第10話・ゴーニック王国
美少女がマロンブラウンヘアーを振り乱しながら、魔物を暴力で消滅させた。
その瞬間を目の当たりにしたヘンリエッタの顔から、血の気が引いていく。アーヴィンを道連れに幸せあの世計画を夢見ていた彼女は、もういない。
暴力の前では、お花畑思考など無力なのである。
「魔物は殺(や)り……消滅させましたよ、ヘンリエッタさん。もう暫くすれば奪われていた生気も戻ってくると思います」
「は、はい……ありがとうございます……」
「?」
先程まで狂犬の如き荒れようだったのに、やけに大人しい。しかもお礼まで言われた。
首を傾げるヘルバの仕草は誰が見ても可憐だ。自分が一番可愛いと思っていたヘンリエッタですらも、そう認めざるを得ない。
しかし中身は全く可憐ではない。
そこでヘンリエッタは考える。いくら見た目が可愛くても、こんな凶暴な女を側に置いておくなんてアーヴィンも嫌なのではと。
ヘンリエッタのみならず、数々の貴族令嬢からの見合いや求婚を断ってきた気難しい男だ。きっとこの女に嫌悪感を抱いているはずだと。
「アーヴィン様、この方と一緒にいるのは……」
おやめになった方がいいのでは?
そう言いかけたヘンリエッタの声が止まる。
アーヴィンは口元を手で覆い隠しながら俯いていた。
やっぱりドン引きしてる! と笑みを浮かべそうになったヘンリエッタだったが、僅かに見える頬が赤く染まっていることに気付いて愕然とする。
「う、嘘……」
ヘンリエッタの中で、どす黒く変色した恋心が粉々に砕ける音がした。
魔物は消滅して、ヘンリエッタは生気を取り戻した。それで全て解決とはいかなかった。
アーヴィンはヘンリエッタの両親に事の経緯を一から十まで告げた。ヘンリエッタは止めて欲しいと激しく抗議したが、だったらこの件を口外するとアーヴィンが言うと黙り込んだ。
貴族にとって、世間からの評価は何よりも重いらしい。ヘンリエッタもそれが理解出来ないほど頭が弱いわけではなかった。
娘の歪んだ思考を矯正出来るかは、両親と周辺の人間にかかっている。
「だが、あの魔物の倒し方は何だ? ただ力任せに壁に叩き付けていたようにしか見えなかったが」
馬車の中でアーヴィンは、やや困惑した様子でヘルバにそう訊ねた。
「実際力任せですよ。私には治癒魔法しかないから、物理しか攻撃手段がないんです。だからほら、全然聖女っぽくない」
「いや、そんなことはないが」
「おぅ……」
とても澄んだ目でぱっさりと否定されてしまった。あんなの聖女らしくないと憤慨しているのかと思いきや。
「あの姿からは生命の力強さを感じた。まあ……悪くないと思っている」
「そうですか……」
まあいいかとヘルバは深く考えないことにした。
どうせ、これでレムリア家の病の謎については解けたのだ。これ以上、ヘルバがここにいる理由はない。
「馬車を止めてください」
「寄りたい場所があるのか?」
「イリスさんの願いも叶えたので、これで失礼しようかと」
「……は?」
アーヴィンの声が低くなった。
「君はイリスの使用人として雇われたのではないのか?」
「まさか! 私はあの子に屋敷の皆を治して欲しいって言われて、レムリア家にお邪魔しただけですよ!」
「だが君に行く宛はあるか? その力をもっと有効活用すれば大国の妃になることなど容易いはずだ。なのに君は誰にも縛られず、たった独りで旅を続けているとは……」
「旅はちょっと前に止めました。今はその……脱獄犯をやっておりまして……」
ヘルバは洗いざらい話してしまうことに決めた。
フィオーナ国からの追っ手がいつやって来るかも分からない状況で、レムリア家に留まっていれば彼らに迷惑がかかってしまうかもしれない。
善意と罪悪感を綯い交ぜにしながら、ヘルバはフィオーナ国での出来事を全て伝えた。
エリックマジでぶん殴りてぇな。その言葉をうっかり口から出してしまわないように気を付けながら。
説明すること十数分。ようやく語り終えたヘルバはふー……と深く息をついた。
「というわけで、私はレムリアさん家に長居するわけにはいかないんです」
「なるほど、君の言い分は分かった。だが理解出来ない点がある」
そう言いながらアーヴィンは馬車に備え付けてあった地図をヘルバにも見えるように広げてみせた。
「いいか、ここがフィオーナ王国だ」
アーヴィンが指を差したのは小さな国だった。あれ、思ったより小さいなとヘルバは密かに思った。
「……そして、このゴーニック王国はここだ」
次に指を差したのは逆三角形の形をした国。その面積はフィオーナの四倍はある。
しかし問題は二つの国がかなり離れていることだった。フィオーナからゴーニックまでは国を小国を二カ国跨ぐ必要がある。
「いいか、聖女。君はフィオーナ王国からここまで走って逃げて来たと言っていたが、それは断じて不可能だ。たとえ可能だとしても、たった一日でそんな芸当など出来るはずがない」
「そ、そんなに大変なんですか!?」
「大変なんてものじゃないと思うが……それに君はフィオーナ王国で偽の聖女として処刑されかけたと言っていたな」
「はい……」
「それは別の『ヘルバ』のことだ」
何言ってんだ、この人。頭の上にクエスチョンマークを浮かべるヘルバに、アーヴィンはどこか気の毒そうに視線を向けた。
「そのヘルバという偽聖女は既に処刑されている」
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