第2話 裏切りと、諦めと、助け

 それから――また、さらに時間が経った頃。扉が開く音がして、ランプの灯りが暗闇の中、こちらへ近づいて来た。何人かの足音が聞こえる。


「エリス」


 名前を呼んだその声に、壁に寄りかかっていた私は勢いよく起き上がった。


「アリエッタ様っ!」


 それは、マーティン様の婚約者のアリエッタ様の声だった。

 助かった、と思った。

 彼女は私がこんなことをするはずがないと知っているはずだから。


「お腹も空いたでしょうし、喉も渇いたでしょう」


 そう言って、彼女は鉄格子についた小さな配膳口の扉を開けて、水差しとパンの乗ったお盆を牢内に差し入れた。


 喉がカラカラに乾いていた。


 ちゃぷんと水音がして、私は枷で繋がれたままの腕を水差しに勢いよく手を伸ばした。

 ――その瞬間、アリエッタ様の白い手は、そのお盆を牢の外へ下げた。


「あっ」


 私は前のめりになり、頭から埃の溜まった石の床に突っ込む。


「アリエッタ様……?」

 

 顔を上げると、揺れる炎に微笑む彼女が照らされていた。


「エリス、貴女がマーティン様に毒の入ったワインを飲ませたのよね」


 彼女は倒れた私に目線を合わせるようにかがむと、優しく言い聞かせるように問いかけた。


「私、そんなこと、していません!」


 お腹の奥から声を上げる。


「――じゃあ、ハウゼン侯爵が? それとも奥様が? 娘を王妃にしたくて?」


 アリエッタ様は小首を傾げる。


「――ハウゼン家の一族を皆、処刑すれば済むのかしら?」


 何気ない言い方だった。

 まるで、今日のお茶は何にしましょうか、とでもいうような。

 私は言葉を失った。


 ――あの時、マーティン様の一番傍にいたのは?


 アリエッタ様だ。

 これはどういうことなの。

 マーティン様に何かをしたのは彼女?

 そして、私はその罪を着せられようとしているの?


 アリエッタ様はじっと青い瞳を私に向ける。


「貴女がひとりでやった、ということなら――ハウゼン家は廃爵になるでしょうけれど、一族皆さん処刑、ということにはならないと思うわ?」


「……」


 私はさっと血の気が引くのを感じた。


 つまりは、ハウゼン家自体を狙ってということ?


「ねえ、賢い貴女ならわかるでしょう?」


 アリエッタ様は問いかけるように言う。


「アリエッタ様……! どうしてなのですか! 貴女とマーティン様はとてもお似合いに見えたのに!」


 アリエッタ様は顔を歪めた。


「エリス、あなたから見える世界はとっても綺麗で、嫌な……汚いものなんて存在しないのでしょうね。私、貴女のそういうところがとても……憎たらしいと思っていたの」


「オーウェン様を連れてきてください!!」


 私はお腹の底から叫んだ。――彼ならきっと、わかってくれるはず。そう望みをかけて。


「いいわよ」


 アリエッタ様はさらりと言う。

 

「エリス、僕のためにお兄様を殺そうとしてくれたんだって? ――ありがとう」


 彼女の後ろの暗がりから、オーウェン様が姿を現した。

 にっと、さも面白そうに笑うその顔は、私が今まで見たことのない婚約者の表情だった。


「オーウェン様……」


 私は彼の名前を呟くことしかできなかった。

 オーウェン様は、アリエッタ様の肩に手を置き、私を見つめた。

 その親し気な様子に、私は彼女の裏に――彼がいたことを悟る。


「兄様の考えは僕には理解できなかった」


「何を言っているの……」


「亜人は僕らに従うべきなんだよ、エリス。魔物もどきが、僕たちと対等になろうなんてどうかしている」


「……そんな、ことで……」


 私は言葉を続けることができなかった。


 エルシニアの周りは亜人――魔物の特徴を持つ人々が作った小国が点在している。歴史の大部分でエルシニアはその国々を統治下に置き、亜人たちを労働力として使役していた。


 ――100年前、魔王が現れ、世界を恐怖に陥れるまでは。


 突然現れた魔王という存在は、魔物を凶暴化させ、人間や亜人、ドワーフ・エルフ、種族の見境なく襲い、殺した。


 人々は種族を越え団結し、魔王を倒す必要があった。


 それぞれの種族より、魔王を倒す力を持った者――勇者たちが結集し、世界は救われた。


 その結果として、亜人たちは人間による支配からの解放を求め、エルシニアも、彼らの国々の独立を認めた。


 今では私たちと彼らの関係は良好だ。特に現国王様は友好関係の樹立に積極的で、しばらく前に彼らと正式に同盟を結んで対等の立場を誓ったばかりだ。


 私の家の領地は亜人の国と接している。先の魔王によって世界が乱れたころ、先代は周辺から亜人の避難民を受け入れた。そのため領民には今でも亜人も多く彼らの人間とは違った力を借りて、元は荒れた山を切り開いて葡萄の栽培地を広げている。


 王太子のマーティン様も、亜人との関係については国王様のように――良好な関係を保とうと、そういう考えだったはずだ。


 その考えが支持できないから――殺そうとした?


 そういうこと?


 そんなことで、自分の兄を殺そうとしたということ?


「そんなことで、マーティン様を殺そうとしたのですか?」


「そんなこと、ではないよエリス」


 オーウェン様ははぁとため息をついた。


「国王にならなければ、国は変えられない。僕がこの国をまた昔のような大国にするんだ。僕を支持してくれる人たちはたくさんいる。サイモン公爵家もね」


 彼は、愛し気にアリエッタ様の金色の髪を撫でた。

 彼女の実家、マッケラス公爵家は王族の親戚筋にあたる大貴族だ。

 その彼らが後ろにいるのだとしたら――


「僕のために、お兄様を消してくれて、ありがとう、エリス」


 私に何ができる?


「私は……! 何もしていないわ! それに、マーティン様はまだ生きてらっしゃるのでしょう!」


 オーウェン様は首を横に振った。


「生きてたのは予想外だったけどね。兄様は本当にしぶといな。まあ、じき、死ぬよ」


 それから、私をじっと見つめる。


「ねえ、エリス、僕は君のお父様やお母様、それに可愛いディランを殺したいわけじゃないんだ」


 オーウェン様に肩を抱かれたままのアリエッタ様が囁くように言った。


「エリス、貴女がマーティン様のワインに毒を入れたのよね?」


 ――ここで、「私がやった」と言う以外の選択肢があるかしら?


 お父様、お父様、まだ幼い弟のディラン、いつも口うるさいジェイク、使用人たち……、私の大切な家族の顔が頭をよぎる。


 唇を噛み、拳を握る。


 ――私だけの、犠牲で済むのならば。


「私が、やりました」


 かすれた声を振り絞った。


 二人は満足そうに微笑んだ。


「君は、きっとそう言うと思っていたよ、エリス」


 オーウェン様はそう呟くと、水差しとパンを牢の中へ差し入れた。


「喉が渇いて、お腹も減っただろう。食べると良い」


 私は水差しを繋がれたままの両手で掴んで、喉に水を流し込んだ。

 ――毒でも入っているかもしれないと思ったけれど、喉の渇きの方が勝った。

 冷たい水がとても美味しかった。


 口元を拭って、婚約者に問う。


「――どれくらい、経ちましたか。私がここに入って」


「2日だね」


「私の家族はどうしています?」


「何も心配することはないよ。屋敷から出ないようしてもらっているだけだ」


「――家族は、どうなるんですか?」


「廃爵になって国外へ追放かな。君がやったと言ってくれて良かったよ。君のお父様は良い領主だから――、処刑なんてなったら外聞が悪い」


「ハウゼン家の領地はマッケラス家が引継ぐから安心していいのよ」


 アリエッタ様は立ち上がり、私を見下ろすと笑った。


「もともと、公爵家の領地だったものをハウゼン家に譲ったのだから、返してもらうと言ったほうが正しいかしら」


 オーウェン様も続いて立ち上がる。


「明日、お父様の前に出てもらう。そこで『自分がやった』と言うんだよ」


 その言葉だけが残されて、灯りが遠のいて行く。


 私はそれを目で追いかけることしかできなかった。


 残されたのは再び静かな、暗い空間だけ。


「――――何よ、これ」


 私は膝を抱えて唇を噛み締めた。


 水を飲んだせいか、乾いたはずの涙が戻ってきて、頬をだらだらと水がつたう。


 今まで私が見てきた世界は何だったのだろう。


 穏やかで優しい婚約者?


 そうずっと思ってきたのに。


 ふと、ずきりと頭の奥が痛んだ気がした。


 暗い冷え冷えとした牢で1人きり。


 ――前にも、


 頭の奥が割れるように痛む。


 ――前にも、こんなことがあった気がする。


 そんなはずがないわ、と言い聞かせる。


 こんなことが二度もあってたまるものですか。


 私は膝を抱える手に力を込めた。


 ◇

 地下牢に光は差し込まないので時間の流れがわからない。

 それからまた、どれくらい経っただろうか。


 また扉が開いて、兵士が入ってきて牢の戸を開けて、私を連れ出した。


 明るいところに連れていかれて、私は眩しくて目を瞬いた。

 ずっと暗いところにいたので、視界がはっきりとしない。


 兵士たちは私を侍女に引き渡し、汚れたドレスを質素な綿のワンピースに着替えさせた。


 明日王に会ってもらうとオーウェン様は言っていた。

 これからそこへ連れて行かれるのだろうか。


 私は兵士に囲まれて、玉座の間へと連れられた。


 王へと続く赤い絨毯の周りには、貴族たちが連なっている。

 そこをゆっくりと前に歩いて行く。


「お姉さまっ」


 弟の声がして私は振り返った。

 お父様……お母様……、それにお母さまに抱えられたディランが心配そうに私を見つめている。兵士が囲むように立っていて、その横には、オーウェン様がいる。


「ディラン、こっちにおいで」


 彼は、お母さまの手から抜け出して私の方へ向かおうとする弟を抱きかかえて、私を見つめてにっと笑った。


 私はぎりっと唇を噛む。「立ち止まるな」と兵士が私の腕を引っ張った。


「エリス=ハウゼンをお連れしました」


 兵士に促され、玉座の前で跪いて顔を伏せた。


「エリス――お前が、マーティンのワインに毒を入れたというのは本当か?」


 国王の声が上から降り注ぐ。


「私――」


 やっていません、と声高に叫びたかった。

 だけど。家族の顔が頭をよぎる。

 私は顔を上げ、呟いた。


「私が、やりま―――」


 その時、地響きが玉座の間を揺らした。


 全員が天上を見上げる。

 バリン!とガラスが割れる音が響き渡った。


 天井のステンドグラスを突き破って、巨大な影が玉座を覆った。

 大きな羽音を立てて、それはずしんと王の後ろに着地した。


「竜!?」


 誰かが叫ぶ。

そう、それは、巨大な翼の生えた赤いトカゲのような姿をしていて――、

 昔話や英雄譚の挿絵でしか見たことがない、竜だった。


「貴女はどうしてやっていないことをやったと言うんですか、いつも!」


 神経質そうな、知った声が耳に飛び込んで私は驚いて立ち上がる。


 竜に跨っているのは、不釣り合いな執事服を着た黒髪のひょろりとした男。

 私の屋敷の執事見習のジェイクだった。


「――ジェ、ジェ?」


 予想外の人物の登場に「ジェイク」と彼の名前を呼ぼうとして、言葉が喉で突っかかる。


「そうですよ、お迎えに来ました――お嬢様」


 あまりに普段と変わらずに彼が返事をするものだから、

 深呼吸をして、いつも通りの口調で私も返事をしてしまう。


「――どういうことよ、それにいつもって……」


「いつもですよ!」


 言っていることは全くわからなかったけれど、そう言って叫ぶジェイクの瞳が潤んでいるように見えたので、私は呆気にとられて押し黙った。いつも私のことを呆れたような顔で見てくるジェイクのこんな顔は見たことがない。


 そのとき、ずきりとまた頭の奥が痛んだ。


「思い出してください、聖女様」


 ジェイクはそう言いながら、竜の背から何かを降ろした。


「マーティン!!!」


 国王が大声で叫ぶ。

 それは、シーツに包まれた顔面蒼白の身動きしない王太子だった。


 王様の脇に並んだ兵士たちが一斉に剣を構える。

 と同時に、玉座の間の扉を押し開けて衛兵が一気に部屋に雪崩れこんだ。


「国王様――! 竜が! マーティン様のお部屋が破壊され、何者かが――!」


 広間に走り込んだ衛兵は、王の後ろで牙を剥く赤い竜を見つけ、目を見開いた。


 ジェイクはそんな周囲の様子を気にする素振りもなく、私に青い瞳を向ける。


「聖女? って言われても……」


「貴女の中に、記憶があるはずです。聖女様――いえ――マリーネ様」


 『マリーネ』


 その響きが頭の中に響き渡る。


 自分のものではない、だけど、実際に自分が見たような映像や言葉が急に頭の中に流れ込んだ。



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