第11話・聖女の怒り

 昨夜、アーヴィンは近隣諸国で起こった主な大事件に目を通していた。

 その中にはフィオーナ王国での偽聖女騒動も含まれていた。癒しの聖女を騙った女が王太子を誑かし、王太子妃になろうと企てていたが、本物の聖女が現れたために計画は頓挫。王宮にて処刑が執り行われたという内容だ。

 それも、ヘルバがレムリア家にやって来た当日のことである。

 処刑された聖女の名はヘルバ。自分たちを救った聖女の名もヘルバ。面白い偶然もあるものだとアーヴィンは思ったそうだ。


「……それは本当ですか」

「嘘を言ってどうする」

「で、ですよねー……」


 アーヴィンの言葉は真実だ。それは分かるが、フィオーナ国の思惑が読めない。逃げ出したヘルバを放置して、処刑を執行したと公表するなんて予想外だった。


「というわけだ。君が足早に屋敷から去る理由はなくなったぞ」

「そんなサラッと言われましても、私がずっといる理由もないですし……」


 まだ出会って間もない人からここがお前の居場所みたいに言われても困る。それがヘルバの本音だった。

 そのことはアーヴィンも察しているはずなのに、何故か彼は食い下がってくる。


「レムリア家が君に受けた恩はあまりにも大きい。食事を数回提供した程度で返し切れるものではない」

「私は返してもらったと思っているんですけど……アーヴィンさんは納得がいかないと」

「……当然だ」


 一瞬の沈黙のあと、アーヴィンはそう答えた。頑固な男である。

 だがヘルバもここは譲れない。


「あの……何もしなくてもご飯が食べられるのはとても嬉しいですけど。ただ、あまりいい思い出がないのでお断りしたいです……」


 王宮の一室で過ごしていた時も、地下牢に閉じ込めてられていた時も、とにかく退屈だったのだ。レムリア家のお世話になっていれば、ものすごいご馳走がたくさん食べられるかもしれない。

 だがヘルバにとっては、『働かずに食べるご飯』そのものが若干トラウマとなっていたのだ。


「……そうか、分かった。君も欲のない女だ」


 食欲なら誰にも負けぬ。ヘルバは心の中でそう返事をした。




 せめて今晩は泊まっていけ。アーヴィンの気遣いにヘルバは甘えることにした。

 というのも、何だかアーヴィンの様子がおかしいのだ。ヘンリエッタ家を出た時は普通だったのに、急に元気がなくなってしまったのである。


「今夜の夕飯も美味しかったなぁ……」


 様々な食用薬草(ハーブ)や塩を混ぜ合わせて作った特製ハーブソルト。それをまぶして焼き上げた鶏肉は、皮がパリッとしていて身はふっくらと柔らかくジューシー。ハーブの風味が肉の旨みを引き出していた。

 薬草なんて栄養のために渋々食べていたものだったが、正しい食べ方を知ることが出来た。そこらへんに生えているものを無造作に毟って食べては駄目だ、絶対。


 この豪華な暮らしが明日からは出来なくなる。少し切なくなるが、いつか同じような幸せに巡り合えるかもしれない。そう思い、与えられた客室で微睡んでいた時だった。


「む?」


 何だか臭いがする。ベッドから起き上がり、ヘルバは部屋から飛び出した。

 玄関でレイアが若い男からいくつかの麻袋を受け取っている。


「いつもありがとうございます」

「いえ、レイア様。私たちもいつも助かっています~」


 ヘルバが嗅ぎ取った臭いは、あの麻袋からだ。


「……レイアさん、その袋の中身は何に使うんでしょうか?」

「ああ、ヘルバ様。これはね、冒険者の方々が採取した薬草や木の実で、お薬の材料になるのよ。こちらの方はそれを仕入れてくださる業者なの」

「薬……ですか?」


 ヘルバは訝しげに麻袋を見た。その反応にレイアが、「どういうものか見てみる?」と聞いてくれたので頷く。

 Ⅰと書かれた袋を開けてみると、深い青色の花を咲かせた野草が大量に詰め込まれていた。


「こちらはサフィリア草。綺麗でしょう?」

「……ちなみに毒などは?」

「いいえ。花も葉も根も人体に害はないわ」

「ちゃんと片付けますので、ちょっとだけ失礼します」


 一言断ってから、ヘルバは麻袋に入っていたサフィリア草を床に全てぶちまけた。

 そこから何かを探し始めるヘルバに、業者が怒気を孕んだ声を上げた。


「まさか、異物が入っていると思っているんですか? 言っておきますが、仕入れた時にチェックは行っております」

「……だったら、これは何ですか」


 そう訊ねるヘルバの声は真冬の風のように冷え切っていた。

 その手に握られている野草は、一見するとサフィリア草だ。しかし、よく観察してみると、他のものとはやや形状が異なる。

 サフィリア草の小さな花びらは丸みを帯びているのだが、ヘルバが持っている野草の花びらは先が尖っている。

 業者は息を呑んだ。それは彼が取り返しのつかないミスをしてしまったと、たった今自覚したからだった。


「これは毒草ですよ。それも結構強めの」

「本当だわ! ブルマール草というサフィリア草によく似た毒草……口に入れると高熱、下痢、嘔吐の症状を引き起こす危険な種類じゃない!」

「しかも、他にも何本も混じってる……これでチェックしたってよく言えますね」


 ヘルバが嗅ぎ取った臭いの元は毒草だ。毒性を持つ草は、普通の薬草と違って独特の匂いがある。

 常人では決して察知出来ないであろう微弱なそれを、ヘルバは的確に嗅ぎ分けられる。人間が食べた時、どのような症状が起こるかは分からないものの、毒の強さもある程度分かる。どんな味がするのか気になって、毒性があると分かった上で食べていたからだ。


「た、大変申し訳ございません。サフィリア草のチェックは新人に任せていたもので……」

「これだけじゃないですよ」

「え?」

「他の袋にも何か変なのが混じってるっぽいです」


 青ざめる業者の前で、ヘルバは次々と麻袋の中身を取り出していく。

 その度に見付かる毒草に、苛立ちが止まらない。

 毒草はどれも本物と見た目がそっくりなものばかりで、間違えるのも無理はない。

 が、目の前にいるのはそれをちゃんと選別して、薬草を提供するのを生業としている男である。


「いや、は、はは……レムリア家の注文を受けたのなんて久しぶりでして。これらの薬草を買い求めるのは、このお家くらいなのでうっかり間違えてしまいま……ぐふぅ」

「笑いながらうっかりとか言うな、馬鹿野郎!」


 こんな大事なことでミスをしただけではなく、理由を付けて責任逃れしようとする根性が気に食わない。ヘルバは業者の胸倉を掴み上げた。


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