第5話・固めた砂?
森の外に停めてあった馬車に乗せられ、揺られること一時間。湖で体を洗っててよかったなぁと安堵しながら、イリスから貰ったクッキーというお菓子を食べる。さくさくしていて香ばしく甘い。乾燥した果物を練り込んだものもある。
最初見た時は砂を固めたものかと警戒したが、麦の粉や卵を混ぜて作っているらしい。肉ばかりに目を向けていたのでお菓子はほとんど食べてなかったし、甘いものと言えば砂糖水をかけた氷だったので驚きだ。
黙々と食べるヘルバだったが、イリスからの視線に気付いて少し気まずい。
「す、すみません。サンドイッチあれだけ食べておいてクッキーまで……」
「あ! そうじゃないんです。ただ、美味しそうに食べる御方だなぁって」
「だって美味しいですからね」
こんなに美味しいものを食べておいて、無の反応でいられるわけがない。頬が緩んでしまうし、美味しいと叫びたい。
そんなヘルバをイリスは少し心配そうに見ていた。
エレナはニコニコ笑っている。つい少しまで重病人だったとは思えない健康的な様子だ。
ヘルバは気になっていたことをエレナに聞いてみた。
「エレナさんは、いつから具合が悪くなったんですか?」
「半年ほど前かしらねぇ」
「その頃、怪しい人に出会ったりとかしてませんか?」
「いいえ……」
違うか。エレナだけではなく屋敷の人間たちも苦しんでいるので、彼女だけの問題ではないだろう。
他の原因を考えていると、イリスに声をかけられた。
「ヘルバ様は病について何か知っていらっしゃるのですか?」
「だから様付けは……まあ、いいや。知ってます。でも病気ではないですよ」
「病ではない……?」
「あれは──」
一番重要なところで馬車が停まった。タイミングが悪いが、後で話せばいい。
馬車を降りたヘルバは目の前に聳え立つ豪邸を見て絶句した。
(でかい……)
三階だての屋敷は横にも広い造りをしている。そのためか迫力がすごい。正門から玄関まではビンク色の花のアーチが設置されており、中を歩いていると仄かな香りが楽しめそうだ。
何より庭が広い。たくさんの花が植えられており、花畑に訪れているようである。
もしかしたら、レムリア家って相当裕福なのではないのか。ヘルバは緊張しながらアーチの中を進んでいく。
(ん? 何だこれ……)
そこで違和感を抱いた。
パトリックが玄関の扉を開くと、窶れた様子のメイドが出迎えてくれた。馬車が戻ってきたのが窓から見えたらしい。
彼女は疲れた顔に何とか笑みを貼り付けようとしたが、エレナを見るなり両手で口元を押さえた。
「エレナ様!? ご、ご自分の脚で歩けるようになられたのですか!?」
「ええ、この通り。全身の痣もなくなったみたいねぇ」
「え……え!?」
エレナは誰かに支えられなければ、自分で立つこともままならない状態だったらしい。そんな彼女が誰にも頼らず、歩いている姿を見たら驚愕するのも無理はなかった。
歓喜と驚きが綯い混ぜになっているメイドに、イリスがヘルバに視線を向けながら説明する。
「このヘルバ様がおばあさまの病を治してくださったのです!」
「治した!? それは本当でございますか!?」
「はい! ヘルバ様は癒しの魔法を使う聖女とのことです。この方なら皆様をお救い出来るかもしれないと思い、こうして来ていただきました」
「は、はい。治しに来ました」
緊張のあまり、家の補強をしに来た大工のようなノリで挨拶してしまった。しかしメイドがそれを気にする様子はなく、啜り泣きながらヘルバに頭を下げた。
「聖女様、ありがとうございます……」
「そんな頭下げないでください。私に出来るのってこういうことくらいしかないですし」
両親や弟はもっと色々な魔法が使えるのだ。それに対してヘルバは治癒魔法全振りで、他にも何も使えなかった。
特に困ったことはなかったし、家族も『個性』で片付けていたのでコンプレックスを感じることも少なかった。
「症状が重い人から治そうと思うんですけど、それでいいですか?」
「……でしたらアーヴィン様の治療を優先していただけないでしょうか」
アーヴィンとはこの家の長男で、イリスの兄に当たる。一番最初に発症したらしい。
ヘルバとしては身分など関係なしに重病人を優先するつもりだったのだが、どの程度の病状なのか。早速アーヴィンの寝室に向かう。
それにしてもどこを歩いていても薬草臭い。外にあった花のアーチも薬草が使われていたし、そういうもので病を治そうとしていたのだろうか。
「こちらがアーヴィン様のお部屋ですが……イリス様はこちらでお待ちください」
「いいえ。お兄様がどのようなお姿になっていたとしても、覚悟は出来ております」
アーヴィンの病状が悪化してからイリスは兄の姿を見ることがなくなっていた。気遣った使用人たちに部屋の立ち入りを断られていたのだ。
「アーヴィン様、失礼いたします」
二回ノックしてからメイドが扉を開く。
途端、薬草の匂いに混じって死臭がヘルバの鼻腔に流れ込んだ。
ベッドに寝かせられている|それ(・・)が人間だと最初分からなかった。全身の肌が真っ黒に変色しており、こちらに反応を示そうともしない。まるで黒焦げの死体のようだ。
兄の変わり果てた姿にイリスが息を呑む。メイドも青ざめた表情でその場に立ち尽くしてしまう。
ヘルバだけが平然とした様子で部屋の中に入り、ベッドの脇に立った。
(あ、よかった。まだギリギリ大丈夫だった)
アーヴィンの全身には、ヘルバにしか見えない黒い蔦が絡み付いている。
だが白シャツから覗く鎖骨の辺りはまだ普通の肌色をしている。パッと見はもう駄目だなと思ったが、どうやら間に合ったようだ。
では早速と、アーヴィンの手を握ろうとすると黒く染まった唇がゆっくりと動いた。
「もう……いい……」
「ん?」
「ころ、せ……どうせ、助からない……」
「はいはい。今治しますよー」
手を握ると、ぶよぶよとした何とも言えない感触だった。よく見れば指が異様な大きさにまで膨れ上がっていた。これも彼らが言うところの不治の病によるもので、末期の症状だ。エレナよりもずっと酷い。
「どんな薬を使っても、病には勝てなかった……だからもう諦めるしかないだろう」
「はいはい。注入しますよー」
手を握って治癒の光を流し込んでいる間もアーヴィンが何か言っているが、集中したいので無視である。
次第に痣が消えていく。痛みも引いているはずなのだが、アーヴィンはそれに気付いていないのか尚も続ける。
「俺も祖母も間もなく命を落とす。せめて、イリスだけは病にかからず幸せな人生を──」
「はいはい。治りましたよー」
「何を馬鹿なことを言っている。手を握った程度で病を治せるはずがないだろう」
「どうぞ、見てください」
メイドが渡してくれた鏡をアーヴィンに向ける。そこに映っているのは、痣に体の殆どを侵食された病人ではなく、美しい金髪の青年だ。菫色の双眸を大きく見開き、自分の姿を確認したアーヴィンはベッドから起き上がった。
「痣がない!? それに痛みも感じないとは……」
「あ、ああ……お兄様……!」
イリスが涙を流しながらアーヴィンに抱き着く。メイドはエレーナを呼びに部屋から出て行った。
「お兄様っ、お兄様! よかった……!」
「イリス……これはどういうことだ?」
「ヘルバ様の魔法がお兄様を治してくださいました。ヘルバ様は癒しの聖女様なのです」
兄妹揃っているところを見ると、そっくりな顔をしているなぁと思っていると、アーヴィンに手を掴まれた。しかも力強く。
「え? まだ体の調子おかしいですか?」
「あ、いや……何でもない」
すぐに我に返った様子で離された。手を握られただけで元気になったのだから、確かめたくなったのだろう。興奮しているのか、アーヴィンの頬はうっすら赤くなっていた。
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