第26話・串焼き
「どんなに誘われても、絶対に知らない奴についていくんじゃないぞ」
「分かってます、分かってます」
「くっ、食い物のことしか考えていない顔をしている……」
失礼な! とヘルバは思った。ちゃんとイリスたちへのお土産を買うことも忘れていない。
そろそろバザーが始まる。ヘルバはアーヴィンと薬のチェックを終え、このまま王都をぶらぶらと練り歩くつもりだが、他の使用人はある程度買うものを決めているらしい。
特にパトリックはデザート類を集中的に攻めるようで、その中には孤児院が販売する予定だったゼリーも含まれていたらしい。クリスティラの花びらを使うことを知っていたら、血の涙を流しながら悔しがったに違いない。
「どうせならアーヴィンさんも一緒に回りましょうよ」
「俺はギルドに残って事務作業をしている。あれだけイリスに行くなときつく言っておいて、俺が回るのはおかしい」
「そうですか、残念」
このまま一緒に回れたら……と思ったのだが、そういうわけにもいかないようだ。
「じゃ、行ってきます」
「ああ。……もう一度言うが、くれぐれも見知らぬ者にはついていかないように。君は見た目がそこらの女よりもいいらしいからな」
「心配しなくても私くらいの歳じゃ、食べ物に釣られて騙されるなんてありませんよ。強引に連れて行かれそうになったら、そいつの腕を引き千切ればいいだけの話だし」
「そうだな。……いや、そうじゃないぞ!?」
一度納得しかけたアーヴィンだったが、問題発言を聞き逃すことはなかった。出発しかけたヘルバの手を慌てて掴んだ。
「千切るな! 正当防衛で済ませられる程度でやれ!」
「……じゃあ折る程度で済ませるのは?」
「骨折……よし!」
「よし!」
許可が下りたので、嫌な匂いがする人間が近付いた時はボキボキ折って行こうと思う。
バザーの始まりは、大きな鐘の音が知らせてくれた。王都の中心の塔で鳴らすのだという。
それと共に、人の数が一気に増えたように感じる。
それから色んな食べ物の匂い。肉、魚、野菜、果実。幸せな空間だ。歩いているだけで涎が垂れてしまいそうだった。
「人もすごいけど、料理もすご……ハッ」
ヘルバの鼻が香ばしい匂いを捉えた。現場に急行すると、如何にも職人といった出で立ちの老人が、串に刺さった肉を網で焼いていた。
しかもただの串焼きではない。
「何だろ、あれ……」
茶色いソースを刷毛を使って塗っている。不思議な匂いだ。あんな色をしているのに、豆の匂いが微かにする。
皆美味しいと知っているのか、串焼き屋の前には長蛇の列が出来ていた。それに釣られるようにヘルバも最後尾に並ぶと、若い男が近寄って来た。
「嬢ちゃんもここの串焼きのファン?」
「いえ、今初めて知ったばかりなんですけど……」
「ここの串焼きは、豆を発酵させて作った調味料と砂糖で作ったソースがほんと美味しいんだよ。俺は毎年あれを食べるために、バザーに来てるようなもんなんだ」
前にイリスからそんなソースがあることを教えてもらった気がする。これは期待出来そうだと胸を膨らませていると、そわそわした様子の男に再び声をかけられた。
「よかったら一緒に見て回らない? ここ以外にも美味しい屋台教えてあげるから」
「すみません、私一人で回りたいです」
「え? こんなに美人なのに? 勿体ない!」
勿体ないの意味が分からない。ヘルバはどうやら人間たちから見て容姿がいい方らしいが、そんなの知ったことではない。
どうやって断ろうかと思っていると、男に腕を掴まれた。
「いいじゃん! 俺と一緒だったら君は寂しくないし、俺だって気分がいいし!」
おっ、折るか? とヘルバが拳を握った時だった。男の肩を背後から叩くがっしりとした手。
「ん? 何だよ、邪魔すん……ぎゃっ」
男より一回りどころか二回り大きなマッチョが二人立っていた。そして驚く男の両腕を掴み、人混みの中に消えて行く。
ヘルバが呆然としていると、一人の老婦人が駆け寄って来た。
「あなた、アーヴィンさんのお手伝いさんよね!?」
「あ、青果店の」
先日、アーヴィンと共に薬を届けに行った青果店の奥さんだ。
「大丈夫だった? 変な人に絡まれていたみたいだけど」
「謎のマッチョ×2が連れ去って行きました」
「あの子たち、私の息子なの」
「えっ」
「気を付けてね、バザーには女の子に声をかける人がたくさんいるのよ」
「あ、ありがとうございます……」
そういった輩がいることより、こんな小柄なおばあさんの息子があんなにマッチョという事実の方が衝撃だった。しかも×2。
「おばあさんはバザーで何か買うんですか?」
「そうねぇ……この歳になると食べられるものも少なくて。けれど、ゴーニックの神水は飲みたいわね」
「ごーにっくのしんすい?」
「錬金術師の方々が一年かけて作り出した純度の高い水の魔石があってね。神水はその魔石から生まれたお水のことで、それを飲むと一年平和に過ごせるって言い伝えがあるの」
「へぇ~……」
たかが水を飲んだ程度で幸せになれるとは思わない。ヘルバはそんな言葉の代わりに、ふんわりとした相槌を打った。
「毎年お昼頃になると王都中に配られるの。楽しみだわぁ」
「じゃあ、私も飲むことになるのか……」
言い伝えは全く信じていないが、どんな味がするのかは気になる。少しだけ楽しみだ。
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