第36話・襲来

「いいからヘルバを出せ! 彼女に会って話がしたいんだ!」

「ヘルバ様は他のお客様とお話をされてます。どうぞお帰りください」


 エントランスに急ぐと、他のメイドがエリックの対応をしていた。敬語で丁寧に応対しているが、「とっとと帰れこの野郎」という心の声が聞こえてくるようである。


「ヘルバに『君の婚約者が来た』と伝えろ。一体誰だか知らないが、ヘルバなら他の客よりも僕を優先するに決まっている!」


 メイドの秘めた怒りに気付いていないのか、エリックがそう要求する。


(来客、お宅んとこの聖女さんなんだが)


 あれを優先するつもりは更々ないが、これ以上メイドに要らぬ気苦労をかけたくはない。仕方ないので、要望通り会ってやることにする。


「あのー、何の用ですか?」

「その声はヘ……ヘルバ?」

「へい」


 数時間ぶりに再会を果たしたエリックの顔には、ヘルバに殴られた痕跡が残っていなかった。おや? と思いつつヘルバが適当に挨拶すると、エリックは信じられないものを見るような眼差しを向けてきた。


「き、君、ヘルバなのか?」

「? そうですけど」

「そんなに愛らしい見た目をしていたか!? さっき、街中で会った時は以前と変わらない姿をしていたのに!」


 困惑気味に叫ばれてヘルバは気付いた。フィオーナ王国でエリックと出会い、脱獄するまでずっと見た目がアレのままだったことを。

 そして毒騒動で魔法を連発したことにより、肌はガサガサ髪もパサパサになっていたが、フライドチキンで栄養補給したせいか元に戻った。

 レムリア家の使用人たちは、ヘルバの体質を知っている。なので突然美少女になっても驚かないが、何も知らないエリックは衝撃を覚えているようだった。

 目を輝かせながらヘルバに駆け寄ろうとするので、半ギレのメイドが前に立ち塞がった。


「ヘルバ様の容姿に関して知らずにいたようですが、あなたは本当にヘルバ様の婚約者なのですか?」

「うるさい、僕はフィオーナの王太子だぞ! そんな目で見るな!」


 問いに答えることなく、エリックはヘルバを守ろうとしていたメイドを突き飛ばした。


「うちのメイドに何しとんじゃあ!!」

「ひっ」


 ヘルバはよろけたメイドを支えながらキレた。その気迫に今まで強気だったエリックが、びくっと小動物のように震える。全くと言っていいほど可愛くない。


「な、何を怒っているんだ、ヘルバ? 僕たちの話を邪魔しようとする使用人を咎めただけじゃないか」

「だったら突き飛ばす必要はないでしょうよ。というか、初対面のメイドにそんな横柄な態度を取っていいと思ってんですか?」

「僕は王太子だ。あらゆる人間を見下していい権利を持っている。いや、これは義務と言ってもいい」


 それがフィオーナ王国の決まりなのかは知らないが、ここはゴーニック王国である。この国にはそんなルールなど存在しない。

 

「ヘルバ、僕は君とやり直したくてずっと探していたんだ。食事が好きな君のことだから、もしかしたらバザーに来ているかもしれないと、こちらまで足を運んで正解だったよ。毒騒ぎの最中に癒しの聖女が現れたと聞いた時には、感動で涙を流してしまった」

「やり直すって、私お宅に罵倒されて処刑されかけたんですが」

「ああ、それは僕も恥じている。あの時、僕はアネッサに騙されていたんだ」


 悲しげに顔を歪めながらエリックが言う。


「アネッサは自分がフィオーナ国を救った聖女だと騙り、僕に近付いたんだよ」


 この男、アネッサが暗くて冷たい場所で臭い飯を食べているのをいいことに、全ての罪を彼女に押し付けようとしている。

 半目になりながら溜め息をつくヘルバに、エリックは手を差し出した。


「僕はあの女に惑わされて未来も、王太子の座も、君も失った。そこでようやく目を覚ますことが出来たんだ。この手を取るんだ、ヘルバ。君が隣にいれば僕はいくらでもやり直せる」

「そんなもん、私がいなくてもやり直してくれません?」


 他力本願教に縋っているくらいなら、もっとやることがあるだろうに。ヘルバの言葉に同意するように、二人のやり取りを見守っていたメイドたちも頷く。

 予想外の展開だったのか、エリックはむっと眉を顰めた。


「何だ、処刑の件をまだ根に持っているのか?」


 声も低くなった。拒絶されたことによって、化けの皮が剥がれかかっている。


「僕の妻になれば、君は王太子妃になれる。そんなことも分からないほど無知ではないだろ?」

「無知でいいんで、とっととお帰りくださいよ。私も大切なお客さんをいつまでも待たせたくないんです」

「こ、こんな小屋のような家で使用人のような扱いを受けているより、僕の屋敷にいる方がずっといいはずだ」

「お宅のところに戻るくらいなら、犬小屋生活の方がマシですね。その方が私にはぴったりですよ」


 どんな言葉もヘルバを動かすには至らない。ついに実力行使に出ようとエリックはヘルバの腕を掴んだ。


「僕の言うことを聞け! 世間知らずの小娘にしっかりと教育してやる!」

「教育って気持ち悪いわ! 私が世間知らずならお前は恥知らずだからな!!」


 ヘルバが手をあっさり振り払ったと同時に、「何だか楽しそうだね」とのんびりとした声が背後から聞こえた。


「あ、ランドルフ様」

「やあ、盛り上がっているみたいだから様子見に来ちゃった」


 レムリア家の主がニコニコ笑顔でエリックへ視線を向ける。その緋色の目は笑っていなかった。


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