第47話・エピローグ(後)
(何だかすごいのが来ちゃったぞ……)
付け合わせに潰してクリーム状にした芋と、砂糖とバターで煮込んだ赤い根菜もある。都会人が驚きのあまり席から立ち上がった。
「この国でこんなに豪華な料理を見ることになるとは……聖女様、あなたのファンは一流のシェフなんですね」
「はあ、まあ……」
ちょっと動揺して上手く言葉が浮かばない。ナイフとフォークを持つ手も震えてしまう。
「匂いが……匂いが『俺を食え!』って訴えてくる……美味しいをアピールしてる……」
「君の肉好きは相変わらずか」
冷ややかな声にヘルバの動きがピタリと止まる。
幻聴か? と恐る恐る声がした方を振り向けば、金髪の男が不機嫌そうに佇んでいた。
「……おや!?」
「久しぶりの再会の言葉がそれか」
「いやぁ、何でアーヴィンさんがこんなところにいるんですか」
ゴーニックからはかなり離れている。ここまでわざわざやって来る理由は何なのだろう。肉の匂いも忘れてヘルバが訊ねると、アーヴィンはふんと鼻を鳴らした。
「この国で癒しの聖女が現れたという噂を耳にした。金銭の一切を受け取らず、肉料理を求める変わり者の聖女。君以外考えられないだろう」
アーヴィンはやや早口で言うと、都会人やウエイトレスに視線を向けた。
「これと話がしたい。少しの間、二人にしてもらえないだろうか」
短いやり取りでヘルバとアーヴィンが既知の仲だと分かったのか、都会人とウエイトレスはそそくさとその場から離れていった。
「……何故、あの時突然消えた? 俺は全く気にしていなかったが、イリスが泣いて悲しんでいたぞ」
「そりゃ逃げますよ~。だって、私の正体思いっきり晒してしまったんだし」
聖獣なんて大層な名前が付けられているが、所詮は猛獣だ。これからもそんなものと一緒にいるだなんて、怖くて無理に決まっている。
ヘルバが人間側だったら絶対泣いて嫌がる。
「君がただの聖女ではないことは分かっていたんだ。あの程度で君を拒絶などしない。それに自分が本来の姿に戻っていると気付かず、馬鹿に説教をしようとしていた間抜けな獣を野放しには出来ない」
「えっ、何でそこまで分かるんですか!? もしかしてアーヴィンさん人の心を読む魔法を持っているとか!?」
「俺は聖女ではないから魔法は使えない」
じゃあ、何で分かったんだ? と瞬きを繰り返すヘルバを見て、アーヴィンが溜め息をつく。
「君は分かりやすいからな。手を出すなら、さっさと手を出していたはずだ。それをしなかったのは、フィオーナの女王がいたからじゃないのか」
「だって、母親の目の前でボコボコにはしづらいでしょ。エリ何とかはどうでもいいけど、女王様が可哀想」
「その女王は奴が魔物に殺されて、『これで楽になれる』と言ったらしいがな」
自身の地位に固執し、聖女という存在に振り回された息子に対しての言葉だったのか。その息子が死んだことで大きな問題から解放された自分への言葉だったのか。それは誰にも窺い知ることは出来ない。
アーヴィンとイリスを誘拐した罪で男爵の地位すらも奪われ、正真正銘ただのエリックになる予定だった男は、それまでの期間を屋敷で過ごすことになっていた。死罪でもおかしくなかったのだが、ランドルフが「死罪より爵位剥奪の方が苦しんでくれそう」と反対したのだ。
そして彼の予想はある意味的中したのである。
「ハイドラという予知の聖女も、今回のことを受けてフィオーナ国から離れ、他国で暮らす両親に会いに行くらしい」
「ご両親存命!?」
「こら、失礼だぞ」
そういえば、ハイドラは両親が死んだとは一言も言っていなかった。ヘルバが勝手に脳内で殺していただけだ。
「何か色々あったんですね」
「そうだな。王都の孤児院には植物を成長させる力を持つ男と、火炎の聖女とやらが居候している。聖女はどこかの国に従事していたが、それを男が連れ攫ってきたそうだ。男はやけに子供に懐かれているらしいが……」
「突然濃い情報をぶち込んできたなぁ……」
植物を成長させる力を持つ男。非常に心当たりがあるが、あまり深く考えたくない。
「さ、さあ、お肉食べよ~。でもアーヴィンさん、わざわざシェフ連れてこの国に来るなんて気合い入ってますね」
「いや、俺一人だ」
「じゃあ、このお肉は……」
「俺が焼いた。ソースと付け合わせも俺の自作だ」
「どぅえっ!?」
衝撃の事実。この人料理出来たのか!? とヘルバはアーヴィンとステーキを交互に見た。
「君は肉料理以外で褒美を求めようとしないからな。調理済みのものを買ったり、シェフに作らせる手もあるが、どうにも示しがつかない」
「だ、だから自分で作ることにしたんですか?」
「ああ。ひとまず牛のステーキはまともに作れるようになった。イリスからも合格点をもらっている」
どうやら相当な苦労を重ねたようだ。説明するアーヴィンは遠い目をしていた。
「……だが肝心の君がいないままでは、ここまで努力した意味がない」
「それって……私に屋敷へ戻れと?」
「帰って来てもらわなければ困る。そもそも、君は雇われた身だぞ。何も言わずに行方を晦(くら)ますとは何事だ」
突然説教が始まった。だがアーヴィンの声には覇気がなかった。菫色の双眸もヘルバを直視しようとしない。
緊張しているようにヘルバには見えた。
「あ、あのー……私人間じゃないんですけど」
「そんなこと、分かりきっている」
「またうっかり元の姿に戻るかも」
「そうしたら、叱り付ける。あの時のようなことは二度と起こさせない」
「あと、この国を放っておけないし」
「それは俺と父上も同じ考えだ。この国の貧困層の援助を検討している」
こんな国関係ないと言われていたら、ヘルバはきっとアーヴィンを殴っていたかもしれない。だから彼が薬師としての心を、相変わらず強く持ち合わせていることに安心した。
「いいから俺に料理までさせた責任を取って屋敷に帰って来い。屋敷の人間、全員が君を待っている」
「…………」
「……俺の隣に君がいないのは辛い」
「…………」
レムリア家にもう戻れないと思った時、心の中にぽっかりと穴が開いた気がしたのだ。美味しい肉が食べられなくなってしまうかも、と思うより先にアーヴィンたちの顔が浮かんだ。彼らとの別れが辛いと思った。
だからこうしてアーヴィンが迎えに来てくれたことが心から嬉しい。
幸せそうに目を細め、ナイフで肉を切り分けているとアーヴィンがそわそわし始めたのが分かった。
一口大に切った肉にソースを絡め、ぱくんと口に入れる。
「……どうだ」
「アーヴィンさん、これは……」
「…………」
「お店が開けますよ! 開きましょう!」
「俺は薬師だ、馬鹿者」
ヘルバとしては最大級の褒め言葉のつもりだったのだが、溜め息交じりで言い返されてしまった。解せぬ。
「それに家族と君以外に食べさせたいとは思わないからな」
「うひゃあ、私とっても贅沢者じゃないですか」
「そんなに煽(おだ)てても何も出ないぞ」
「時々でもアーヴィンさんの料理が食べられるならそれだけで十分幸せですよ」
肉の焼き加減がちょうどよくて、ソースの味付けもばっちりだ。付け合わせの野菜もご馳走に思えるくらい美味しい。
ヘルバは大輪の花のような笑顔で、大好きな肉を胃に収めていく。その最中、アーヴィンを見ると彼らしくもなく、柔らかに微笑んでいた。
そんな風に笑っていると、ランドルフさんそっくりだ。ヘルバがそう言うと、「こんな時に他の男の名前を出すな」と注意されてしまった。何故だろうか。
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