7-5 文句と罠

 その日は数日ぶりに雨が降っていた。

 強い雨ではないけれど、朝から降り出した雨はお昼を過ぎてもずっと降り続いていた。

 出不精のニアは、相当な用事がない限り外に出ない。が、室内に篭り、窓の外を眺めているだけで気持ちが沈む。冬の雨は寒くて苦手だし、春の雨は桜を散らすし、夏は蒸し暑くなるしで、とにかくニアは雨が好きではなかった。


「憂鬱ですね」


 ぽつりと溢す。溢した言葉に返事はない。

 それもそのはず。この場にはニアしかいないのだから、返事が返ってくるはずもなかった。


 お昼過ぎなのに、空を覆う厚い雲のせいで薄暗い。

 部屋の中も電気をつけていないため、外の暗さを反映していた。


「久しぶり」


 ニアではない声がした。気配はなかったはずだ。

 声のした方に顔を向けると、うっすらと暗い中に人影を見る。暗闇に目が馴染み、顔が見えるようになると、ニアはあからさまに怪訝な表情を浮かべた。


「何の用ですか?」


 ニアの声は冷たかった。窓ガラスに打ちつける春先の雨よりも冷たい。

 表面に溢れ出る嫌悪感に、目の前の人物————ゼノンは苦笑する。


「つれないなぁ。久しぶりの再会だっていうのに」


「会いたくもなかったですね。よく顔を見せられたものだと感心しているところですよ」


「そんなに褒めなくていいよ」


「褒めてません」


 間髪入れずに返す。


「そんなことより、ちょっと文句を言いたくてね。ニア、わざとまた出会うように仕向けたでしょ? 話が違うんじゃないかな?」


「まさか。あの辺りでの担当になっただけで、その際に偶然出会っただけでしょう。記憶は変えることができても、魂は変えられませんからね」


「魂が引き寄せたとでも?」


「僕にはよくわかりませんが、シキは以前そんなことを言っていましたよ。目に見えないものは信じないと。そんな何の根拠もない不確実で、可逆的なものをどうやって信じればいいのか、と。その点、僕たちにはからと」


 ゼノンが鼻で笑う。


「あの子の『魂』に細工しておいてよく言うよ」


 ニアは何も言わなかった。

 確かにニアは、の魂に少々手を加えていた。シキ対策のためだ。少しでも結末を変えるためには、出会い方から変えるべきだと思っていた。遭遇することに関しては、ニアは何もしていない。これは完全に偶然だ。

 ニアの作戦は功を成したように思えた。それまでやつれていたシキも元通り健康体に戻っていたし、ニアとしてはそれで十分だった。

 その後のことはなるようにしかならないと思っていたし、以前よりも悪い方向には進んでいないと感じていた。

 少しの違いで、これだけ変わるのかと驚くほど。


「結局、振り出しに戻ったってわけだ」


 ため息混じりに聞こえてきた声に、ニアの目が見開かれる。


「振り出し? あなたはまだ諦めていないのですか?」


「何を当たり前のことを言っているのかな? 言ったでしょ。方法はまたいくらでも考えるって」


「そもそも僕には疑問なのですが、『魂』を手に入れて何になるのです? そこに意味はあるのですか?」


「肉体があるから、視覚や聴覚、考える脳なんてものがあるから、余計な気を起こしてしまうんだよ。そんなものは必要ない。純粋無垢なまま、そばにいてくれたら、それでいいんだよ」


 薄暗い中に、ゼノンの怪しい笑みが光る。

 聞いてはみたけれど、愉快そうに語るゼノンの言葉は一つも理解できなかった。自分本位な考えをニアは許容できない。その価値もよくわからなかった。

 ただ一つだけわかることがある。


「では、あなたが存在する限り、シキに安全はないということですね」


「何を安全とするかは、その人の感覚の違いもあるから何とも言えないね」


「わざわざこんなところに出向いたのも、シキに会うためだったのですか? 残念ながら、シキはいませんけどね」


 思い切り嫌味っぽく口にした。

 ゼノンはそんなニアの嫌味を気にする素振りもなく、あっけらかんとした口調で返答する。


「いや……まぁワンチャン狙ってなかったと言ったら嘘だけど。最初に言ったでしょ。ここに来たのは、ニアに文句を言うためだって。君、ほとんど外に出ないから」


「なるほど」


 納得するように頷くや否や、ゼノンの周りを黒いローブを纏った者たちが囲んだ。

 気配で察知していると思われたけれど、ゼノンは動揺している様子もなく、笑みを浮かべていた。


「これは何かな?」


「あなたを拘束します。あの時はまだ十分な確証がなかったので、それが叶いませんでしたが。あなたの方から会いに来てくださって手間が省けました。ありがとうございます」


 黒いローブを着た者が一人、ゼノンの首に何かを取り付けた。重い金属音を鳴らし、取り付けが完了する。ゼノンの力を封じる鎖だ。これで、ゼノンは彼ら特有の能力を発揮することはできない。

 その間、ゼノンは抵抗することはなかった。


「なるほど。まんまと出し抜かれたってわけだ」


「わざわざ敵陣に赴くなんて、飛んで火にいる、というやつじゃないですか。それを狙ってたんですか?」


「まさか」


 ゼノンはただ笑うだけ。その真意は表情を見てもわからない。


「ここで話していても時間の無駄ですね。連れていってください。他の『羽あり』についての情報もできるだけ聞き出してください」


 ニアは同胞たちに指示を出すと、連行されるゼノンの背中を見送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る