第35話 償い②

 僕は、いつの間にか朝比奈女子高等学校の屋上に一人たたずんでいた。

 見渡してもばぁちゃんの姿はないし、手を掴んだはずの優里さんの姿もない。

 ただ、いつもより体は軽やかで、雲の上歩いているようなおかしな違和感いわかんがある。

 目の前には、杉本さんと加奈さんが口論しているが、このは呪詛ではなく優里さんのトラウマでも無い。

 恐らくこれは現実で、僕は全く記憶がないままここまで車でやってきたのだろうか?

 ふと、以前梨子がとあるオカルトの事象について話をしていた事を思い出した。

 別の場所に同時刻、同一人物が存在しているのを目撃されたり、自らその力を発揮はっきできる能力を『バイロケーション』と言うらしい。

 これが実際そうなのかも分からないし、意識を優里さんに乗っ取られて、ここまで来たのかも知れないけど、とにかく僕は自分でも驚くほど普段より冷静に杉本さんを説得し、加奈さんから事情を聞いた。


「あんたも、琉花ちゃんも本当は、巻き込むつもりは無かった……それだけは信じてくれ」


 杉本さんの表情を見れば、嘘偽りのない本音なのだろうという事は伝わった。加奈さんの喉元にナイフを当てて、悲鳴をあげる彼女を抱きながら屋上の柵の所まで下がっていく。

 彼の表情から死を覚悟しているようだった。

 

『す――――』


 僕が、一歩踏み出して彼に声をかけようとしたとき、右手に温かな感触がしたかと思うと、みるみるうちに杉本さんと、加奈さんの目が見開き驚愕きょうがくしたような表情を見せた。ちらりと、僕が隣を見るとそこには淡く輝く優里さんの長い髪が風に揺れていた。

 ブレザー服の姿のまま、その表情はひどく悲しそうだった。

 それは、自分の為に弟が呪詛を使って人を殺めてしまった事への申し訳なさと、友人に裏切られた悲しみと、怒りを通り越した先にある哀れみような表情だった。


『ねぇ。お願い……もう止めて貴志たかし

「姉さん……」

 

 杉本さんは加奈さんを押しのけると、脱力したように膝から崩れ落ち、ナイフを地面に落とすと泣き始めた。

 加奈さんも、その場で座り込むと『優里、ごめんなさい、ごめんなさい』と泣きながら謝り始めた。


『加奈さん……貴方達が、憑きもの筋として虐げられて来たことには同情します。貴方はせっかく出来た親友……いや、それ以上の存在の優里さんが、林田さんに奪われる恐怖や憎しみに囚われたんでしょう。貴方と、偽りの無い楽しい思い出を共有してくれた優里さんの事を、信じるべきだったんだ。

 ……死のうなんて考えないで下さい。生きて彼女に許して貰えるまで、償って下さい』


 もう彼女の体から『お蛇様』の存在は全く感じなくなってしまった。完全に菊池家から憑きものは逃げていってしまったんだろう。家の守り神を失った一族は、没落ぼつらくしていく運命にある。

 あとは彼女がどう償っていけるかだ。

 加奈さんは、涙を流しながら頷くと僕の側にいた優里さんの気配が消えた。


『貴志さん……法律で罰せられずとも、呪詛と言う禁忌で人を殺めた罪は、一生貴方の中でついて回ると思います。願いは成就じょうじゅして罰する事はできましたが、その罪は背負ってください……だけど今は、病院に……』


 僕はそう言いながら、段々と意識が遠のいて行くのを感じた。慌てて、僕は疑問に思っている事を彼にぶつけた。


『あんな強力で、危険な呪詛……、一体どこで知ったんですか。貴方は、……霊能者でもない』

「あぁ……。芸能界にいるといろんなコネクションができるんだよ。呪詛の事に詳しい人を探してたら有名な霊能者に出会って……、その人からまたそっちの専門の人を紹介されたんだ。カフェで代理人から、その人の名刺を渡されて……九十九つくもさんだ。ネット上でしかやり取りしたことが無いから、実際に会ったことは無い」


 ――――

 どこかで聞いたことがある、たしかばぁちゃんが……。

 僕の意識はそこで途絶えた。


✤✤✤


「健くん、大丈夫!?」

「ちょっと、貴方一体なんなの! 警備員を呼ぶわよ」


 遠くから梨子の叫ぶ声と、中年女性の叱りつけるような声が聞こえてようやく僕は意識を取り戻した。

 僕は優里さんの手を握ったまま意識を失っていたようで、心配そうにしながら、梨子は娘に触れたまま布団にうつ伏せになっていた僕を、不審者を見るような目でののしる母親を落ち着かせようとしている。

 それもそうだ、梨子が優里さんの後輩という設定で僕は付添人つきそいにん、なんの関係もない部外者なんだから。


「あっ、いや、あの……僕はその!」


 慌てて手を離すと、言い訳も見つからず背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じた。

 だが、梨子も優里さんのお母さんもピタリと動きを止めて、僕の後方にあるベッドの上を見つめていた。

 恐る恐るそちらを振り向くと、ベッドの上の優里さんの瞳が開いて、ゆっくりだが瞼を動かしまばたきをしていた。

 話すようなことは無かったが眼球が動いて、こちらを認識にんしきしているようなわずかな意識の回復が感じられた。


「優里! 優里……!」


 彼女の母親はワッと駆け出すと泣き始めた。 

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