第22話・兄妹喧嘩

 孤児院が参加するバザーは、毎年王都で初夏──つまり今頃に開催される一大イベントらしい。王都以外からも大勢の人々がやって来て、一年で一番の盛り上がりを見せるという。

 それもそのはず。バザーでは様々な多くの屋台が立ち並び、普段食べる機会のない料理や食材と出会えるのだ。可愛らしい小物やアクセサリーを販売する店もある。

 ゴーニック王国では建国記念日よりも賑わいを見せる日である。


 尤も、レムリア家には関係のない話だが。


「どうしてですか! 使用人の方々もご一緒してくれるのなら、いいではありませんか!」

「馬鹿者。公爵家の人間があんな人混みの中を出歩くなど危険に決まっている」

「変なお店には立ち寄りません。使用人からも離れたりしません。知らない方にもついていきません。それでも駄目なのですか?」

「くどいぞ、何度も同じことを言わせるな。お前をバザーに行かせるわけにはいかない」


 夕食時、食卓では兄妹の白熱した口論が繰り広げられていた。二人を止める役割を持つランドルフは、会食に出向いているので不在だ。レイアは子供たちの言い争いに口を挟むことなく無言で食べ進めているが、気になっているのか何度もイリスを見ている。

 ヘルバも牛肉のステーキを頬張りながら、二人を見守っていた。


 バザーに行きたいと駄々を捏ねるイリスと、危ないから駄目だと反対しているアーヴィン。ヘルバとしてはどちらの気持ちも理解出来る。

 過去に公爵家の令嬢がお忍びでバザーに参加したところ、ゴロツキ共に身代金目的で誘拐された事件があった。しかも、その令嬢は誘拐後すぐに殺害されていたという悲惨な結末を遂げている。

 そのような事件があってからというもの、貴族がバザーに参加することは少なくなった。


 アーヴィンがイリスのバザー行きを許可しないのも当然だった。しっかり者と言っても、彼女はまだ幼い少女だ。


「で、ですが……たくさんの屋台で食べ物を買って……それで……」

「イリス。何かあったらどうするつもりだ。困るのはお前だけではないんだぞ」

「……もういいです」


 イリスはスプーンを置くと、まだ食べ終わっていないのに椅子から立ち上がった。アーヴィンが溜め息をついてから注意しようとしたが、その声は直前で止まった。

 妹の瞳が涙で潤んでいるのを見てしまったからだ。


「お兄様の馬鹿! 大嫌いです!」


 そう叫び、イリスは廊下に飛び出していった。それをメイドが慌てて追いかけていく。

 あーあ、やっちゃったぞ。ヘルバはちらりとアーヴィンを見るが、彼は平然とした様子でスプーンをスープの海に沈めていた。


「あれはたまに聞き分けが悪い。誰に似たんだろうな」

「アーヴィンさん、大丈夫ですか」


 アーヴィンの手はガタガタと震えており、スープがスプーンから零れて器へと帰っていく。大嫌い発言は思ったよりも破壊力があったようだ。


「……イリスの気持ちも分かるのですけれどね」


 最悪の形で終わりを迎えた口喧嘩に、レイアが嘆息する。


「アーヴィン、だから言ったでしょう。わたくしが説得すると……」

「母上が言ったところで、イリスは引き下がらなかったかと。これでよかったのです」

「これでよかったって、あなた大嫌いって言われたじゃない……」

「俺は全く気にしていません」


 これほど分かりやすい嘘もあるまい。平静を装っているが、手の震えが止まらずにいるアーヴィンを見てヘルバは苦笑した。


「イリスさん、ただ単純に行きたいっていうより、ちゃんとした理由があったみたいですけど」

「それを聞いてどうするんだ。どんな理由があっても、イリスをあんな危険な催しに行かせるつもりはないぞ」

「だから頭ごなしに行くなっていうんじゃなくて、まずはイリスさんの話をじっくり聞いてみましょうよ」


 イリスのことだ。暫くすれば兄を罵倒したことを反省して、バザーに行くのも諦めそうだがそれは少し可哀想だろう。

 ヘルバがそう提案すると、アーヴィンはじっとこちらを見た。


「俺はイリスが余計なことをしなければ、それでいい」

「はぁ……」

「………………そんなに気になるのなら、君が聞いて来ればいいじゃないか」


 長い沈黙のあと、アーヴィンは視線を逸らしながらヘルバに言った。レイアが小さく噴き出す。

 ヘルバとしては別に引き受けてもいいのだが……。


「私は聞きませんよ」

「何故だ。言い出したのは君じゃないか」

「イリスさんを怒らせたのアーヴィンさんだし。それにバザーに行く行かないってなった時に、私が口を挟もうとしたら『これは俺と妹の問題だ』って言ってきたのもアーヴィンさんですよ」

「………………」


 だからヘルバは黙って兄妹を見守っていたのだが、その結果がこれだ。


「……だが、イリスもすぐに俺が聞きに行けば気まずいと思う」

「まあそうですね」

「だから……君が一緒にいた方が話がしやすいのではないだろうか」


 アーヴィンが仔犬のような目で見てくる。何を訴えているのか、ヘルバには手に取るように分かった。

 この薬師、妹に大嫌いと言われたのがかなり堪えたようだ。声にも覇気がない。

 ここでアーヴィンを見捨てるほどヘルバもドライな性格ではない。


「あーもーはいはい! 言い出しっぺは私ですからね! 一緒に行きますよ!」


 半ばやけくそでヘルバが自分の胸を叩いて宣言すると、アーヴィンからは「当然だ。そのくらいはしろ」と偉そうな言葉が返って来る。仔犬成分どこ行った?

 スープを飲んでいたレイアが「ンフゥッ」と変な声を出して噎せていた。

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