第38話・襲来後

 どうしたのかとイリスの顔を覗き込むと、彼女は嗚咽を漏らしながら涙を流していた。


「イリスさん!? 何かあったんですか!?」

「こ、怖かったのです」


 弱々しい声での言葉を受け、ヘルバの脳裏に浮かんだのはエリックにキレ散らかす自分の姿だった。

 小さな子を怖がらせてしまうとは。慌てて謝ろうとするヘルバだったが、イリスの腕の力が強くなった。


「ヘルバ様があの男の人に連れて行かれてしまうと思いました……」

「イリスさん……」

「ヘルバ様だって辛い思いをされていたのに、私は何も出来ませんでした。レムリア家の人間として、お兄様の代わりにヘルバ様をお守りしなければならなかったのに……」

「代わり? アーヴィンさん何かあったんですか?」


 そういえばランドルフがいるのに、アーヴィンの姿が見えない。あんな珍客が来たのだから、すぐにでも駆け付けそうなものだが。

 ヘルバの問いに答えてくれたのは兄妹の母だった。


「アーヴィンは今眠っております。暫くはどうしたって目覚めないでしょうね」

「えっ!?」


 ヘルバはぎょっとした。屋敷に戻った後、彼の身に何かが起こったのだろうか。それとも毒の影響がまだ残っている可能性もある。

 焦るヘルバの様子を見て、レイアは更に言葉を続ける。


「あの子、ランドルフやわたくしが今日はもう休みなさいって何度も言っているのに、神水に混入されていた毒の成分をもっと詳しく知りたいって地下に行こうとしたの」


 とびきりの薬師根性である。


「だから、睡眠薬を混ぜた紅茶を飲ませて眠ってもらいました」


 そして息子の暴走を止める手段がえげつない。


「ですからアーヴィンが眠っている間は、わたくしたちがヘルバさんをお守りしなければなりません」

「尤も起きている時も全力で守るつもりだけどね」

「ありがとうございます……ただ、私こんな感じだから守りがいがないような……?」


 これはヘルバの問題なのである。フィオーナ王国と密接な関係のレムリア家には、迷惑をかけたくないと思うのだが。


「確かにあなたはとても強い人よ。だからと言って、守らなくてもいいというわけではないのですよ」


 レイアに頬を優しく撫でられる。イリスもヘルバの手を両手で強く握り締めている。

 強いのに守られてもいいのか……とヘルバが狼狽えるのを見て、ランドルフがくすくすと笑う。


「守りたいと思うのは、その人が弱いからって理由だけじゃないんだよ。大切にしたいからでもあるんだ」




 エリック襲来イベント後、ハイドラは早急にフィオーナ王国に帰ることになった。


「もう行っちゃうんですか? もっとゆっくりしていけばいいのに……」

「そういうわけにもいきません。本来私はフィオーナ国から離れてはならない立場にあります。それを今回、許されたのですから」


 生きにくそうだなぁ。そう思ってもヘルバは口に出さなかった。我が身全てをあの国に捧げたハイドラの生き方を否定するような気がしたからだ。


「憧れのヘルバ様とお話が出来たこと、大変嬉しく思います。土産話を持ってすぐにでも遠くにいる両親の下に行きたいくらいです」

「土産話の鮮度が落ちるまで、もう少し待ってみてもらえます? 多分熟すと風味が増すと思うので……」


 この後すぐに両親の下に逝かれるのは気まずい。娘の死因がおはな死だと知ったら、祟られるかもしれない。

 背中に変な汗を流しながらヘルバが説得を試みていると、ハイドラは「冗談でございます」と悪戯っ子のような顔で言った。

 気のせいだろうか、最初会った時よりいくらか若返っているような……?


「ヘルバ様にお会いすることは予知で知っていましたけれど、こうして実際に会うと胸が温かくなりました。こんなに嬉しい、楽しいという気持ちになれたのは久しぶりです」

「あはは……よかったです……」

「ではヘルバ様、また近いうちにお会いする時を楽しみにしております」


 そう言ってレムリア家の屋敷を後にしたハイドラに、ヘルバは首を傾げた。

 まるでヘルバと再会すると分かっているような言い方が引っ掛かる。

 またハイドラがゴーニック王国にやって来るのだろうか。


 それとも、自分がフィオーナ王国に……。

 有り得ないなと、ヘルバはすぐにその考えを頭の中から追い出した。



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