果物を盗んだのは――」


 そう言いかけた私の口を彼女は片腕の指で塞いだ。


「いいのよ、ルーカス。あれは私がやったんだもの」と微笑んで。


 私は勇者一行に加わり、騎士として認められ、竜の扱いを学んだ。

 彼女をこれからは自分が守ろうと決めて。

 

 ――けれど結果は。


 魔王は倒したものの、仲間を失い、彼女を失い、自分だけが生き残った。

 勇者として名前を残したけれど、自分にとって大切なものは結局何も残らなかった。


 前世の記憶を思い出して、私は辛かった。


 ジェイクとしての生活はとても幸せだった。

 愛情深い両親に、立派な主人。飢えや寝る場所に困ることのない、自分たちが築いた平和な世界での幸せな生活。


 でもそこに、彼女はいなかったから。

 ルーカスとしての人生など思い出さなければ良かったと思った。

 

 前世の記憶を思い出すと同時に、当時の剣を使った戦い方の記憶や、竜を呼び出す方法も思い出した。しかし、将来執事として父親の後を継ぐことになるジェイクとしての人生にそれは必要なかった。


 でも、と思い当たる。

 自分がこうやって前世の記憶を持って生まれたということは、どこかで彼女もこの時代にいるのではないだろうか?


 いつか、彼女と会った時に――、今度は本当に彼女を幸せにできるように、それからはそれを心の支えに、ルーカスとして生きていた頃には足りなかった学問や作法を身につけることに励んだ。


 そして、その再会は思いの外早く訪れた。


 旦那様が奥様を迎え、10の年に娘が生まれた。


 その子を一目見て、私は気がついた。それが彼女だと。


 髪の色は旦那様や奥様にそっくりな栗色をしていて、顔立ちは記憶の中の彼女とは異なっていたけれど、アーモンドのような丸い綺麗な茶色の瞳は、彼女と同じだった。


 子ども部屋の隅で、小さなベッドで眠る彼女に私は呼び掛けた。


「マリーネ、様」


 その瞬間、彼女は私に視線を向け、手を伸ばした。

 私はその手を取ろうと、自分の手を動かしかけて、止めた。


 ――過去を思い出すことが、本当に幸せなのだろうか。


 彼女に思い出して欲しいと思うのは、自分のエゴなのではないだろうか。


 彼女には、侯爵家令嬢としての幸せな人生が約束されている。

 当時の彼女には叶えられなかった普通の人生が。


 私は、手を引っ込めると、


「エリス様」


 と今の彼女の名前を呼び直した。

 小さな赤子は、「あー」と応えて、にっこりと笑った。


 その瞬間に私は決めた。

 これからは、ジェイクとして――使用人としてこのお嬢様の人生を支えていこうと。 


 エリス様――お嬢様は、すくすくと――たまに前世が本当にマリーネ様なのかと疑いたくなるように――元気に育った。


 お嬢様に令嬢として、幸せに生きて頂きたく、礼儀作法や学問については使用人の域を出て口を挟んでしまったことは悪かったと思う。


 お嬢様はお嬢様、マリーネ様ではない。


 そう自分に言い聞かせていたつもりだったが、前世でマリーネ様を慕い過ぎていたせいか、お嬢様に過度に期待し過ぎてしまったことは反省している。


 婚約者である第二王子のオーウェン様とも仲が良く、このまま順風満帆に暮らしていって頂けるとばかり思っていた。


 ――けれど、事件が起きてしまった。


 オーウェン様の兄で王太子でいらっしゃるマーティン様が、パーティーの席で殺されかけ、それはまだしも、お嬢様がその犯人として仕立て上げられてしまった。


 屋敷にずかずかと上がり込んで来た王宮の兵士は、お嬢様に手枷をつけ、引きずって行った。


 ――剣を奪って、全員斬り殺してしまおうかと思って一瞬手が動いたが、ディランお坊ちゃまが私の手を掴んだので、冷静になった。


 ここで流血沙汰を起こしてしまっては、ハウゼン家に迷惑をかけることになってしまう。


 旦那様も、奥様も、お坊ちゃまも、全員私にとっては大切な家族だ。


 ここは怒りを堪えて行動しなければ、と断腸の思いで、連れて行かれるお嬢様を見送った。


 お嬢様がマーティン様を殺そうとしようとすることなど、あるはずがない。


 ――誰かがそう仕組んだ?


 ハウゼン家は今の旦那様の先々代から領地を広げた新興の貴族だ。

 それを良く思わない人物はいるのかもしれない。

 ちっと舌打ちをする。


 王宮内の争いにお嬢様が巻き込まれたということが腹立たしかった。

 

 家族を引き合いに出されれば、きっと彼女は「私がやった」と自分ひとりで責任を負おうとするだろう。


 前世の記憶が脳裏を掠める。


 ――同じことを繰り返して、堪るものか。


 とにかく、彼女の無実を公衆の面前で明らかにし、救い出さねば。


 旦那様から、マーティン様は意識が戻らないものの、一命を取り留めたと聞く。


 ――それならば、彼女の癒しの力を引き出せば。


 私自身、前世の記憶を取り戻した瞬間に――、かつて身につけた剣技や魔法の力を取り戻した。


 彼女だって、記憶を取り戻せば、癒しの魔法を思い出すだろう。


 本気になれば死者でさえ蘇生させることができ、『聖女』と謳われたほどの魔法の使い手だったのだ。王子を蘇生させることなど容易いだろう。

 殺そうとした相手を治すなど、するはずがない。

 それを皆の目前で行えば、誰も彼女の罪を問えなどしないのでは。


 ――彼女に記憶を戻させるには?


 きっかけは『名前』だと思う。

 彼女がまだ幼いころに、呼び掛けたところ、私の方を見つめたことを思い出した。

 私も、かつての名前を聞いた瞬間に記憶が戻った。

 呼びかければ、きっと。


 私は自問自答を続けた。


 ――彼女に記憶を戻させたとして、それで彼女が幸せになれるのか?


 『普通の人生』を幸せに生きて欲しいと、そう望んでいたはずだった。


 ――しかし、彼女の人生を任せようと思った婚約者の王子は、こんな事態になっても彼女を庇うわけでもなく、王宮から出て来もしない。


 ――それ以上に。


 私は自分の胸に手を当てた。


 私は、彼女に、お嬢様に、私に気付いてほしいと思っている。


 一番の願いは、彼女が幸せな人生を生きることだ。

 私などが彼女の横に立つことを望んではいけないと、そう思っていた。

 だけど。


 もしも望めるなら、私は彼女に私の存在に気がついてほしい。

 前世でも、今も、貴女のことを一番に考えていますと。


 その気持ちに彼女が応えてくれるかはわからないけれど。

 せめて――気付いてほしいと強く望んでいる。


 これは自分の我儘だけれど、それでも。


 ◇


 3日経ち、屋敷の玄関を強引に開けた衛兵はお嬢様が国王様の前で真実を述べると告げ、

 旦那様と奥様、お坊ちゃまを馬車に引き立てて行った。


 ――今だ。


 国王様の前には貴族達一同が会するだろう。

 大衆の面前で、というのならば絶好の機会だ。

 

 私は急いで庭に出ると、木の枝で地面に魔法陣を描き中心に手をかざし、呪文を唱えた。

 かつて一緒に空を飛んだ赤い竜を思い浮かべ、呼び掛ける。


『我が呼び出しに応えよ!』


 一瞬、空が暗くなって、地面が光り、風が巻き上がった。


 土埃の中現れたのは、数十年ぶりに見るかつての相棒の竜だった。


「久しぶり、クワトロ」


 名を呼びかけ、頭を撫でると彼は私にざらりとした頬を寄せて唸った。

 

 思わず昔のような口調に戻って笑った。


「見た目が変わったって? そりゃ、別人だからさ……」


 竜は万の年を生きる。彼にとっては数十年の時間は一瞬のようなものなのかもしれない。


 赤竜は私が私だと確かめるように瞳を覗き込んで、納得したように一声吠えた。


 異変に気付いた使用人たちが騒めき出したのが聞こえた。


 あまり騒ぎになる前に、行かねば。


 そのまま竜に飛び乗ると、背中を蹴って空へ飛んだ。


 ◇


 王宮の遥か上から、下をうかがう。

 

 旦那様について何度か出入りはしたことがあるので、内部の構造はわかっていた。

 

 呪文を唱え、竜の視界を借りる。

 

 彼らの目は遥か遠くまで見通すことができる。


 ガラス越しに、貴族や衛兵で埋まった玉座の間が見えた。

 

 扉が開き、国王が座るその場所へ、今まさにお嬢様が絨毯の上を歩いて向かって行く。


「行こうか」


 竜の背を叩き、急降下する。


 ――まずは、マーティン様の確保だ。


 王子のいる部屋の窓から中へ突っ込み、ベッドに横たえられた彼をシーツでくるんで抱える。


 侍女の叫び声を後ろに聞きながら、また竜に乗り外に飛び出すと、

 

 そのまま玉座の間へ降下した。



 ◇


「マリーネ様」


 彼女の茶色い瞳を見つめながら、また名前を呼ぶ。


「私……?」


 お嬢様はじっと私を見つめた。

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