第2話・実家には帰れない

 嫌な臭いがする人間にはついていかないように。

 両親から散々言い付けられていたヘルバだったが、それを破ってしまい、とんでもないことになった。


 汚い土汚い水汚い空気。苦しむ人々。

 見ていられなくてヘルバは自らの力を使って多くのものを癒した。

 報酬は村人から提供される食事だ。主に肉。肉がないなら他の美味しいご飯。出される肉は臭くて固いものばかりだったが、彼らと一緒に食べると楽しかった。


 それで満足だったヘルバの下に現れたのがエリックだった。

 彼はヘルバの能力を知ると、すぐに王太子妃にしたいと言い出したのである。

 彼からは嫌な臭いがする。なのですぐに断ろうとしたのだが、エリックはしつこかった。一人でいては危険だと兵士を護衛につけさせたが、実際は監視のような役割だったに違いない。


 それでもヘルバが無視を続けていると、エリックは強行手段に出た。

 一方的に自分たちは婚姻関係にあると宣言し、しかしヘルバには「結婚は諦める。だが国の救世主である君には綺麗な部屋に住んで欲しい」と言って、王宮に住まわせた。


 ヘルバにとってエリックは婚約者でも何でもない。胡散臭い男でしかなかったのだが、城で出されるご飯は美味しい。

 かなり固くて噛みごたえのあるパン。野菜の細切れで作ったスープ。デザートとして出される砂糖水をかけた氷。


 何より肉が一番美味だった。こんがり焼いた後にソースをかけて食べる牛肉のステーキ。

 あれが食べられるのなら何でも我慢した。慣れない縫い針を扱い、ぶすぶす手を刺して血まみれになっても、読めない文字ばかりの書物を読むことも耐えた。一日に二、三回キレかけたが、ヘルバは一生懸命耐えた。


 しかし今思えばさっさと逃げていればよかったのである。

 食い物に釣られた食いしん坊根性がこの事態を引き起こしたと言っても過言ではない。


「……これからどうしよう」


 下水道をとぼとぼ歩きながらヘルバは溜め息をついた。

 勝手に婚約者にさせられていたのも驚愕だったが、更に王太子を誑かした悪女扱いされていたのもびっくりだった。しかも偽の聖女呼ばわり。身に覚えがないにも程がある。

 エリックからアンクレットをプレゼントされ、言われるがまま着けてから突然牢屋にぶちこまれた。


 どういうことなのか説明を求めても兵士は無視し続け、何と食事には毒が混ざっていた。

 命には別状のない、ただし聴覚を麻痺させ、声帯に異常をもたらす作用があった。おかげで女王が何度も地下牢にやって来て、話をされても内容が聞き取れない。

 ヘルバがずっとだんまりを決め込んでいたのは、喋ることが出来なかったからである。


 本来ならばすぐにでも解毒したかったが、それを邪魔していたのが先程破壊したアンクレットだ。どうもあれには魔力を封じる効果が秘められていたらしい。

 ヘルバに余計なことを言わせないための小細工だろう。


 不幸中の幸いは、あの玉座の間で聴覚の機能を取り戻したことだった。エリックが乱入した頃だっただろうか。今まで耳栓を着けているような感覚だったのが、突然声が聞こえるようになったのである。

 

 玉座の間で散々ヘルバを罵っていたエリックだったが、内心は笑顔で小躍りしていたに違いない。ヘルバがある程度時間をかければ、いかなる毒でも無毒化してしまう体質の持ち主だと分からなかったようだが。


「うちには帰りづらいしな……」


 今回のことが知れたら、家族会議不可避である。

 父からは説教を喰らい、母には泣かれ、弟にはあの国滅ぼそうぜと物騒な提案をされる。

 それはまずい。国が消滅するのは民たちに申し訳ない。殺るならエリックとあれに協力した奴らだけにしてもらいたいが、聞き入れてくれるか。


「……くれないね」


 あんなのだから、ヘルバは自立と称してさっさと家を出たのだ。結果、冤罪を着せられた親不孝者が爆誕したわけであるが。


 とにかく実家には帰れないし、かと言ってこの国にいつまでもいたくない。

 自然が綺麗になって喜んでくれた人々には悪いが、王宮の奴らが駄目だった。今から王宮に戻ってエリックの姿を見たら殴ってしまいそうだ。そしたら本当に犯罪者になる。

 玉座の間でエリックを見ながら震えていたのは、恐怖していたのではなく怒れる拳を必死に抑え込んでいたからに過ぎない。

 気合いを入れて走り出すヘルバ。目指すはフィオーナ国以外のどこかだった。



 この時、ヘルバが地下牢から姿を消したにも拘わらず、フィオーナ国では彼女を捕えるような動きはなかった。

 にも拘わらず、偽聖女処刑の知らせが国中にもたらされたのだった。

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