第7話・初めて食べるご馳走
こんなちんちくりんが母親のおさがりを着ているのを見て、子供たちはどんな反応をするだろう。びくびくしていたヘルバだったが、イリスの反応は好意的だった。
「わあっ、よくお似合いですよヘルバ様!」
「へ、へい」
イリスが笑顔で駆け寄ってきた。よく見るとイリスのドレスとレイアのドレスには同じデザインの刺繍がされていた。ハートの形に似た葉と満開の花。玄関の扉にも彫られていたような。
レムリア家の紋章みたいなものなのかもしれない。お洒落で可愛い。
「ふん。それなりに、と言ったところか」
アーヴィンの反応は素っ気ないものだ。冷ややかな視線を向けながら、褒めているんだか貶しているんだかよく分からないコメントをしてくれた。
今すぐ脱げと言われなかっただけマシだとヘルバは前向きに考えることにした。
ちなみにレイアとエレナはイリスと同じように褒めてくれて、何故か喜んでいた。レイアにはかつて妹がいたのだが、二年前に病で亡くしてしまい、彼女とヘルバが似ているというのだ。
レイアは女王陛下と張り合えるほどの美貌の持ち主だ。その妹も相当な美人だったはず。似ているのはちょっと無理があるのでは? がヘルバの感想だった。口には出さなかったが。
「せ、聖女様のお口に合えばよいのですがっ」
「手が震える……どうしよどうしよ……」
「まさか聖女様の食事を用意する日が来るなんて……」
厨房ではシェフたちがガッチガチに緊張しながら料理をしていた。
イリスたちが癒しの魔法の使い手である聖女と偶然出会い、レムリア家の病人を全員治した。その対価は美味しいご飯(特に肉)。たったそれだけ。
何がなんでも聖女を満足させる料理を作らねば。そんな使命を突如背負わされた厨房の面々に、使用人たちは同情の眼差しを向けた。もはやこれまでかと思われたアーヴィンやエレナが快復したと喜んでいたら、聖女のために食事を用意しろと指示が出たのだ。急展開過ぎる。
ヘルバという聖女はどうやら流浪の身で、食事を何より愛しているという。相当な美食家であることが予想出来る。
このレムリア家のシェフとしての誇りをかけて、何としてでもヘルバの舌を唸らせる料理を作らなければならない。
そんなプレッシャーに押し潰されそうになりながら彼らは全身全霊をかけて調理を続ける。
塩を振りかける手が震え、この味付けで大丈夫なのかと疑念が生まれる。
「へ、ヘルバ様がスープを召し上がりました!」
若いメイドが上擦った声でシェフたちに報告する。その慌てように彼らは青ざめた。
味が気に入らず、残してしまったのだろう。まだメインの肉料理に行き着いていないのにこの絶望感。厨房に重い沈黙が落とされる。
だが、メイドの次の一言に彼らは目を大きく見開いた。
「美味しい美味しいとおっしゃって、泣いていました!」
「な、泣いていた!?」
「はい! 前菜とサラダとパンを召し上がっていた時点でちょっと感極まっていたようですが、スープで涙腺が決壊したようです」
よかったです~と安心しているメイドだったが、シェフたちは彼女の報告に困惑していた。
いくらスープが美味しいからって号泣する?
今回のスープは白雪茸のポタージュだ。上質な食材を使用しているが、珍しい種類ではない。
泣くほど美味いかと聞かれると、作った本人たちですら首を傾げてしまう。
「気に入ってくださったのなら、それでいいか……」
厨房という名の戦場での戦いは始まったばかりである。
(うおぉ、何だこれ。こんなに美味しいのを食べてたら天罰が下ってしまいそうだ)
続いて出された魚料理にもヘルバは感動していた。
白身魚のムニエルという、またしても彼女の知らない料理だ。
外はかりっ、中はふわっとした食感。口にいれるとほろほろと崩れる身は、淡白ながら肉とはまた違う旨みがある。
そして、バターの濃厚なコクとさっぱりとしたレモンのソースの悪魔的な組み合わせ。
ヘルバにとっては全てが未知との出会いである。
(これはいけない。美味しすぎてまた泣いてしまう)
先に出されていたメニューも美味しかった。
数種類あった前菜は味がそれぞれ違って楽しめた。鮮やかなオレンジ色をした肝のようなものは磯の香りが強く不思議な味だったが、あれは何だったのだろう。
サラダに使われている野菜はサンドイッチの具同様に新鮮で、まろやかな風味のソース。
焼きたてのパンもふっくらと柔らかい。そのまま食べてもよし、バターという塊を真っ白な生地に載せて少し溶けたところを齧り付くのもよし。
茸のスープもすごかった。茸を具材にするのではなく、スープそのものに変化させたのだという。
茸ってこんなに旨みがあったの? というくらい味が濃い。
王宮で食べていたものよりも美味しく、見た目も美しい。
こんなに豪勢な食事を、レムリア家の面々はいつも食べている。
まさか彼らは王族よりも上の立場なのだろうか。
それは有り得る。薬師は人々の不調を治すための薬を作る者たちだ。偉いに違いない。
しかし、ヘルバはここであることに気付いた。
(ここ、どこだ……)
自分の現在地を把握していなかったのである。
下水道を抜けてとにかく走った。だが流石にフィオーナ国からは出ていないはずだ。せいぜい国の隅っこ辺り。
国で一番偉い人間がこんなところで暮らしているかなぁ……と考えながら口を動かしていると、ヘルバを観察していたアーヴィンとイリスの様子がおかしいことに気付く。
アーヴィンの眉間には皺が寄っており、イリスは悲しげな表情を浮かべている。
「……おい、聖女」
「す、すみません! 何か食べ方間違えてました……」
「そうではない。君は今までどのような物を食べてきたんだ」
「え? 普通に食べてましたけど……」
「だったら、先程サラダに入っていた野菜の種類を言え」
「えっ」
形も色も食感も味も全て覚えている。美味しかったので。
しかし名称までは分からない。サンドイッチに入っていたレタスとトマトも含まれていなかったし。
「君はクッキーすらも知らなかったらしいな」
「は、はい」
「あれは特別な菓子ではない。少なくともこの国ではごく一般的な菓子だぞ」
ここはフィオーナ国じゃない可能性が高くなってきた。
(しちゃったか? 国境越え)
自分のポテンシャルにびっくりである。
愕然としているヘルバを、イリスが静かに見守っている。
可哀想すぎる。そう思いながら。
ヘルバは野菜の名前を知らないだけではなく、クッキーにも初めて見たような反応を示していた。
そして美味しいと心から幸せそうに食べる。
どのような生活を送ってきたのだろう。癒しの魔法を使える聖女なのだから、贅沢な暮らしが出来たはずだ。なのに酷い身なりで湖の小魚を捕まえて、それを食べようとしていた。
こんな優しい方の身に何があったのだろう……。イリスがヘルバの境遇を思い、胸を痛めていると、いよいよメインディッシュの肉料理が運ばれてきた。
熟成肉のステーキに、肉と野菜のエキスがたっぷり溶け込んだ赤ワインソースをかけた一品だ。付け合わせの野菜と、マッシュポテトも添えてある。
「美味しそう~!」
ウキウキ気分でヘルバが肉をナイフで切り分ける。すると肉の柔らかさに驚いていた。
テーブルマナーは学んでいるようだが、今までどんな肉を出されていたのか。
「もう一枚焼かせるか……」
アーヴィンがぶつぶつ言いながら厨房に向かおうとした時だった。
イリスに「ま、待ってください、お兄様」と止められた。
「ヘルバ様のご様子がおかしいのです……」
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