第8話・柔らかミディアムレアステーキ
最初に変化があったのは髪だった。
痛んでぼさぼさだったのが絹糸のようにサラサラになり、くすんだ色も柔らかなマロンブラウンに変わってゆく。
顔のそばかすも消えて、まるで殻を剥いたばかりの茹で玉子のように、つるりとした肌となる。
かさついていた唇も、ぷるんと淡いピンクに色付いていった。
美味しそうにステーキ肉を頬張っている絶世の美少女に、イリスを始めとする屋敷の人間全員が集まって見入っていた。
そんな彼らだったが、アーヴィンのわざとらしい咳払いで我に返り、慌てて自分の持ち場に戻っていく。
「まったく……少し見た目が変わった程度で何だ」
「で、ですが、アーヴィン様。ステーキを食べ始めた途端、あそこまで美しくなられるとは……」
「ふん、彼女は最初から……いや、何でもない。それよりも肉をもう一枚焼くようにシェフに伝えろ。あの調子だとまだまだ入りそうだぞ」
アーヴィンの判断は正しかった。
ステーキだけでなく、付け合わせの野菜までペロリと平らげたヘルバにステーキのお代わり入るかと聞くと、彼女は恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに頷いた。
その姿を至近距離で見たメイドは、目眩を起こしかけた。同性相手でも破壊力が高過ぎる。
そうとも知らず、ヘルバはステーキの味にご満悦であった。
ナイフを軽く沈めただけで切れる肉の柔らかさ。
ミディアムレアで焼き上げ、赤みの残る肉は旨みをたっぷり含み、臭みも筋も全くない。ソースも濃いだけではなく、野菜や肉の風味が溶け込んでいる。
お口直しの付け合わせの野菜も、クリーミーなマッシュポテトも最高だ。
王宮で出されていたものとは天と地の差がある。
本当にレイアたちは何者なのだろう。
食後には温かな紅茶とアイスという冷たい菓子が出された。
優しい花の香りがする紅茶、果汁と果肉が使われていて甘酸っぱいアイスでほっとしていると、アーヴィンに声をかけられた。
「君の外見が変化しているが、それは何だ?」
「ああ、栄養をあんまり摂らないで魔法を使い続けると、さっきみたいな姿になるみたいなんです」
サラサラになって光沢も出ている自分の髪を撫でながら、ヘルバは苦笑した。
ヘルバにとっての栄養源は肉だ。だが肉は肉でも、魔力を蓄えた魔物の肉でなければならない。フィオーナ国で食べていた肉をいくら食べても、肌も髪も元には戻らなかった。
見た目がああなるだけで、魔法は普通に使える。なので困ることは何もないと放置していたのだが。
ヘルバの話(魔物の肉のくだりだけ抜いた)を聞いた使用人たちが泣き出した。
「ヘルバ様……何と立派なお方なのだ……」
「ご自分を犠牲にしてまで、人々を癒すことを優先されるとは……」
「美しいのはお姿だけではないのね……」
「まさに女神様だ」
どうしよう。彼らの間に信仰心めいた何かが芽生えかけている。特に最後の言葉。聖女から女神へのクラスチェンジは、ちょっとお断りしたい。そもそも聖女ですらないのだが。
だがどうして、ここで出された肉を食べただけで見た目が戻ったのだろうか。
「君たちはこの女を美化しすぎだ。どうせこの見た目になっても困ることは何もない程度にしか思っていないぞ」
そして、アーヴィンの毒舌に対する信頼が厚い。ヘルバの思考を的確に言い当てているのだ。
いいぞ、もっと言ってやれ。ヘルバはこっそり応援していたが、兄の発言にイリスが黙っていない。
「お兄様! 聖女様であられることを抜きにしても、その言い方は女性に対してあんまりだと思います」
「俺は本当のことを言ったまでだ。何が悪い」
「だから言ーいー方ー! そういう性格だから無駄に敵を作ってしまうのです! おかげでヘンリエッタ様の時も大変だったではありませんか!」
イリスは幼いながら、しっかり者だ。兄がこのような性格なので、自分がちゃんとしなければと使命感を持ったのかもしれない。
しかし、妹からの指摘を受けても涼しい顔をしているアーヴィンも中々だ。
「お兄様が酷いお言葉を浴びせなければ、ヘンリエッタ様を怒らせることもなかったのに。『あんたとその家族を皆呪ってやる!』って言われたのをお忘れですか?」
イリスのその言葉にアーヴィンが目を見開く。ヘルバもあっと口を開いた。
二人の様子にイリスが「え? え?」と狼狽えているが、彼女も自らの発言が理由だと気付いたらしい。
アーヴィンは固まっている妹へ溜め息混じりの返事をした。
「ああ、確かに忘れていた。呪いをかけてやると喚いた女がいたことをな」
ヘンリエッタとは、アーヴィンの元自称婚約者である。結婚など考えていないと公言しているアーヴィンのハートを射止めるべく、レムリア家に突撃して来た猛者だ。
アーヴィンに一目惚れして以来、将来の相手は彼しか考えられない。アーヴィンもこの想いを知ったら、心を開いて自分と結婚してくれるに違いない。そう思い込み、何度も求婚をしてはアーヴィンにあしらわれている。
レムリア家に通うこと百回目。記念すべき日、ついにヘンリエッタは逆恨みを始めた。
『私の愛がこれっぽっちも伝わらないなんてあなたはおかしい。こんな変人に費やした時間を返して欲しい。責任を取って結婚しろ』
と、このような頭を抱えるような発言をしたのだ。
それに対するアーヴィンの返答は、こうだった。
『頭の悪い女と結婚してレムリア家を傾けるような真似はしたくない』
キレッキレである。それを側で聞いていたイリスは、怖くてヘンリエッタの顔が見れなかったという。
当然ヘンリエッタは激怒する。そしてイリスが言っていたような捨て台詞を吐いて立ち去り、それから姿を現すことはなかった。
「対応ミスったんじゃないですか?」
「間違ったことを言ったつもりはない」
馬車の中でヘルバとアーヴィンは、そんなやり取りを交わす。
ヘンリエッタは伯爵家の令嬢で、彼女の自宅に向かっているのだ。
魔物と契約している人間は、一目見れば分かる。ヘルバがそう言うと、翌日アーヴィンはヘルバを連れ出した。
「俺は家族以外の女が嫌いだ。どいつもこいつも、俺の見た目と家の地位や財産目当てで近寄って来る。本当に結婚したいと言うのなら、せめて薬学について必要最低限学んでおけばいいものをそれすらもしようとしない。あのヘンリエッタとかいう女もそうだった」
苛立った様子で、アーヴィンが愚痴を零し続ける。ヘルバはイリスから貰ったクッキーを食べていた。
「何十回も来ているくせに、一度たりとも勉強しようとしていなかった。結婚相手の仕事を理解するつもりがまるでない」
「一回くらいは勉強しろって言えば、やる気になったんじゃないですか?」
「三十回ほど言った。だが、何と返って来たと思う? 『難しすぎて自分一人だと何も分からない。あなたに教えて欲しい』ときた」
「うわー……」
アーヴィンが怒る気持ちもよく分かる。
恋は盲目というが、恋は都合のいい部分しか見えなくなる、の方が正しいとヘルバは思う。
レムリア家は薬師の家系で、その一員になるということは、自身も薬師の仕事に関わることになるだろう。ギルドの長を務めているのなら尚更だ。
アーヴィンのいう『必要最低限』がどの程度かは分からないが、それなりに勉強しておくことは必須とも言える。
しかし、ヘンリエッタが行ったことと言えば、ひたすらの求婚。薬師の勉強については、結婚してしまえば後でどうとでもなる程度にしか思っていなかったのかもしれない。
「……でも、もしヘンリエッタさんが呪いをかけた犯人だとして、アーヴィンさんはどうするつもりなんですか?」
「騎士団を派遣する」
「きしだん」
「魔物討伐を専門とする組織があってな。彼らに依頼する。あまり気は乗らないが……」
「何でですか?」
「痴情の縺れが原因だと知れれば、両親や祖母が恥を掻く」
「だったら私が殺りますよ。最初からそのつもりですし」
契約した人間の側に魔物は潜んでいる。それを仕留めれば契約は破棄される。
いけるいけると笑顔を見せるヘルバに、アーヴィンは怪訝そうな視線を向けていた。
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