7-6 木阿弥と説諭
報告書を書き終え、仕事が一段落したところで、ニアは深いため息をついた。
こちら側にも報告書という概念があることに、どの世界も煩わしいものがあるものだと辟易する。それでも、一つ懸念材料が消えてくれたことに、ほっと胸を撫で下ろした。
「あ、ニアだ。お疲れ〜」
「……お疲れ様です」
酔っ払っているかのような上機嫌なシキに、ニアが怪訝な表情を浮かべる。
シキもまた一仕事終えてきたところのはずだ。それなのに、この違いは何だろうかと疑問に思う。疑問には思うけれど、深くは考えようともしなかった。
「ねぇ、ニア。俺、考えたんだけどさ」
「何をです?」
唐突に始まったシキの言葉に、興味なさげに答える。
「もし俺たちが人間に好意を抱いたとして、俺たちは完全には人間の世界に交われないじゃない? 時間の流れも何もかも違うからね。となるとだよ。俺たちに残された選択はただ一つ。『魂』だ。魂としてそばに置くことでしか、俺たちが人間とずっと一緒にいられる方法はない」
「人間同士でも、ずっとなんてことはあり得ないのでは?」
「でも、それならなおさら、俺たちにはその選択肢もあるってことだ」
そもそも、誰かとずっと一緒に、なんてことを考えたことのないニアには、そんな発想に至る思考がわからなかった。
根本的なところからツッコむべきなのだろうけれど、それすらも面倒だ。
『もし』などと前置きして、自分の話なのが見え透いている。隠す気もないのかもしれない。何より、『好意』という言葉を口にしていることが、前回とは異なっていて、その違いにニアは動揺を隠せない。
「手に入れた『魂』を奪われるという恐れは?」
本質には触れず、諦めさせる方法を模索する。
「それはニアが1番よく知ってるでしょ。その可能性はほぼない。一度所有した『魂』は、その所有者が消えるまで、手元を離れることはない。つまり、そういう意味でも『魂』の方が守りやすくなるってことだ」
そうでしょ? と言わんばかりに、自信満々に言い切る。
ニアはやはり納得できずにいた。「結局……あなたも同じ選択をするのですね」と、独り言のように呟く。
「シキ、あなたは自信を持ち合わせているようで、その実、それを持っていない。だから、より確実な方を選ぼうとする」
「どういう意味?」
「あなたは、その方法でしか守り切る自信がないのです。自信がないから、そんなかっこ悪い選択しかできないんですよ」
ニアは安い挑発をした。こんなものにはシキは乗ってこないだろう。
ゼノンのことで、少々疲れがあったのだろうかと、すぐさま一人反省会を行っていた。
けれど、ニアの予想に反して、シキは静かに口を開いた。
「そう、なのかもしれないね……肉体ありきの存在を守る自信が俺にはないのかも。だって、ずっとそばにはいられないわけだし。そばにいるには、人間が歳を取るたびに記憶を消して、また新たに出会わないといけないんだから。ずっと同じことを繰り返さないといけないっていうのも、俺にはきついのかもしれないな」
「……」
俯きがちにシキはそんなことを溢した。それはそれで、ニアの動揺を誘うには十分で。
まるで、自分がいじめているような感覚になり、ニアは困ったように眉を下げた。
「どうしたらいいんだろうね。何がベストなのか、どうすれば守れるのか……」
「あなたは、そればかりなのですね」
ニアはため息を落とす。おそらく、何を言ってもシキにはその選択肢しかないのだろうと推測する。
「寿命を終えてからではダメなのですか? 寿命を終え、魂が返還されてからでも遅くはないのではないですか? それでよければ、僕が上に掛け合いましょう」
「掛け合うって?」
「彼女が寿命を全うした暁には、シキのもとにその魂を譲渡することを約束させます」
「何でニアがそんな必死なの」
「僕はずっと言ってるじゃないですか。あなたに『羽あり』みたいなことをしてほしくないんですよ」
ずっと、と言ってもシキはそのことを覚えているはずもない。けれど、必死に訴えかけているニアは、そのことには気づいていなかった。シキもさして気にしていないかのように続ける。
「でもね、ニア。勘違いしてもらっちゃ困るんだけど、俺は『魂』そのものが欲しいわけじゃないんだよ。大切なものを守りたくて、そしてずっと一緒にいたいだけで」
「同じじゃないですか」
「違うよ。全然違う。……いや、いいよ。この話をニアとしてると、永遠に終わらない。要は、誰かを操作して奪うようなマネしなきゃいいんでしょ? 自然に、成り行きに任せて、『寿命』が来たら俺のもとに置く。それならいいんだよね? 掛け合ってくれるんでしょ?」
ニアは訝しげな顔をしたまま、渋々といった様子で頷いた。ほんの少し頭が上下に揺れたように見えただけだったけれど、頷いたのだろうと解釈した。
「大丈夫だよ、ニア」
「……何がですか?」
「ニアが懸念しているようなことにはならない。もう同じ失敗はしないし、人を操ったりもしないからさ。ニアの気苦労も少しは軽くしてあげないとね。俺って優しい」
「何をふざけたことを……って、シキ……あなた……」
目を見開くニアに、「見たいものも見られたし、もういつでも準備万端」とシキは笑みを浮かべていた。
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