第46話・エピローグ(前)
人間というのは、自分たちの都合で好き放題やらかして自然を壊す生き物だ。それはどの国でも変わらないなと、ヘルバは溜め息を零した。
濁りに濁った茶色い川。少し離れた場所からでも悪臭が漂っていた。この地域に住む人々にとってはこれが『川』というもので、家から持参したバケツに掬って持ち帰る。それを布で濾してから生活用水として使っている。
(こんなもん飲んでたら、病気にもなるよ)
この国もフィオーナ王国に負けず劣らずの酷い国だ。国の中心はある程度豊かな暮らしが送れているが、田舎に行けば行く程貧しくなっていく。病気になっても医者がおらず、薬もないので若くして死ぬ者も多い。
ヘルバは川の中に手を入れて瞼を閉じた。
川全体が白く輝き、悪臭が消えていく。手を水中から取り出すと、汚濁していた川には美しい清流が流れていた。
「おお……! これが聖女様の力か!」
「川が透明になったわ……」
「嫌な臭いもしないぞ!」
傍で眺めていた人々からは歓声が上がった。その中には都会からやって来た者もいた。どうにかこの現状を打開しようと考えていたのだが、汚染があまりにも酷く頭を悩ませていたのだ。
そこに現れたのはヘルバだった。
「すごい……これで多くの民が救われましたよ」
「でも、放っておいたらまた汚れると思うから、その後のことはお願いします」
「はい! お任せください聖女様!」
元気に頷かれた。これなら大丈夫だろう。
仕事を終えたら、空腹感が襲ってきた。
「それじゃあ、約束通りお肉ください」
小さな食堂で出されたのは、老いた乳牛の肉を塩焼きにした料理だった。固くて筋も多く、塩や薬草を使っても肉の臭みが消し切れていないが、ここの人たちにとってはご馳走だ。ヘルバもよく味わって食べる。
食後は新聞に目を通すことにした。この町には新聞が配達されておらず、識字率も低い。当然政治に関する知識も少ない。そこで都会人が教材の一つとして大量に持って来たもので、他国の情勢も載っていた。
三ヶ月の新聞のトップを飾っていたのは、フィオーナ王国の元王太子の死去だった。
ちなみに記事のタイトルは『偽聖女に殺された愚かな男』である。
(偽聖女って私のことか?)
ヘルバは首を傾げた。何故ならエリックを殺してなどいないからだ。
アーヴィンとイリスを取り戻すため、フィオーナ王国にカチコミに行ったヘルバだったが問題が生じた。エリックの屑具合が思ったよりも強く、怒りで我を忘れて元の姿に戻ってしまったのだ。
そのことに気付かないままエリックを罵倒したのだが、それは普通の人間からすると凄まじい衝撃波となる。エリック本体は無事だったものの、彼の衣服と毛髪が吹き飛んだ。
真っ裸の禿頭(とくとう)と成り果てたエリックに、これはヘルバも驚いて我に返った。
玉座の間はボロボロとなり、エリックも生まれたての赤子がそのまま成長したような状態だ。
そして、口を開いたままヘルバを見詰めるアーヴィンとイリスの姿。
ヘルバは人型に戻ると、城の窓から飛び降りて逃走した。
それから、フィオーナ王国から遠く遠く離れたこの地までやって来たのだった。現在は正体を知られないように名前を隠し、各地を癒して回っている。
お礼に肉を食べさせてもらえるし、人間の笑顔を見るのが好きなのだ。
「そいつ、フィオーナ史上最低最悪の王族って言われてるみたいですよ。そんなんだから、死に方も最悪だったんでしょうね」
都会人が水をぐびぐび飲みながら話しかける。
「でも聖女に殺されたってのは……?」
まーた懲りずに新しい聖女を捕まえたんか!? と驚くヘルバだったが、意外な答えを返された。
「癒しの聖女ヘルバを無実の罪で処刑に追いやった偽聖女アネッサですよ」
現在も彼女は囚人生活を送っている。脱獄して直接エリックを殺しに行ったわけではない。
アネッサは遅効性の罠をエリックに仕掛けていたのである。
「アネッサはエリックに、自分の魔法の力を閉じ込めたペンダントを贈っていたようなんですがね。これがとんでもないブツだったんですよ」
ペンダントを使えば、どんな病も怪我も瞬時に治る。だからエリックは、ほんの僅かに擦り傷を作った時でもペンダントを頼った。回数が限られているので温存した方がいいと従者は止めたが、アネッサにまた同じものを作らせればいいと言って聞く耳を持たなかったらしい。
あんなにアネッサに責任転嫁しておきながら、また彼女を利用するつもりだったのだ。
そしてペンダントの力を全て使い切った時、エリックに悲劇が起こる。突然、全身に亀裂が走り、まるでビスケットのように砕け始めたのだ。
痛みと恐怖で絶叫するエリックに、従者たちは為す術もない。体中の肉が剥がれ落ちていく哀れな男の背後には、不気味な黒い何かが張り付いていた。
それが魔物であると、すぐに気付いた。気付いたが、助けを呼ぶ間もなかった。
エリックが頭から爪先までバラバラに砕けたのを見届け、魔物は醜悪な笑い声を立てながら消えたという。
「ああ、なるほど。ペンダントの力っていうのは……」
記事を読んで、ヘルバは頬を引き攣らせた。
アネッサがペンダントに込めたのは魔法の力ではなく、魔物の力だった。アネッサは魔物と契約して、癒しのペンダントを作ったのである。
限られた回数分使った後、魔物が現れて対価であるエリックの命を奪う。それが契約の内容だった。
結婚後、エリックが死ねば自分が次の女王となり、国を動かせると思った。アネッサはそう語ったらしい。
これが真実の愛の末路だった。
「エリックはアネッサに乗り換えてヘルバを死に追いやるわ、他国の貴族を誘拐するわでほんと人間の屑でしたからね。そんな奴を心から愛せるわけがないんですよ」
「……あの国はどうなるんですかね?」
「第二王子が王位継承権を獲得したようです。まあ、あっちは結構まともな性格みたいですから、何とかなるでしょう」
酒を飲んでもいないのに陽気なご様子の都会人は、そう言って硬い肉を口に放り込んだ。
自分の存在があの国をおかしくさせてしまったのかもしれない。そんなことを考えながらヘルバも肉を食べようとすると、「聖女様」とウエイトレスに声をかけられた。
「聖女様に自分の作った料理を、是非食べてもらいたいという方がいらっしゃいまして。ご用意してもよろしいでしょうか?」
「えっ、食べたいです食べたいです!」
「何でもその方は聖女様の大ファンらしいですよ。あなたを捜してここまでやって来たとのことです」
「え……」
ヘルバの脳裏に浮かぶのは、エリック二号の文字だった。変な薬が混じっていたらどうしよう。いや、聖獣に人間の薬なぞ効きやしないのだが。
若干緊張しつつ待っていると、ウエイトレスがヘルバの前に皿を置いた。
上質な肉の匂いと、赤ワインを含んだソースの香り。久しぶりに嗅ぐそれに、ヘルバは大きく目を見開いた。
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