前世聖女な令嬢は、王太子殺害未遂の罪を着せられました。
蜜柑
第1話 王太子殺害未遂の冤罪
私、エリス=ハウゼンはとても幸せだ。
エルシニア王国、ハウゼン侯爵家の長女として生まれて、何不自由なく育った。
お父様とお母様は私を愛してくれているし、弟のディランはとても可愛い。
……執事見習のジェイクがやたらと口うるさいのは面倒だけど、でも彼も良い人だ。
結局私のことが心配でいろいろ言ってくるのよね。
小さいころ決められた婚約者は、3つ年上のこの国の第2王子のオーウェン様。
背は高いけど、細身で本を読むことがお好きで、ちょっと控えめで気弱なところはあるけれど、優しい王子様。
将来は王太子のお兄様・マーティン様をきっとしっかり補佐して国を支えてくれるだろう、ということが想像できるような、そんな王子様だ。
私は、とても、幸せだった。
――あの時までは。
それは、王太子のマーティン様の22歳のお誕生日を祝うパーティーがあった日だった。
「お嬢様っ……ステップの練習さぼってましたね」
パーティーに行く日の朝、ジェイクがジト目で私のこと見てきたっけ。
彼は、ハウゼン家の使用人を取り仕切る執事の息子だ。将来はお父さんの跡を継いで執事になるはず。今はまだ見習だけど。
10歳年上の彼は、勉強やらダンスやらとにかく何でもできるタイプで、小さいころから家庭教師に教わってできないところなんかを、こっそり教えてくれてて、その教え方が先生よりも上手かったりしたものだから、いつの間にやら家庭教師の代わりに彼に教わるようになってたの。
それだけ才能豊かなら、執事じゃなくてもっと良い仕事があるんじゃないかって私も思うしお父様も仕事を紹介するって勧めたんだけど、うちで執事になりたいって言い張った変なやつだ。
そう、私の動きが心配だからパーティーでオーウェン様と踊るダンスの動きの確認をしましょうってジェイクが言い出して、それで付き合ったら、あいつの足を踏んでしまったんだったわ……。だって、ゆるやかな曲って逆に難しいんだもの。
そう言ったら、ジェイクはいつもみたいに溜息をついて、
「だってじゃないですよ」
って困った顔してたっけ。
それで、その後にしばらく練習させられて、それから馬車に乗ってパーティー会場に行ったわ。
「エリス! ようこそ」
王宮に着いたら、いつもみたいにオーウェン様が出迎えてくれて……、ホールに着いたらその日の主役のマーティン様と、その婚約者のアリエッタ様が挨拶に来てくれたの。
アリエッタ様は私の2つ年上の19歳。公爵家のお嬢様だけど、とっても気さくな人で、私の本当のお姉さまのように接してくれる。
「素敵なクリーム色のドレスね。貴女の柔らかい雰囲気によく似合っているわ」
「有難うございます。アリエッタ様こそ素敵なドレス」
そう言って挨拶をして、並ぶ二人を見て見惚れたわ。
金髪に青い瞳の、王子様そのもののマーティン様。
それに寄り添う、きれいな銀髪に青い瞳のアリエッタ様。
次のこの国の王様と王妃様に相応しい、完璧な二人だと思った。
事件が起こったのは、マーティン様が私の家から贈られた樽からワインを注いで飲んだ時だった。
私の家の領地――ハウゼン領は葡萄の栽培が盛んで、最近ワインをたくさん出荷するようになってて――それで、ここ最近はお祝い事の時はワインを贈るのが習慣になっていたのだけど。
「我が弟、オーウェンの未来の花嫁――僕の未来の義妹から贈られたワインを頂こうと思う。僕と同い年のワインなんだよね、エリス」
そう言われて、私は頷いた。
赤い液体がとぽとぽとグラスを満たして、アリエッタ様とグラスを鳴らして、マーティン様が先に口をつけたの。
その瞬間、叫び声が響いた――それは、アリエッタ様の声だった。
「きゃぁぁ! マーティンっっ」
マーティン様がホールの床に膝をついて口を押さえる。
口元から、ワインとは違う、紅い液体がつたって、白いシャツを赤黒く染めていた。
瞬く間に広場は大混乱に包まれて、警備兵が倒れたマーティン様を抱えて――アリエッタ様を連れて、奥へと消えて行った。
パーティーは解散、招待客はそれぞれ自分の屋敷へ戻ることになって……。
屋敷についても、私たちはドレス姿のまま客間に集まって黙り込んでいた。
「お茶でも飲んで落ち着いてください」
ジェイクが暖かい紅茶を淹れてくれたけれど、口をつける気にはなれなかった。
(マーティン様……ご無事で)
私は両手を組んで祈ってたわ。
お父様は部屋の中を歩き回りながら、不安そうに呟いてた。
「どうして――私たちの贈り物のワインを飲んで倒れられたのだ」
その時だったの。
「旦那様! 王宮から使いが……!」
慌てたような声でメイドが部屋に飛び込んでくる。
その後ろから、ざっざと足音が響いた。
甲冑姿の兵士が何人も室内に現れる。
先頭の一人が私を見つめて言った。
「エリス=ハウゼン、お前を王太子殺害未遂容疑で連行する」
――何を言われているのか、全く理解ができなかった。
「私……が、マーティン様を殺そうとした、とそうおっしゃるのですか?」
「白々しい」
「どうして? そんなことをする理由がありません!」
「弟のオーウェン様を王太子とするために、兄であるマーティン様が邪魔だったのだろう」
「そんな……!?」
「王妃となるため、お前はマーティン様を殺害しようとした」
私の腕を兵士が掴んだ。
「エリス!」
お父様が静止しようと飛び出してジェイクがそれを止めているのが視界の隅に見えた。
「オーウェン様に会わせてください! 私がそんなことするはずないと……オーウェン様ならわかるはずです!!」
身をよじった時――かしゃり、と音がして、腕に重さを感じた。
見ると、両手を繋ぐように、枷がつけられていて……兵士はそのまま家畜を引きずるようにずるずると私を引っ張った。
「エリス!」
「お姉さま!!」
お父様、お母様、そして小さな弟が私を呼ぶ声が遠くに聞こえた。
◇
放り込まれたのは、王宮の地下にある牢だった。
ドレスのまま、手枷をつけられたまま土埃に塗れた床に転がされる。
「私は! 何も知りません!!」
大声を張り上げるが、兵士はそのまま鉄格子の扉を閉めた。
「――白状しないと、一生そこにいることになる」
冷たい声だけが、暗い牢に響いた。
――それからどれくらい時間が経っただろうか。
食事も持ち込まれず、誰も訪れず、私は暗い室内に一人きりにされた。
空腹は感じなかったけれど。
喉の渇きがひどかった。
――泣かなきゃ良かったかしら。
私はぐずっと鼻をすすった。それでも頬を水がつたう。
水分がなくなってまう……。流れたそれを舌でなめると塩辛かった。
――何でこんなことになってしまったんだろう。
「殺害『未遂』って言ってたわよね……」
私は兵士の言葉を思い出して呟いた。
ということは、マーティン様は死んでいないということだ。
まだ、希望はあるわ、と身体を起こして呟く。
私は何もしていないもの。
オーウェン様や、マーティン様、それにアリエッタ様にはそれがわかるはずだもの。
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