第4話・ローストビーフサンドイッチ

 パトリックが持って来たバスケットには、具を挟んだ薄いパンがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。


 ちぎった生の葉野菜と赤い果物のスライス(レタスとトマトというらしい)、茹で玉子を潰したもの、更には魚の解し身など種類も多い。デザートとして赤い果実と黄色いソースを挟んだサンドイッチも用意されていた。

 初めて見るものばかりだ。サンドイッチという料理だとイリスが説明してくれた。


 イリスの家は裕福なのだろうか。ヘルバはサンドイッチを見てそう思った。

 フィオーナの庶民にとって新鮮な野菜や果物は贅沢品だ。王宮でもあまり出されないと、いつも食事を部屋まで運んでくれた女官が言っていた。だからありがたくいただくようにとも言っていたような。


 だが何よりヘルバに衝撃を与えたのが、細切れの肉を挟んだサンドイッチだった。

 それ自体はいい。ヘルバの大好物は肉だ。肉があれば一生生きていけると宣言出来る。

 よほど脂身が多く臭みが酷くない限り食べれるし、何だったら生肉に齧り付いたこともある。流石に母親に怒られたが。


 だが人間が生肉を食す文化など聞いたことがない。普通は焼いて食べるか煮て食べるか。


 なのにこのサンドイッチに挟まれている肉は綺麗なピンク色をしている。完全に生である。


「レムリアさん家は野菜も肉も生でいく感じですか?」

「? こちらはローストビーフですよ。ちゃんと食べられるものなのでご安心ください」


 またもや聞き慣れない料理名が出て来た。まだ小さなイリスも食べられるのなら体に害はなさそうだが。

 ヘルバが最初に手に取ったのは勿論、ローストビーフサンドイッチだ。どんな生肉でもいけるいけると齧り付いてみる。


 そして、衝撃。


(これはすごい出会いだ……!)


 見た目は生肉だが、生肉とも火を通した肉とも違う食感。

 噛めば噛むほど肉の旨みを感じるのに、脂っこさはまるでない。赤身の多い肉を使っているようだ。

 肉に絡んでいるソースはぴりっとしているが、唐辛子と違って口の中に残らない辛さだ。おかげで舌が麻痺せず肉の味をしっかりと楽しめる。


 ローストビーフを挟んでいるパンも柔らかくて食べやすい。ソースが沁み込んだ部分がしんなりしていて、これだけでも美味しすぎる。

 いくらでも食べられそうだともう一つ取ろうとして、思い留まる。

 これはイリスたちの食事だ。それを見ず知らずの女がバクバク食べていいものではない。


 我慢、我慢……と自分を律しようとするヘルバにイリスとエレナが笑いかける。


「いいですよ。好きなだけ召し上がってください」

「で、でも際限なく食べますよ? レムリアさん家のお昼ごはんが……」

「どうぞ。これは私を死の淵から救ってくださったほんのお礼ですので」

「そ、そういうことでしたら……」


 こんなに美味しいものを食べさせてくれた時点で、かなりのお礼のような気がする。遠慮しつつ、他のサンドイッチにも手をつける。


(うわぁ、どれも美味しくて手が止まらなくなっちゃうな)


 しゃきしゃきレタスと少し酸味のあるトマトのさっぱりとした組み合わせ。白くて酸味のあるソースで味付けもされている。

 潰した玉子は何かで和えているのか、まったり濃厚な舌触り。

 魚の解し身は油漬けしたもので、ちっともぱさついていない。

 赤い果実は甘酸っぱく、玉子の風味を含んだ黄色いソースの蕩けるような甘さをくどくならないように抑えている。


 バスケットの中身がどんどんなくなっていくが、サンドイッチを掴むヘルバの手は止まらない。こんなに美味しい料理が存在しているなんて知らなかった。

 途中、パトリックが筒のようなものに淹れてくれた茶もすっきりとした味わいだ。


 幸せだ。幸せ過ぎる。ここ最近、酷い食生活を送って来たせいで余計にそう感じる。

 目頭が熱くなって来た。


「……ヘルバ様?」


 イリスの呼びかけも聞こえないほどヘルバは幸福を感じ、涙を流していた。


「美味しい……美味しいよぉ……っ」


 ずぶ濡れの女がサンドイッチを食べながら号泣するという光景。それは傍から見れば不気味でしかなく、パトリックは少し引いていた。

 だがイリスはもらい泣きして、エレナは小刻みに震えるヘルバの背中を優しく撫でていた。


 ヘルバが正気に戻ったのは、バスケットの中が空っぽになってからだった。

 食い過ぎた。いくらでも食べていいと言われて箍が外れたように食べ続けていたら、全部なくなっていた。

 これは流石に怒られると思い、ヘルバは頭を下げながらバスケットをエレナに返した。


「大変申し訳ございませんでした……!!」

「いいのよ。いっぱい食べてくれて私たちとっても嬉しいって思っているの」

「でもエレナさんたちのご飯まで食べてしまったなんて申し訳なくて」

「私なら先に食事を済ませていたわ。本当はバスケット二つ分サンドイッチが用意されていたの」

「それは多くないですか?」


 小さな子供とおばあちゃんwith中年おじさんで片付けられる量ではない。おかしくない? と困惑するヘルバにパトリックは苦笑しながら言った。


「シェフが少量の食事を作りたがらないのですよ」

「え? その方が楽だと思うんですけど……」

「……現実を受け止めたくないからでしょうね」


 パトリックが寂しそうに言葉を漏らす。一体何があったというのだろう。これ以上人間に深入りすると、またろくでもないことになりそうなので関わりたくないが少し引っ掛かる。

 ちょっとだけ、事情を聞くくらいならいいだろうか。一瞬逡巡してから訊ねようとすると、イリスに「ヘルバ様」と呼ばれた。 


「あ、あの~、私そんな大層な者ではないので様付けされるのはちょっと……」

「先程、おばあ様を救ってくださった御業(みわざ)はまだ使うことは出来ますか?」

「え、ああ、出来ますよ。私の十八番みたいなものですし」


 イリスもどこ具合が悪いのだろうか。見た限りでは健康そうなのだけれど。


「お、お願いしますっ。皆を、助けてください……っ!」

「イリス様……」


 イリスのエメラルドグリーンの瞳からぼろぼろと大粒の涙が零れ出す。眉を下げたパトリックがイリスの頭を優しく撫でる。

 何だ何だとヘルバはぎょっとした。


「どうしたんですか、何があったんですか」

「実は病に苦しめられているのはエレーナ様だけではないのです」

「え、そうなの!?」

「レムリア家の人間や屋敷に住む使用人……十人ほどおります」


 多すぎぃ! ヘルバはそう叫びそうになるのを何とか堪えた。家族だけではなく使用人まで祖母と同じ不治の病に苦しんでいるなんて、イリスにとっては地獄そのもののような状況だ。


「報酬ならおばあ様の分も含めていくらでもお支払いいたします! このままでは皆死んでしまうんです! どうか、どうかお願いします……」

「えっ!? や、私お金とか受け取らない主義なんですよ」

「で、でしたら、他に望むことはありませんか!?」

「別に美味しいご飯を食べさせてもらえるならそれでいいんで……特に肉とか……」


 イリスの迫力にたじたじになりながら答えると、「ご飯!?」とパトリックが仰天した。


「そのようなものが対価でよいのですか!?」

「だってお金あっても美味しいものが食べられると限らないんですよ。私買い物ド下手くそ過ぎて」


 各地を旅していた当初は金銭をもらって自分で食べ物を買っていたが、すぐにやめてしまった。

 相場がよく分からないのだ。なので無駄に高い金を払わされたり。かと言って安値で買ったら買ったで、臭みが強く不味くてヘルバですら食べたくないと思わせる料理が出てきたり。

 自分で買い物をするのはやめて、「美味しいご飯」を要求するようになったのである。

 断じて無欲なわけではない。しかし何を勘違いしているのか、パトリックが尊いものを見るような顔で泣き出した。


「なんと……慈悲深いお方だ。まさかあなたのような聖女に出会えるなんて……」

「聖女じゃないんですけどねぇ」


 力を使うと人々から『聖女』として崇められる。これがよく分からない。自分の処刑話を知った時も、聖女がキーワードとなっていた。

 自慢ではないが幼少期の頃、『胃袋』というあだ名を付けられたことはあっても、聖女なんてシャレオツな呼ばれ方なんて一度もされなかった。

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