第17話・薬を届けに

 翌日、レイアは世にも珍しいものを見た。

 アーヴィンが自らの意思で朝食を食べに来たのである。イリスとエレナは嬉しそうにしており、使用人の中には感極まって涙を流す者もいた。


 ちなみにヘルバは、庭師が今朝方梯子から落下して足を捻挫したと聞くと、すぐに彼を治しに行った。

 食事を誰よりも楽しみにしている彼女だが、傷付いた者は放っておけない。心優しい少女である。

 そんな彼女も庭師の下に向かう前、アーヴィンが食卓に加わっているのを見て、「朝ご飯は大事ですからね!」と笑顔で言っていた。


「アーヴィンと一緒に朝食をいただくのは久しぶりねぇ」

「……あの聖女がうるさいので」

「あら、ヘルバさんのおかげなのね!」


 素っ気ない物言いのアーヴィンだったが、エレナはヘルバが絡んでいると知り、ますます喜んでいる。ひょっとすると、義母は孫とあの聖女がお似合いだと思っているのかもしれない。


「まったく、呑気に朝食を摂っている場合ではないのに……」


 こんな風にぶつぶつと文句を言うアーヴィンだが、レイアは息子が食べることが大好きなのを知っている。小さな頃は食事の時間になると、ソワソワした様子で料理が運ばれてくるのを待っていたくらいだ。

 しかし薬師になってからは、仕事の方に専念し過ぎるあまり、食に対して希薄になっていた。いや、もしかしたら単に我慢していただけなのかもしれないが。


「アーヴィンは昨日、ヘルバさんに無理矢理ご飯を食べさせられたんだよね?」

「そうです。散々な目に遭いましたよ。挙げ句、食べている時の俺の顔が大好きだと抜かしたんです」

「へえ、よかったね」


 朗らかに笑いながら、相槌を打つランドルフ。

 しかし、アーヴィンは不機嫌そうな表情で愚痴を続ける。


「大好きだなんて言っておけば、俺が言いなりになると思っているんですよ、あの女は。俺は大好きと言われたくらいでどうにかなる男ではありません。そんな安っぽい言葉はもう聞き飽きました。たとえ、大好きという言葉が本心から来るものだったとしても、俺が絆されることは絶対に有り得ませんよ」

「ヘルバ様に大好きって言ってもらえてよかったですねぇ、お兄様」


 慈愛に満ちた笑顔でイリスが兄にそう言った。

 一方、レイアは一抹の不安を抱えていた。

 この息子、元来の性格のせいでかなり面倒臭い初恋をしてしまっているのでは、と。




 透明な容器に固形の薬を必要な分だけ入れていく。

 その他にも軟膏や湿布、消毒液から湿布まで、飲み薬以外にも大量に用意した。


「あれ? 昨日はあんなにキラキラしてたのに……」


 ルヴィアフィネ草から精製した薬は、まるで宝石のような透明感のある赤から、うっすらとしたピンク色に変わっていた。

 他の薬も淡い色合いをしているが、それぞれ色付きの容器に入れているので見分けがつく。あと、薬の表面を見ると、うっすらと文字が刻まれている。

 ヘルバが不思議がっていると、アーヴィンが理由を教えてくれた。


「色は外気に触れると、抜けるようにしている」

「これはこれで綺麗だと思いますけど、何でそんな勿体ないことを?」

「あのままだと薬を宝石と偽って、転売しようとする人間が多いからだ」


 アーヴィンは呆れ気味に言った。

 薬師や宝石鑑定士の目は流石に誤魔化せないが、素人なら騙される人間は多いらしい。しかも、それが発覚すれば転売した本人だけではなく、場合によっては調合した薬師も処罰の対象となる。

 それを防ぐために錬金調合で精製した薬は、見た目を変化させてから客に渡すそうだ。


「それじゃあ、あの綺麗な薬は出来立ての時しか見られないんですね」

「出来立てとは何だ。パンや料理みたいな言い方をするな」


 荷物を馬車に詰め込みながら、アーヴィンが冷ややかな声で言う。


「それに綺麗なだけで何の役にも立たないのなら、意味なんてないだろう」

「綺麗ってだけで意味はありますよ」

「……やけに食い下がるな。宝石に興味があるのなら、買ってやるぞ。安物だったらすぐにでも買える」

「えっ、宝石なんて見た目がよくても硬くて食べられないじゃないですか。だったら飴玉の方が嬉しいですよ」

「…………綺麗なだけで意味があると言ったのは君だぞ」

「それはまあ、そう言いましたけど……」


 綺麗なものを綺麗だと思う心はあるが、甘くて美味しい飴玉には勝てない。食べられる宝石なんてものがあれば、是非とも実食させていただきたいが。




 レムリア家の屋敷はゴーニック王国王都の中心部にあり、当然薬を注文する客も王都の人間が殆どだった。

 青果店の老夫婦は、サフィリア草で精製した関節痛を抑えるための軟膏。

 肉屋のごつい見た目の店主は、トパーリオ草やルヴィアフィネ草などを調合して作った疲労回復のドリンク。

 酒屋の女主人は、アメジスティーヌ草で精製した二日酔いを和らげる薬。

 皆喜んで薬を受け取っている。アーヴィンの側にいる少女は何者なのかと周囲はざわついていたが、本人は露店の串焼きに目を奪われて、自分が注目されているとは気付いていない。

 やがて、アーヴィンはヘルバを馬車から降ろさなくなった。


「私串焼きを見てる時涎垂らしてましたか……?」

「垂らしていないから安心しろ」

「へい……」


 何はともあれ、次で最後の客である。

 解熱鎮痛剤や胃腸薬などの基本的な薬。それから大量の傷薬、包帯、ガーゼなど。


「怪我をしやすいお客様なんですか?」

「大人しい奴は大人しいが、馬鹿みたいに走り回っては転ぶ奴もいる」

「……?」


 やがて馬車が煉瓦造りの古びた建物の前で停まる。

 そこは、身寄りのない子供たちを引き取って育てている孤児院だった。


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