清らなる(きよらなる)
和泉眞弓
清らなる
おねえさんというよりは、おとこやおんなを超えた、美そのものであった。
すらりとした身の丈が凛とひかりかがやいて、若紫の胸を焦がす。焼けつく痛みは、やがて導きの糸となる。
清少納言——その清らなる横顔を、若紫は頬をあつくして見つめていた。
平民が歌会に紛れこむのは通常むつかしいが、慶事があったとかで、この日は遠巻きではあるが平民も見ることができた。入場制限のために素養を問う門番の
おんなは文字を読めずともよろし、とされた時代、今を時めく皇后、
若紫のほかに——清少納言をとりわけ熱く見つめるおとこがあった。
歌会の相手方に座っている官人だ。
その者が口をひらいた。
(かつてあなたがわたしに教えて下さったように、わたしもあなたにつれなくしてみました。いかがでしたか?)
といった内容の歌だ。
ただならぬ仲であると見える。このめめしいうらみを投げてよこすおとこのどこが良いのか、失礼ながら清少納言、あなたはご趣味が悪い、と若紫はすっかり憤った。
清少納言の番になり、透き通る声が詠む。
よしさらば つらさは我に 習ひけり 頼めて来ぬは 誰か教えし
(「つれなさは私に教わった」そうであったとしましょう。では、逢いに行くよと期待させておいて来ない行動は、私以外のどなたに教わったのでしょうね)
痛快だった。思わず若紫は拍手してしまって、大勢の目が一斉に向くと、決まり悪げに小さくなった。
その時はじめて、清少納言は、若紫、のちの紫式部の姿を、その目にみとめたのだ。
*
興奮が冷めやらぬ夜半、勢いで若紫は油に火を灯し、清少納言あての手紙をしたためた。
(手を叩いてしまった紫と申します。先だっては大変失礼いたしました。歌会でのあなたさまの鮮やかな斬り返しが脳裏をはなれず、文をするご無礼をお許しください。
あの歌は、お付き合いされている男性への痛烈な意趣返しと一見見えますが、わたしにはそうとばかりには聞こえなかったのでございます。おろかな試し行動は皆他人から学んだとし、ひとのせいにする、賢しらな言い草を、あなたさまは歌を詠むことそのものでくつがえしてみせたと思えてならないのです。あなたさまの歌に返歌できぬことそのものが、あてつけで表面を真似るようなおろかさはどちらにあるのかを、お示しになられたのではござりますまいか。
学問をおさめることは、うつくしいことにございます。わたしは将来、女官になり、尊き方々のお側でお勤めしたく思います。あなたさまの清らなるお姿に、はげまされた者がいることを、どうぞお見知り置きください。)
*
「賢しらなおなごが文をよこしてきた。若い子にしては驚くほど達筆で文面も一見丁寧に彩られているが、『ワタシすごいでしょ』『女官になりたいから引き立てて』しか言ってない」
そう言うと、清少納言は若紫の文を丸めて捨ててしまった。
「こちらに囲い込まなくても、よい才なのですか。万が一、わらわ達を后の座から追い落とそうと狙っている道長どのの陣営に取り込まれてしまったら、痛い人材ではないのですか」
定子は、まだ何者にもならない若紫の才を案じる。
「ほんものであれば、わたくしが手を延べなくとも、必ずや、かろやかに
清少納言はつとめて明るく言い放つが、胸のうちは穏やかではなかった。
愛する、といってもよいほどにお慕いしてきた定子の胸に、年端もいかぬ礼儀知らずのおなごが残っていたことに、かつてないほどに掻き乱されるようなもの狂おしさを感じていた。
返事もやらぬうち、若紫の文はずうずうしくも二通目を数えた。
「なぜ運ぶ」清少納言が使いのものに問うと、
「ご立派な筆蹟にござりますゆえ、何処の貴族様であってはと」
しかたなく開くとそこには、前回の手紙とは打って変わって、平民が想い描く宮中の様子を、のびやかな筆で——ときにおかしみを誘う語りで綴っていたのだ。
「こんなにもてる美形の皇族はいない」清少納言はくすりと笑い、ときにその大人びた洞察にはっとしながら、長い手紙をあっという間に読んでしまった。
清少納言は、直観した。
このおなごは、女官になり、やがて歌会で斬り合う相手になると。
憧れるだのお会いしてみたいだの、追伸に書いてあったのが、かえって煩わしかった。
この子は、いずれわたくしを斬りにくる。
斬られる相手に飢えていた。
斬り合う深さで巡りあうことは情交よりもむつかしいと、知っている。
清少納言ははじめて、若紫のために筆をとった。
ゆかりなき馬に親しむ筆ならむ
さて、下の句をどう続けてくるか。
清少納言は使いを遣った。
清らなる(きよらなる) 和泉眞弓 @izumimayumi
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