__編.Sweet pain.




 私には耐えられなかった、ただそれだけなのです──


 煩雑はんざつに扱えば折れてしまいそうな雰囲気の彼女が口にした言葉、その意味を読みとける日が来るのだろうか。



 ──私はディーア・ヴィル・ストリーゴ、今年25歳になる鳥型ストリーゴ亜人種アドヴァンスの女性記者です。訳あって少し特殊な方々を相手に取材する事が多く、よく言われるような芸能人にお会いした事はありません。そういうのはもっとはなのある美男美女が行うのだと、社長には口酸っぱく言われてきました。正直なところ、納得はしておりません。


 ……あの発言も、この配属も立派な差別だと思うのです。

 確かに私は142cmと小柄でありますし、体の起伏もそんなにありませんからバーに行くと必ず年齢確認をされます。ですが立派な大人のレディーですし、取材はちゃんと使える情報だけを持ち帰っているのです。

 それなのにどうして私は、強面ばかりな犯罪者相手の取材ばかり頼まれてしまうのでしょうか。相手とは鉄格子を隔てているし、すぐ側に警務官が居るとはいえど怖いものは怖いのです。しかし仕事であり賃金を頂いている以上、断ることは出来ません。

 ……とは言ったものの、取材対象にお会いする前は緊張するのです。事前に伝えられるのは犯罪歴と名前のみであり、どんな顔なのかはわからないことが殆どなのですから。


 事前に手渡された資料をもう一度読み直していると、警務官から声がかかりました。これももう何度目かわかりませんが、未だに馴れることはありません。そもそも、馴れる気がしないのですが。

「ディーア殿、面会時間は三十分となります」

「……いつもの倍ですか。ありがたいのですが、何故?」

「犯行動機が特殊であり、貴女は対象に該当しないと判断されましたので」

「そう……です、か……ありがとうございます」

「ですがお気をつけ下さい。奴は恐ろしき殺人者マーダーですから」

 警務官が冷たく言い放ちながら手元の機械を操作すると、ブザー音と共に格子がスライドし面会室への道が開かれました。特殊ガラスの向こうに座っていたのは儚げな雰囲気をした一人の女性であり、とても殺戮者には見えません。ですが、その雰囲気がこの刑務所という場においては異質過ぎました。

「……こんにちは、リルケット。

 この度は取材を許可してくださりありがとうございます」

「構いませんよ、この程度……それで貴方は私に何を聞きたいのかしら」

「ではまず、貴女の素性についてお聞かせ願えますか?」

「わかりました。では──」

 初手で声が上擦りかけた私とは対象的に、彼女は非常に落ち着いた口調で語り始めたのです。


 それから三十分後、通された時と同じ様にブザー音が鳴ります。ブザー音を聞いた瞬間、ほんの数秒にも満たない僅かな時間ですが、彼女の顔に落胆の色が見えました。

「──……残念ですが、お時間のようですね」

「そのようですね……リルケットさん、また後日取材させて頂いても?」

「ええ、構いませんよ。ディーアさん」

 ──そうして私は彼女に別れを告げ、面会室を後にしたのです。刑務所から出る際、私はリルケットとの取材のアポイントメントを取りました。彼女は罪こそ重いけれど、他の囚人よりも遥かに模範的とのことで比較的アポは取りやすいようでした。なので驚くほどスムーズに次の取材許可をいただけたのです。




 取材記録.Ⅰ


 取材対象氏名.リルケット・ゼノ・ヴィアストール

 年齢.36歳

 出生.ボーヴォワール地方カスト区

 職業.衛生兵→看護助手

 罪状.殺人罪

 被害.傷痍軍人67名。本人は129名と主張。


 xxxx年__月__日。終戦後、退役した彼女はミネヴァ地方ゲールストン地区のアルルカン病院に看護助手として勤務。戦場帰り故か、従軍者相手の対応に精通していたと見なされ傷痍軍人病棟へと配属。

 創部処置の正確さと手際の良さが評価され、看護助手という扱いでありながら正看護師と同等の業務を任されていた。

 これについてはリルケットへ取材する前日に取材させていただいた、アルルカン病院の看護師長から証言をえているので間違いない。

 また看護師長曰く勤務態度も勤勉そのものであり、患者からの信頼も厚かったのだと言う。中には本気でランプの貴婦人の再来だと信じる者もいたそうです。

 事実、彼女は毎夜ランプを手に見回りを行った。また、容態の急変した患者にも迅速かつ正確な処置を行いその命を救ったのも事実。


 ──相反する行動。その動機はどこにある?




 取材記録.Ⅱ


 話を聞く程に疑問が尽きない。

 彼女が手にかけたのは全てが何らかの障害を負った元軍人だった。

 軍になにかされた恨みを晴らす為の犯行だというのなら、それはそれであり得る話で落ち着く。しかしこの戦争は人同士の戦争ではないし、軍は非常に上手くやっていたと思う。物語になるような、ちゃんとした正義の集団だったのです。弱きを助ける為、その身命を賭して戦い続けた皆を恨む者が居るとは思えない程に。また彼女自身も軍に対しては感謝しているようだし、語ってくれた話の内容から見るにその気持ちも嘘ではない筈だ。


 ……ならば何故リルケットは独りで軍人を殺し続けた?





 ──今日お会いするのはリルケットを捕らえた人。

 彼には一度取材を断られていたので正直期待していなかったのだが、リルケットへの取材を行っていると伝えたらアッサリと許可されてしまった。一体どういう風の吹き回しなのだろうか。


 そんな彼から指定された場所は、アルルカン地区の端にある小さな喫茶店でした。薄い泥水のような珈琲を飲んでいると、入口からかなり大柄な男がやって来る。身長は2メートル近くありそうで、目線を合わせて話し続けるとなれば私の首は死ぬ気がしました。

「人違いでしたら失礼、貴女がディーアさんですか?」

「えぇ、私がディーアです。貴方がネルソン・シヴィニッチさん?」

「あぁ、間違いない。わざわざこんな所を指定して悪かったな」

「いえ、此方こそ取材を受けてくださりありがとうございます」

 彼が正面の椅子に手をかけ、軽く引くような仕草で此方を見てきた。座ってもいいか、というサインなのだろう。私がどうぞと言うと彼は一言お礼を述べてから席についた。見た目はそういう輩なのだが、礼節というか気遣いは出来るタイプらしい。


「ディーアさん、貴女から見てリルケットはどう写った?」

 私が手記とペンを取り出した途端、彼が聞いてきました。彼は運ばれてきた珈琲に口をつけることもなく、真っ直ぐに私を見ています。それはまるで、私が語るに値するか値踏みするかのような鋭いものでした。

「……第一印象は儚げな修道女です。それこそ殺人なんてなにかの間違いじゃないかって思うくらいの、か弱い一人の乙女として見えました。

 私が彼女と対面で話したのはたったの二度ですが、とても誠実な方だと思いましたよ。ですが……なんと言えばいいのでしょう。直感といいましょうか、本能的に近付いてはいけないと思わせる何かがあるような気がしたのです。彼女は一体──」

「──オーケー。もういい、大丈夫だ」

 私の言葉に被せ、強制的に話を断たれてしまいました。何か気に触るような失言をしてしまったのかと逡巡し始めた瞬間、彼は店員を呼びその場で会計を済ませたのです。

 やってしまった。これで取材はおしまいかと気を落とした矢先に手を差し伸べられました。

「少し付き合ってもらうぞ」

「……どこへ?」

「俺がリルケットを捕えた現場だ」

 私には彼の意図が読めませんでしたが、一先ず同行することにしました。



 連れてこられたのは廃棄された訓練場でした。それも地下に作られており、彼の案内がなければその存在に気付く事は無かったでしょう。

 四方はコンクリートに囲まれており、一切の窓がない空間は暗く重苦しい雰囲気に満たされていました。けれど長らく使われて居なかった訳ではないらしく、電源も生きていたのです。

「シヴィニッチさん、貴方はなぜここに?」

「──リルケットに呼ばれたからだ」

 その言葉と、どこか懐かしむような彼の横顔は何故か強く頭に残りました。感傷的な雰囲気のまま、彼は失くしたモノを憂い見つめているのでしょう。

「俺とリルケットは同じ部隊に居たんだ」

 彼は誰も居ない訓練場へ目を向けたまま、語り始めたのです。



 取材記録.Ⅲ


 取材対象.ネルソン・シヴィニッチ


 シヴィニッチ氏がリルケットと出会ったのはケルスクの宿営地であり、負傷した際に手当してくれたのがきっかけだったという。

 当然だが負傷し衛生兵の世話になることは多く、きっかけとしてはありきたりなものである。

 そこから彼らは度々会うようになったが、それは偶然が重なっただけだと彼は言っていた。けれどどうだろうか?

 ──ネルソン・シヴィニッチは最強戦力とされた第三部隊の隊長を務めた程の英傑であり、その精神性もあって引く手数多の人材だと聞いている。リルケットには何かしらの思惑があって、偶然を装い距離を詰めていたのではないか?


 しかし、何故リルケットはネルソンをこんなところへ呼び出したのだろうか。

 ネルソン曰く、呼びつけた彼女は軍服にその身を包んでおり、いきなり切りつけてきたのだという。勿論彼はその理由を問うたが明確な答えは無く、ただ耐えられないと叫ぶばかりだったらしいのです。

 過去の記憶にある姿とはかけ離れた彼女を見て、薬物の使用による錯乱を疑った彼は彼女を無力化した上で警察署へ連行した。


 ……事実、戦場帰りの兵士達は程度こそあれ薬物中毒に陥ることが多い。戦時中は摩耗した心を癒やす為、その痛みを麻痺させる為に非合法の薬物が許可されていた。

 そうして壊れ歪な修復を繰り返した心はかつての救いである薬物を求めるようになると、いつか聞いたことがある。彼女はそれを指し、嘆き苦しんでいたのだろうか。


 ──それならばなぜ、ネルソン氏を狙った?




 ネルソン・シヴィニッチは終戦後、退役軍人の更生施設を立ち上げ薬物依存の治療を進めている。リルケットに殺害された軍人の何名かは件の施設への通院記録が残されていたが、それでも全体の1割にも満たない人数でしかない。


 ──駄目だ、全くわからない。


 リルケットが殺人を繰り返した理由、軍人ばかりを狙った理由はどこにある?

 かつての同胞に刃を向け、一人一人丁寧に仕留め弔った理由はなんだ。彼女は何を考えている、リルケットの心は未だ戦場にあるとでもいうのか。ならば何故リルケットは耐えられないと嘆き叫んだのだ。あの慈愛に満ちた笑顔の下に隠した本性を暴きたい訳ではない、その理由が知りたいだけなのに何故こんなにも見えてこないのだろう。

 もう何度目かわからなくなる明日の取材で、私はリルケットに何を聞けばいい。リルケットの嘆きは何処から湧いて出ていて、それは一体何時まで続く?

 思考は纏まりを見せず、答えのない問いに感じるのは焦燥感と諦めてしまえという悪魔の囁き。リルケットへの取材が辛くなってきたのも事実だし、ここ最近の取材では目ぼしい情報の一つも拾えていない。私の聞き方に問題があるのか、それとも取りこぼしてしまっているのか?


 ──リルケット、貴女の真意は何処にあるの。


 体を預けたベッドが軋み、僅かに沈み込むのを感じながら天井へ一瞬だけ手を伸ばしその手を額へのせる。ひんやりとした自らの手に心地好さを覚えながら私は意識を手放していた。




「──お疲れのご様子ですが、眠れていますか?」

「まぁ……それなりに。ご心配ありがとうございます、リルケット」

「あまり無理はしてはいけませんよ、ディーア。

 ……それで、本日は何をお話しましょうか」

 ガラス越しの彼女は今日も変わらない、細めた目で優しい笑みを携えそこに居る。見慣れたもの、見慣れてしまっていたから油断したのかも知れない。

「──ネルソン・シヴィニッチを誘った理由とか」

「まぁ貴女、彼に会ったのですね」


 ──言葉と共に見せた笑みを、私は一生涯忘れられないと思う。


 事実、私は蛇に睨まれたカエルよろしく動くことが出来なかった。背筋を冷たいものが伝うのも、一瞬にして鳥肌が立ったのも生まれてはじめての経験だったの。彼女が何型の亜人種かは終ぞ調べはつかずにココまで来た、来てしまった時点で逃げるべきだった。これだけ会っていて私は彼女の何を知り、何を見てきたのかよく考えるべきだったんじゃないのか?


「ねぇディーア、ネルソンは元気でしたか?」

「……え?」

「ディーア・ヴィル・ストリーゴ、ネルソン・シヴィニッチは元気にしていましたかと聞いているのです。貴女は彼に直接お会いしたのでしょう?」

 その表情に変化こそないが、声だけは妙な熱を帯びていた。ねっとりと絡みつくような、狂気を孕んだ悍ましくも艶かしい声に私は本能的な恐怖を覚えたのです。

「あ……ぁ、……」

「お答え下さい、彼は元気にしていましたか?」

「は、は……い」

「まぁ、まぁ、まぁ!

 ありがとうディーア、貴女にはいずれ必ず御礼をさせていただきますね!」



 ──立ち上がった彼女と視線が合った後のことは覚えていない。


 朧気に記憶しているのは壁がぶち抜かれる衝撃と警報音、傾れ込んできた警務官達の怒号と発砲音だけだった。それにあんな細身の彼女が厚さ350mmの特殊複合構造体を破壊したなんて今だって信じられない。信じるほうが無理だと言われても、現場証拠はそうだと告げているのだからどうしようもなかった。わかっているけど認められない、というか認めたくなかったと言っていい。



 大衆紙.NEWS Vibrio.


 ──大量殺人犯が白昼堂々の脱走。


 現在治安維持組織は総力を上げ脱走したリルケット・ゼノ・ヴィアストールの捜索にあたっている。



 ──リルケットが脱走した翌日からずっとこの調子だ。街中を完全武装した治安維持組織が練り歩き、遂には特殊装甲車両まで出張る始末。ただ一人を捕まえる為に軍隊へ出動許可を出すなんて誰が想像出来ようか?

「……誰も彼女の正体を知らないってどんな冗談よ──」

 社員寮の安ベッドに寝転びながら見慣れた天井へ向けて愚痴り、枕元の走り書きを手に取る。内容は勿論リルケットについてだ。


 曰く、ヴィアストール家は旧い血を継いでいるとされている。古いの間違いじゃないかと思うけれど、ただ歴史が深いというわけではないからこれでいい。

 だが、それがまた不気味でならないのだ。今でこそ見慣れた魔物だけれど、本物の例外的存在よりは恐ろしくない。あれらは皆、実体を持ち傷付けば血を流し殺すことが出来るから。


 けれどヴィアストール家が継いできた血は違う。大崩落よりもはるか昔、造物主たる人類が繁栄していた頃よりも昔から存在してきた異形の血を継いで来たアレは実態がわからない。

 ただ握り締めただけの拳で放った一発で特殊複合構造体を破壊せしめた力の源も、犯行動機もネルソンへの執着も何一つとしてわからなかったのが恐ろしいのだ。


 ──それともう一つ、彼女のいう御礼とは何のことだろう。


 すべてを投げ出して眠りにつこうと思った矢先、割り当てられた携帯端末から着信音が鳴り響く。端末のディスプレイに表示されたネルソン・シヴィニッチの名前を認識した途端、背筋が凍る程の強い不安感と恐怖を覚えた。

「ディーアさん、でお間違いありませんね?」

「──……っ!」

 スピーカーから聞こえたリルケットの声に、一瞬にして脂汗が吹き出す。想像していた中で最悪のケースが引き当てられてしまったのだと直感的に確信してしまった。確信するしかなかった。

「ディーア、今からお伝えする場所に来て下さい。

 あぁ、勿論お一人でお願い致しますね……貴女も無益な殺戮はお嫌いでしょうから、お願い」

 弾むような声がただただ恐ろしいものでしかなかった。初めて味わうたぐいの恐怖に呼吸は乱れ、浅く速度を増していく。あっという間に過呼吸へ陥るとわかっていても、最早止めることなど出来そうにない。

「まぁ、どうか落ち着いてディーア……私あなたを怖がらせるつもりはないのよ?

 それでね、来てほしいのは──」



 ──指定されたのは件の廃訓練場だった。

 どうして一人で来たのか全くもってわからない、あのまま無視を決め込んで逃げたって良かったのに。ネルソンが殺られたのなら、次は私の番だってそんなこと産まれたての赤ちゃんにもわかるじゃないの!


「ちゃんと来てくれて嬉しいわ、ディーア!」

「……ディーア、なぜ来た?」

「私が呼んだのよ、ネルソン」

 そう言うリルケットは満面の笑みだった。彼女達は訓練場の中央、唯一照らされた場所に立っている。

「なぜ────」


 ──なぜ、呼んだの?


 そう聞こうとしたけど、聞くことが出来なかった。破裂音が聞こえたと同時にお腹へ凄い衝撃が来て、凄く、いたい。

 ……あ、わた──し、──撃た──れ……………





「リルケット……お前っ!」

 懐かしい、ついぞ私には向けられることのなかったあの表情だ。守るべき対象を傷付けられた時にしか見せないあの顔で、彼が向かってくる。前回みたいな哀れみの感情じゃない、本気で私を殺そうとしてくれてるのね。


 ──本気になってくれて嬉しいわ、ネルソン!


 だけどまだ甘い、全盛期の貴方には遠く及ばないわ。


「貴方の実力はそんなものではないでしょう?」

 並の兵士なら一撃で昏倒させるだろうタックルをいなし、その背をナイフで斬りつける。普通なら呻くなりなんなりするだろうけど、彼はそこまで軟弱じゃない。私の反撃に対し、その軌道から体を外して薄皮一枚だけ斬らせてくるなんて素晴らしい戦士だ。

 だけどまだ惜しい、まだ貴方は戦場に居ない──


「ねぇネルソン、私が撃った弾がなにかわかる?」

「そう聞くってことはマトモな弾じゃねぇんだろ」

「ふふふ、そうね……それがR.I.P弾って言ったらどうする?」

「正気じゃねぇよ、お前!」


 ──やっぱり、さっきよりも速くなった。

 痺れるような殺意もハッキリと伝わる。素敵よ、ネルソン。


「あら、私はいたって正常よ?

 私からすれば貴方達のほうが異常に見えるもの」


 ──そもそも、正気なんて誰が証明してくれるの?

 私達は戦う為に造られたのに、なんで平和を望みそれを享受しているのかしら。救命技術も必要だけど、それは次の戦場へ赴き一体でも多くの魔物を殺せるようにするためよ。

 決してこんな、生温い安息を与えるためのものじゃない。


「私達は造られた兵器、敵を殺すのが役目でしょう。

 それなのに皆、この平和に満足しちゃってる」


 ──平和な世の中に私達の居場所はあるの?

 血反吐を吐いて屍の山を築き汚泥を啜り、絶え間ない命のやり取りを繰り返したあの日々こそが私達の居場所だったのに。 

 私達にとって当たり前だったあの日々を、そこに転がる鳥娘は知らずに産まれた。産まれ落ちて来た平和な世の中を当たり前だと思っている彼等を貴方は許せるのかしら、ネルソン・シヴィニッチ。


「私はそれが耐えられないのよ、ネルソン」


 ──懐深くへ入り込んで、肋骨の隙間を一突き。

 貴方達のような正しい軍人さん達が学ばなかった人体の壊し方を私は知っている。魔物なんていう出来損ないの獣の相手をしてきた貴方達が識り得ない知識。誰にも教わらなかった、私だけの知識と技術。



 ……いや、違う。これは──



「あ、がっ……!」

 ──致命傷を与えていない。普段とは違う感触に身を引こうと瞬間、肩を掴まれ腹を深く突き刺された。彼が手にしていたのは私が持っているのと同じ軍用の大ナイフ──


「──なら引導を渡してやるよ、リルケット」


 ──直感でわかった、これは致命傷を貰ったと。

 深く抉り抜くような一撃は、届いてはいけない場所を正確に傷付けてくれた。多種多様な痛みと傷を受けてきたから、これが助かるものかどうかなんて訳もなく理解出来てしまうのが悔しい。


「……貴方、ヒトを……相、手に……して、きたの……ね」

「やむなく、な」

「そう……けど、……ごふっ」


 ──肝臓を抉られたんじゃ、仕方ない。

 本当は嫌だし、同じ相手に負けるなんてとっても嫌だけど……無理だ。肝臓はそもそも縫合が難しいし、他の臓器よりも多く血液が巡っている。だから、肝臓をヤラれて死ぬ奴は沢山見てきた。


「ネルソン……何故、ヒトを……?」

「平和を維持する為に必要な犠牲もあるということだ」

「……なに…よ、それ……」


 ──ばっかみたい。


「な……ら、なん……で……そん、な……顔……を──」


 ──どうして、泣きそうな顔をしているのよネルソン。








 手記.ディーア・ヴィル・ストリーゴ


 私が目を覚ましたのは病院のベッドだった。

 あの日、リルケットとネルソンの私闘に巻き込まれてから一月は経っているらしい。担当医が言うに、私の内蔵は酷い有様だったという。腹部から侵入した弾丸は比較的表層で分裂し、細かな破片となって複数の臓器を損傷させていた。

 ……それこそ臓器提供がなければ、確実に死ぬものであったというのだ。

 担当医へ臓器提供者の事を訊ねたが、結局答えてはくれなかった。私を搬送してくれたネルソンに聞いてみたが、此方も明確な答えは貰えず終い。


 そして、リルケットの行方についてもわからないとこのこと。


 ……私はいつかまた、リルケットに会うのだろうか?

 彼女の上司から聞いた話では、リルケットが約束を違えた事はただの一度として無かったという。だからきっと、彼女は御礼の為に私へ会いに来る気がしている。


 ____願わくば、その日が来ないことを私は願う。 






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