短録.居酒屋の串料理
──日が沈み、街灯が町を照らす頃。
カウンター六席しかない小さな居酒屋で、一人の男が程好く酔っていた。その前にはお猪口と徳利、五つに切り分けられただし巻き玉子に枝豆という定番メニューが並んでいる。
「いつ食ってもカガちゃんのだし巻き玉子は旨いねぇ」
「うふふ、ありがとぉねぇ」
鍋料理を作りながら嬉しそうに応えるのは齢二十前後と思わしき
……これは余談となるが、彼女の玉肌を見るために背をざっくりと開いたデザインを勧めた者が居るとかなんとか。思惑はどうあれ、体温高めの彼女も過ごし易くなり一部の客も大喜びという結果に収まったのは奇跡に近い。
「カガちゃんよぅ、串を五本頼むよ」
「はぁい、ちょーっと待っててねぇ」
彼女は鍋料理の火を止めると、冷蔵庫から一口大に切り分けた魚の切り身を取り出し手際よく串を打ち始める。切り身とネギを交互に打ったそれはネギマと呼ばれる肉を使わない串料理であり、この居酒屋の人気ナンバーワンメニュー。これ目当てで訪れる客は多く持ち帰りを希望する声もあるが、今のところその予定は無いらしい。
──彼女が独自に編み出した門外不出のタレを塗りつつ火を通すこと数分、食欲をそそる芳ばしい匂いが店内を満たしていた。
「はい、お待たせぇ。ネギマだよぉ」
にこやかな表情で彼女は振りかえると、皿に盛った串焼きを男の前に並べる。男は待ってましたと言わんばかりに串を手にすると、こちらも手際よく串から外していき口へと運んでいく。
「うめぇなぁ……カガちゃん、だし巻き玉子ってまだある?」
「ごめんねぇ、だし巻き玉子はあれっきりなのよぉ。
だし巻き玉子も常に出せたら良いんだけどねぇ」
「あら残念。そういやカガちゃんはさ、基本鳥肉を使わないけど卵料理はいいの?」
──そう、此方の居酒屋において鳥料理の提供は行われていない。当店の若女将、カガが鳥型亜人種という事でどうしても扱いたくないのだと言う。故にネギとマグロで作る肉を使わない焼き鳥、通称ネギマと呼ばれる焼き串を扱うようにしているらしい。
「んーとねぇ、本当は嫌なんだけどぉ……覚えのない卵が月に一回くらい冷蔵庫に入ってるんだよねぇ。だから無駄にしたくないっていうかぁ、そういう気持ちで使わせてもらってるんだぁ」
「え、それって……?」
「ちゃ、ちゃんと私が毒味してから出してるよぅ!」
そういう問題なのかどうかは怪しいが、一応安全性は保証されているらしい。身ぶり手振りで必死の弁明を見せる彼女だが、幼い顔つきと間延びするような話し方のせいか少し滑稽に見えてしまう。男も同じような事を思っているのだろうか、子供を相手取るような軽薄さで彼女をなだめている。
「悪かったよ、カガちゃん。疑うような気持ちはなかったんだって」
「私だって不安なんだからねぇ……知らない内に卵が冷蔵庫に置かれるって、すっごい怖いんだよぉ」
「そうだよなぁ、怖いよなぁ。
でも空き巣ってわけじゃねぇんだろ、カガちゃん?」
「そうなんだよぉ……卵だけおかれるんだよぅ」
──確かに不思議な話である。
店が荒らされるでもなく金品が奪われる訳でもない、ただ月に一度くらいのペースで冷蔵庫に卵が置かれているだけ。
男は不安がる彼女を慰めつつ謎の卵について考えを巡らせるが、アルコールにヤられた頭ではマトモな考えが浮かばない。
「買ったの忘れてる訳じゃないもんなぁ」
「確かにちょっと忘れやすいけど、そこまで酷くないよぉ!」
カウンター超しの猛抗議に対し、男がひたすら頭を下げ続けていると入口がゆっくりと開けられた。入って来たのは一人の
「……すまない、取り込み中なら出直すが」
「ううん、大丈夫だよぉ。好きな所に座ってねぇ」
「そうか、では此方に座るとしよう」
そう言って彼女が腰かけたのは先に飲み始めていた男の隣。それに気付いた男は驚いたような表情を見せるも、すぐにガッカリとした表情を見せていた。
「なんだ、私が隣では不満か?」
「……それなりにな。
「ほう、あの時私の胸を揉みしだいた癖によく言う。
カガちゃん、刺身の盛り合わせを頼めるか?」
「はぁい、ちょっと待っててねぇ」
──不服そうにはしつつ、満更でもないような表情の男を
「お待たせぇ。今日はレヴナちゃんの好きな赤身魚の盛り合わせだよぉ」
「おお、それはありがたいな」
出された料理を前に手を合わせ、いただきますと言ってから彼女は刺身を味わい始める。そうして数切れ食べた後、彼女は先程のやり取りについてカガへ問い始めた。カガはレヴナに事の顛末を掻い摘まんで話し、思い付く限りの可能性をネルとカガが彼女へと伝える。しばし考え込んだ後、レヴナが導き出したのは少々下世話なものであった。
「──だから、君のような鳥型亜人種は無精卵を産むだろう?
君はそれを無意識の内に冷蔵庫へとしまいこんでいたのではないか、と私は言っているだけだ」
「で、でもぉ……」
「それにカガちゃん、君は産んだ無精卵を捨てているのかわからないと言っていたじゃないか」
恥ずかしそうに俯く彼女を他所にレヴナは淡々と続けていき、ネルはそんなレヴナを半ば諦めたような表情で見ていた。
「無精卵を産んでいる事は覚えているがそれを捨てたかどうかわからない。加えてその卵は市販のものよりも大きく流通経路も不明となれば、そう考えるのが妥当じゃないか?」
「かもしれないけどぉ……それじゃあ恥ずかしいよぅ。
ネル君もごめんねぇ、そんなものを食べさせちゃって」
「別に大丈夫だ、カガちゃん。自分の無精卵を売ってる奴等だって居るんだし、そんなに気にすんなよ……な?」
「ならいっそ──」
「──絶っっっっっっ対、駄目だからな!?」
妙に納得したような表情のレヴナが言おうとした言葉を彼が遮ると、彼女は耳を抑え酷く不快な表情で彼を睨んでいた。
「……そんな大声を出すな、ネル」
「あいや、それはすまないが……お前、自分が何を言おうとしたのかわかってるんだよな?」
「あぁ、勿論だ。無精卵を売る奴がいるのなら、それを売りにすれば良いと思ってだな……おい、なぜお前にそんな顔をされなくちゃならんのだ」
「ないわー……お前、ほんっとにないわ」
「まて、まだ話には続きがあるから大人しく聞け。
そもそも、いくらカガちゃんが料理上手とは言え素材が悪くてはあんなに旨いものは作れない筈だ。まず卵の出来だが、母体の栄養状態によって──」
「──もーっ、二人ともこの話はおしまいだよぉ!」
今まで大人しくしていた分の反動か、突如彼女が声を張り上げる。驚いた二人はほぼ同時に彼女へと視線を移し、その表情を見た途端に血の気が引いていた。
「そもそもネル君のフォローは的外れだし、レヴナちゃんは遠慮が無さすぎだよぅ!
確かに私は無精卵を産むし、そんな話もしたけどねぇ……デリケートなお話には変わり無いんだよぉ……レヴナちゃんだってそういうお話はされたら嫌だよねぇ。レヴナちゃんは尻尾の付け根、腰の辺りをトントントンってされると疼いて仕方なくなっちゃうとかぁ、そういうお話はされるの嫌でしょ!?」
「わ、悪かったから落ち着けカガちゃん!」
「すまない、私も言い過ぎた。だからどうか落ち着いてくれ!」
怒り心頭の彼女を必死に宥める二人。比較的体格の良い二人が小柄な彼女相手に、過剰とも言える恐れが見えるのには一つの理由があった。
──それは彼女の種族に起因するものである。
彼女の種族はヒクイドリと呼ばれる鳥であり、飛行能力が低い代わりに強靭な脚力をもつ。その脚力で繰り出される蹴りは非常に強く、過去に人間を蹴り殺したという事件すら存在する程。
それ故に二人はなんとか落ち着いて貰おうと必死になっているのだ。
「……うるさぁーい!
私は今すっっっっっごく怒ってるんだからねぇ!」
完全にキレている、そう判断した二人が席を離れ出口へ向かった瞬間、彼女はカウンターを飛び越え二人の前に立ち独特の構えを取っていた。
「あっ……」
「……ヤバっ」
全てを察したのか、ネルが防御姿勢に移ったと同時にレヴナはその影へと身を隠す。それについて文句を言おうと顔を背けた瞬間──
「──今後、卵の話は禁止だよぉ!」
「ぐえっ?!」
「おいっ、お前──っ」
前方へ跳躍すると同時に放たれた蹴りは寸分違わずネルの真芯を捉え、そのまま二人を店外へと弾き飛ばした。
「くっそ、あれくらい耐えられないのかこの肉達磨!」
「バカ言うなよ*亜人種スラング*……俺を盾にしやがって」
蹴り飛ばされ大の字に倒れる彼の下敷きにされた彼女が悪態をつきつつ這い出ると、そこにはアルカイックスマイルを浮かべた彼女が立っていた。
「──レヴナちゃん、ネル君……今後は卵の話をしないって約束出来るかなぁ?」
見下ろす彼女の圧は相当な物だったのだろう、二人は借りてきた猫よろしく完全に縮こまっていた。
「……勿論だ、カガちゃん」
「あぁ、神に誓ってしないと約束しよう」
「うんうん、二人とも素直で嬉しいよぉ。
今回はこれくらいにしてあげるから、ちゃーんと守ってねぇ」
「当たり前だよなぁ、レヴナ」
「あ、あぁ……絶対に守るさ」
二人の言葉に満足したのか、何時もの笑顔で店へと戻る彼女。その後ろに続く二人の背中は何時もより小さく見えたと言う。
──余談だが、彼女の居酒屋から卵料理が消えた代わりに兎の肉を使った串焼きが並ぶようになった。メニュー名は焼き鳥となっているが、理由については不明のまま。一説には兎の数え方に由来するとかなんとか。
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