7-4 お誘いともしも話
土曜日の昼下がり。
莉李は制服姿で学校から駅までの道を歩いていた。
授業があったわけではないけれど、学校に用があり、いつも通りに登校していたのだった。
時間が読めなかったので、お昼ご飯は外で食べてくると母親には伝えていた。思ったより早く終わり、家に帰ってからお昼ご飯にしても時間的にはちょうどいい。帰ってから自分で作ることも考えたけれど、せっかくなのでどこかで食べて帰ることにした。
何にしようかと、この辺りの飲食店を思い浮かべていた時だった。
ここ最近でお馴染みとなった声が莉李の名を呼んだ。
「紫希さん」
振り返った先には、紫希がいた。
紫希はいつものスーツではなく、Tシャツ、ジーンズにジャケットを羽織ったラフな装いだった。
「あれ? 制服だ。今日も学校だったの?」
「はい、少し用事があって」
莉李と紫希は、帰宅時間によく顔を合わせるようになっていた。
生徒会の集まりで遅くなるとき限定なのだけれど、遭遇した日は決まって、一緒に駅まで向かっていた。紫希の言いつけを守り、そんなに遅い時間に帰ることもなくなったので、遭遇した時も困った表情を浮かべられなくなった。
駅までの長くはない道のりを、二人は他愛のない会話をかわしながら歩く。そんな時間を、莉李は楽しみにしていた。
大抵、紫希が莉李に質問して、それを莉李が答えることが多かった。興味関心を示していることが嬉しく、何より莉李の話を何でも楽しそうに聞いてくれることに、莉李は何とも言い表し用のない感情を心に抱えていた。
「莉李ちゃん、お昼ご飯って食べた? もし、まだなら付き合ってくれないかな?」
「予定あるかな?」と付け足す紫希の声が、珍しく弱気だった。
新たな一面を見られたことに、莉李は少しだけ表情を崩す。
「ぜひ、ご一緒させてください」
「よかった。行ってみたいお店があったんだけど、一人だと入りづらくて」
「紫希さんでもそんなことあるんですね」
「それはどういう意味かな?」
眉をひくつかせる紫希に、莉李は戯けたように笑う。
この短い間で、冗談を言い合える程度には親しい間柄になっていた。
紫希に案内されてやってきたのは、裏通りにひっそりと佇むカフェだった。新しくできたお店というわけではないようで、外装と看板はほんの少し時間の経過を感じさせた。レトロな雰囲気の外装で、扉を開け中に入ると、欧風な家具で揃えらえた内装は、内と外で違和感がない。
学校の近くにあるにもかかわらず、莉李はそのお店の存在を知らなかった。落ち着いた雰囲気の中に可愛らしさもあり、莉李は建物を見て中に入る間に、すでにこのお店が好きになった。
「莉李ちゃん、何食べる? ガレットがおすすめなんだって」
「ガレットいいですね。そうしようかな。種類もたくさんある」
莉李の方に向けられたメニューを見ながら、どれにしようかなと頭を捻る。
メニューから顔を上げ、紫希の方を見ると、微笑むように莉李の方を見ていた。
「ゆっくり決めていいよ」
「紫希さんは決まってるんですか?」
紫希は曖昧な感じに頷いた。
ゆっくり決めていいよと言ってくれたことも、その曖昧な返しも紫希の気遣いだろう。待たせるのも申し訳ないので、莉李は1番最初に目を引いたものに決めた。
店員を呼ぶと、紫希が莉李の分も注文してくれた。
「私がご一緒してよかったんですか?」
半分ほど食べ進めた頃、莉李がそんなことを口にした。
脈絡もない発言に、紫希は首を傾げる。
「莉李ちゃん、こういうお店好きじゃないかな?って思ってたんだよね。だから、ここに来るなら莉李ちゃんと一緒に来たかったんだよ。莉李ちゃんは、俺が一緒じゃ嫌だったかな?」
莉李は慌てたように首を振る。
紫希の言葉に思わず口元が緩みそうになって、手で隠す。
ただ、一つの疑問が莉李の中に生まれていた。それは今に始まったことではないのだけれど、一度生まれた疑問は答えが得られるまで消えてはくれない。紫希がそんな不義理なことをするとも思えなかったけれど、それでも紫希の口から聞きたいという思いが、莉李の口を動かす。
「紫希さんはお付き合いされている方とかいないんですか? もしくは、ご結婚とか……」
その先は言葉にならなかった。
真実を知りたいという気持ちと、知りたくない気持ちがせめぎ合う。どうしてこんなに葛藤しているのかも、莉李にはその理由がわからなかった。
紫希はくすっと笑いを溢した。
「どっちもいないよ。いたら、今ここに莉李ちゃんと二人でいたりしないって」
その答えに、莉李はほっと胸を撫でおろす。どちらに安堵したのかはわからない。付き合っている人も結婚している人もいないと言われたことか、不義理を働くような人ではないとわかったことか。
「それに、俺には望めないことだから」
「? それってどういう……」
口にして、莉李はすぐに後悔した。聞いてはいけないことだったのではないかと思う。けれど、すでに口から出た言葉を取り消すことはできない。
「例えばさ、歳を取らない世界線があったとするでしょ」
「歳を取らない世界線?」
突然始まった紫希の突拍子もない話に、莉李は首を傾げながらも紫希の言葉に耳を傾ける。
「うん。あるところまで成長すると、歳を取らなくなるんだ。不老不死みたいなものかな。みんなが不老不死として生きる世界。そんな中、何かの異常でもし莉李ちゃんだけ歳を取ってしまうとしたらどうする? 周囲が歳を取らない中、自分だけが老いていってしまうとしたら、君は誰かとともに生きることを選択する?」
莉李は俯いた。
よくわからない話に、体のいい断りを入れられているのかと思った。けれど、その意図が何であれ、紫希からの問いについて考えてみる。周囲は今と変わらない見た目で、自分だけシワが増え、体力が衰え、見た目も何もかも変わっていく姿を想像する。その横に紫希を置いてみた。シワだらけで腰も曲がってしまった自分の隣に、若々しい見た目の紫希を。
「紫希さんは、ヨボヨボになった人間をそばに置くのは嫌ですか?」
「質問が質問で返ってきちゃったな。というかあれだね、それだと莉李ちゃんは俺と一緒にいるみたいだ」
首を傾げる紫希に、莉李は自分が言ってしまった言葉の意味に気づき、顔を赤た。
「え、あ、いえ、その……そうじゃなくて」
「違うの?」
戯けたような口調に、口角が上がった表情に、揶揄われたのだと悟る。
咳払いをし、気を取り直して、質問の答えの続きを返す。
「私なら、どんな姿でもいいから一緒にいたいです。一緒にいられなくなる方が嫌ですね」
「どんな姿でも?」
「もちろん、相手の方のご迷惑にならない範囲で……」
付き合うとか、そういう経験のない莉李には、そう答えるのが精一杯だった。
それでも紫希にはそれで十分だったようで、満足そうに笑っていた。
「すみません、ご馳走になってしまって」
お店を出てすぐ、ありがとうございます、と頭を下げる莉李に「俺から誘ったんだし、気にしないで」と笑う。
「とても美味しかったです」
「それはよかった」
「お店の雰囲気もすごくよくて、友達誘ってまた行きたいです」
嬉しそうに顔を綻ばせる莉李に、紫希は首を傾げた。
「俺は誘ってくれないんだ?」
「え……?」
伺うように莉李の顔を覗き込む。莉李は目を見開いていた。
「冗談だよ」
身体を起こし、紫希は笑った。
揶揄われたことを不満に思ったのか、莉李は目を逸らし、口を尖らせる。
「誘ったら、一緒に出かけてくれますか……?」
「俺が莉李ちゃんからのお誘いを断ると思う?」
「それも冗談ですか?」
紫希の表情を伺おうと、顔を上げようとした時だった。
風が吹いた。春一番を思わせるような突風が二人の間を抜ける。
「いたっ……」
風が止むや否や、莉李が目元を手で押さえた。
紫希が慌てたように駆け寄る。
「どうしたの? 大丈夫?」
「だい、じょ、ぶ、です……」
顔を上げる。けれど、顔を覆う手はそのまま。
紫希が莉李の手に触れ、その手を剥がす。刹那、紫希の手が止まった。体全体が止まってしまったように動かない。
紫希の目は、莉李の目に留まっていた。涙を溜めた瞳が映る。
「すみません、目に何か入ったみたいで。もう大丈夫です」
涙を拭いたいけれど、手は紫希に抑えられていて動かすことができない。
莉李は涙目を紫希に向けた。
「紫希さん?」
「あ、あぁ、ごめんね。大丈夫?」
紫希はやっとのことで手を離してくれた。
解放された手を目元に持っていき、軽く涙を拭うと、莉李は笑顔を浮かべた。
「すみません、大丈夫です。この時期は、風が強く大変なんです」
よく目に何かが入るのだと莉李は笑って話していたけれど、紫希はその半分も聞いてはいなかった。
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