7 無二

7-1 再会と遭遇

 放課後。生徒会室には、莉李と野依の二人の姿があった。

 部屋の1番奥に位置する席には莉李が座っていて、その左隣に野依の机が置かれている。資料を前に、二人は何やら作業をしていたのだけれど、野依の方が先に終わったのか片付けを始めていた。


「成瀬、帰れる?」


「えーと、もうちょっとだけ……これだけ終わらせようと思って」


「手伝う?」


 野依の気使いに莉李は首を振る。


「ううん、大丈夫」


 ありがとう、と笑みを向けると、野依は申し訳なさそうに生徒会室を後にした。手に持っている荷物からして、おそらく部活の方にも顔を出すのだろう。なかなか忙しい人だ。


 一人になった生徒会室で、莉李は目の前の資料に集中していた。

 春が近づいているとはいえ、まだまだ昼の時間は短い。冬特有のどんよりとした雲は、ここ最近ほとんど見なくなっていたけれど、沈みかけた太陽に、空はすでに暗くなり始めていた。







「まだ残ってたのか。下校時間過ぎるから、切り上げて帰れよ」


 見回りに来た先生の声に、莉李は顔を上げ、壁にかけられている時計を見た。

 野依が生徒会室を出てから、一時間以上経過している。集中しすぎて、当初終わらせようと思っていた仕事以外に、他の資料にも手をつけていたようだ。真っ暗になっている外の景色に、思わず苦笑を浮かべる。


 靴を履き替え、外に出ると、冷たい空気が頬に触れた。

 まだ冬の名残りはあるけれど、確実に春へと向かっている。その証拠に、桜の蕾もちらほら見られるようになっていた。

 今年の桜の開花は、いつもより早いのだろうか。そんなことを思いながら、莉李はコートを手繰り寄せた。


「あれ?」


 声が聞こえたような気がして、莉李は反射的に振り返る。

 ふと、とあることを思い出す。暗い中、振り返った先に目に見えないあの怖いものがいて、その怖いものと目が合うと、そのままついて来られる————なんてことを思い出して、莉李は途端に振り返ったことを後悔した。聞こえたはずの声すらも、空耳だったのではないかと思う。けれど、実際にはちゃんと人が立っていた。人だ。


「あ……」


 振り返った先には、先日、莉李が間違って声をかけてしまった男性が立っていた。知っている人というわけでもないのに、安堵するように肩を落とす。

 仕事帰りなのか、スーツを着ていた。確か、初めて会った時もスーツだった。この日は、チャコールグレーのスーツを全身に纏っていた。


「また会ったね」


「先日は急に声をかけてしまって、すみませんでした」


「全然、気にしないで。……こんな時間まで学校?」


「はい。ちょっと色々やってたら、遅くなってしまって」


 莉李は照れ隠しのように苦笑した。

 訝しげな表情を浮かべる男性に、咎められると思ったのかもしれない。ほぼ初対面の人に何を咎められるのかについては、詳しいことまでは考えていなかった。


「頑張ってるのは素敵なことだけど、こんなに遅くなるのは感心しないな。危ないし、今度からは暗くなる前に帰るようにしてね……なんて、お節介だったか」


 男性は肩をすくめて謝罪の言葉を口にした。

 莉李は焦ったように首を振る。


「心配してくださってありがとうございます。以後気をつけます」


「いい返事だ」


 男性は目を細めて、穏やかな笑みを浮かべていた。


「暗いし、駅まで送ろうか? 俺もそっち方面だし……って、そっちの方が危ないか」


 今度は眉を下げ、笑みが苦笑に変わる。

 ほぼ初対面なのに、自然と会話が進む。莉李としては、『知っている人』に似ている相手を前に話しているので、人見知りもしなかったのかもしれない。相手はというと、莉李よりは明らかに年上なので、大人な対応をしてくれているのだろうと思った。先ほどから気使いを見せつつも、すぐに否定が入るのも、その一貫なのだろうと。

 莉李はそれを優しさと受け取った。


「駅までご一緒してもいいですか?」


「もちろん」


 気を使わせちゃったね、と笑う男性に、莉李はもう一度首を振った。


「あ、俺は紫希って言います」


「しきさん? 苗字ですか?」


「ううん、名前だよ。苗字はあんまり好きじゃないから、名前で呼んでもらえると嬉しい。えーと……名前聞いてもいいかな?」


「成瀬です」


「下の名前は?」


「莉李と言います」


「そう……莉李ちゃんって言うんだ。可愛いね」


 たかだか、街で偶然顔を合わせただけ。これがの遭遇で、名乗る必要もない程度の出会いなのに、二人はごく自然に自己紹介をしていた。訊かれたから答えた、莉李にはそのくらいのことだったのかもしれない。

 何より、微笑みの中に紡がれた言葉に、顔が火照り、その熱を治めようと必死だった。

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