第23話・不審

 ドライフルーツ入りのクッキー。ナッツに樹液で作ったソースを絡めたもの。果汁と花の蜜を煮詰めて作った飴。そして庭から摘んだ花で作った小さな花束。

 それらを持ってアーヴィンはヘルバの下にやって来た。おかげで彼からは甘い香りが漂っている。


「どうしたんですか、そのお詫びの品フルセット」

「使用人たちが無理矢理俺に押し付けた。これでイリスの機嫌を取れということだろう」

「そうすか」


 アーヴィンはこのように言っているが、少なくとも花束は自分で調達したものだろう。彼が庭に向かって行く姿をヘルバは窓から目撃している。

 イリスの部屋へ向かう最中、アーヴィンは死地に向かう兵士のような面構えをしていた。兄妹喧嘩で仲直りしに行くだけじゃねえか! と突っ込みたくもなるが、本人にとってはそのくらい深刻なのだ。ヘルバはそっとしてやることにした。


 イリスの部屋のドアを数回ノックする。ヘルバが。


「イリスさん、ヘルバです。お部屋お邪魔してもいいですか?」

「……ヘルバ様?」


 ドア越しに聞こえたのは、イリスのか細い声だった。ヘルバの横でアーヴィンが肩を小さく揺らした。


「アーヴィンさんも一緒にいるんですけど、大丈夫ですか?」

「……どうぞ」


 了承はしてくれたが、その声が一瞬強張った。それが自分に対する嫌悪によるものだと思ったのか、アーヴィンが硬直したのでヘルバは彼の背中を叩いた。カヒュッと変な息が出た。


「一体何を……!」

「喝を入れたつもりだったんですけど、思ったよりも強く……」

「内臓が出るかと思ったぞ」


 とは言うものの、気を紛らわせることは出来たようだ。アーヴィンは深呼吸してから自分でドアを開けた。

 暗い部屋の中で、窓辺で佇むイリスの姿があった。よく見ると目元が赤くなっており、ふっくらとした頬には涙の痕が残っていた。


「イリス、俺は……」

「さ、先程は申し訳ありませんでした、お兄様……!」


 アーヴィンが言葉を終えるより先にイリスが頭を下げた。


「お兄様は私だけではなく、この家の皆さんのことを考えて私を止めてくださっていたのに……それを私もちゃんと分かっていたはずなのに……あんな酷いことを言って申し訳ありませんでした」

「……謝るのは俺の方だ。頭を上げてくれ、イリス」

「え……」

「お前がバザーに行くと言い出した時点で、その理由を知るべきだった。なのに、リスクを排することばかり考え、お前の気持ちを微塵も理解しようとしていなかった。……兄失格だ」

「そんなことはありません!」


 淡々と、けれど顔を歪めて自らを貶すアーヴィンに、イリスが大きく首を横に振った。


「お兄様は立派な方です! ……それにこれは私の我儘ですから」

「いいじゃないですか、たまには我儘言ったって。イリスさんはどうしてバザーに行きたかったんですか?」

「お兄様、最近ご自分で進んで食事をなさるようになったでしょう? 美味しいご飯を食べている時のお兄様はとても幸せそうなのですよ」


 アーヴィンをしっかりと見据えながら、イリスは優しく微笑む。その顔を見てヘルバは、恐らくアーヴィン自身もイリスの意図に何となく気付いた。


「屋台で色んな料理出ますもんね。それをたくさん持ち帰って、アーヴィンさんに食べさせたかったとか?」

「は、はい。ですが、それでお兄様を困らせてはいけません。ですからバザーは……」

「使用人に頼む」

「お兄様?」

「アーヴィンさん?」


 お詫びの品フルセットをテーブルに置き、アーヴィンはイリスの両肩を掴んだ。並々ならぬ熱意が伝わって来る。


「使用人に屋台の料理を買って来てもらう。それを皆で食べよう」

「お兄様……」

「すまない。お前の願いを叶えるにはこうするのが精一杯だ」

「いいえ、謝らないでください。お兄様、ありがとう……大好きです」


 親愛と感謝を込めたその言葉に安堵したのはアーヴィンだけではなかった。内心、自分もバザーに行けなかったらどうしようと焦っていたヘルバもだった。

 アーヴィンの助手のようなポジションなので、給金は一応貰っている。それでバザーを楽しむ気満々だった分、絶望感が半端なかったのだ。


(ありがとう……ありがとう、イリスさん。あなたの兄を思う心が私も救ってくれた)


 イリスはヘルバにとって小さな聖女だった。


「任せてください。美味しいのいっぱい買いまくりますよ!」

「ありがとうございます、ヘルバ様!」

「君、まさかと思うが、そのついでに屋台の料理を食べまくるつもりだな……?」

「そんなことしませんよ。ただアーヴィンさんたちのお口に合うものか確かめるために、買うことはあると思いますけど」


 親指を立てるヘルバの脳内では、既に美味いもの市が開催されていた。




 バザー当日の朝、ヘルバは馬車の中で欠伸をしていた。それを見たアーヴィンが「寝不足か?」と呆れた口調で問いかけた。


「そうなんですよ。今日が楽しみすぎてあんまり寝られなかったんです……」

「だったら、こんな時間に付き合わせて悪いことをしたな」

「いえいえ。早起きはいいことがあるって言うじゃないですか」


 馬車の行先は薬師ギルドの本部だ。アーヴィンは月に数回、こうして朝早く本部に赴いているのだという。


「ギルドの地下は薬の備蓄庫になっていてな。数量や質のチェックをしているんだ」

「へぇ~。マメですねぇ」

「有事の時に足りていないということがあると困るからな」


 備えあれば憂いなしということだろう。

 しかし、まだ空が白み始めた頃だというのに、街には既に人が集まっていた。バザーの準備を行っているようだ。


「孤児院の皆も準備してるのかな……」

「彼らは午後に売り出す予定らしい。そろそろクリスティラを使ったゼリーを作り始める頃かもしれないな」

「あ、噂をすれば」


 孤児院が見えて来た。と、誰かが孤児院を飛び出して行った。


「……何だ、あいつは」


 アーヴィンが眉間に皺を寄せる。


「今の奴は孤児院の人間ではなかった」

「確かに……それっぽくなかったですねぇ」


 顔を布で隠しており、茶色のフードを被っていた。背丈からして恐らくは男だろうが……。

 ヘルバが首を傾げていると、アーヴィンは御者に馬車を停めるように指示していた。


「薬のチェックの前にこっちだ。何か嫌な予感がする」

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