6-8 知っている人かと
新たな担当区域にやってきたシキは、腑に落ちないとでもいうように、足を踏み出せずにいた。
ニアからは何の説明もなかった。それはいつものことなのだけれど、今回に関しては、訳のわからないニアの言葉があってからの移動なので、何らかの説明があるものだと思っていた。けれどニアは、移動先と業務内容のみを伝えただけ。行けばわかるからとのこと。
新しく訪れた街は、どこか懐かしい感じがした。初めて来た場所のはずなので、そう感じるのは不思議な話だ。単に似たような街に行ったことがあるとか、空気や匂いが似ているとか、そういう近似した記憶によるものだろうと解釈した。
あれだけ休めと口をすっぱくして言っていたニアが、やっといつも通りの仕事量に戻したかと思うと、それは気休めだった。ここでの仕事を一気に提示されたため、多く見えただけだった。
その実、一日の仕事量はさして変わらない。一つや二つといった程度だった。
業務が業務なだけに、一日にそう何件も入るのもどうかと思うわけだけれど、その割にはここでの期間が長いような気がした。数日空くこともあるのに、その間、別のところでの仕事を与えられることはなかった。それをニアに問いただすと、「その数日は散歩でもしたらどうですか?」と返されただけだった。
強制的に休ませる策なのか、お払い箱にされたか————そのどちらかだろうと読んでいた。
足を一歩踏み出すと、先ほどまで躊躇していたのが嘘だったかのように、流れるように一歩、また一歩と進んでいった。
行き先が決まっているとはいえ、知らない場所で、初めて行くところに迷いなく向かえることは早々ない。それでも、シキの足は止まることなく進んでいた。
赴くままに進んでいると、ふと我に返って、目的地とは違うところに向かっていることに気づく。
勝手知ったる場所かのように歩いていたのは気のせいだったのかと、思わず自嘲したくなった。
けれど、確かにどこかに向かっていたような気はしていた。それがどこかと問われれば、シキの中に明確な答えはない。ないけれど、確かにどこかに行こうとしている、という意識があるのは確かだった。
とはいえ、あまりふらふらしたい気分ではなく、シキは踵を返すと、本来の目的地の方へと足を向けた。
時間に余裕はある。ニアの指示通り、散歩でもして時間を潰そうかと思った矢先のことだった。
「あの、」
後ろからかけられた声に振り返る。
周りには誰もいなかったので、自分に向けられたものだろうと思った。
振り返った先には、制服を身に纏った女の子が一人立っていた。
ふんわりとしたショートヘアの女の子だった。瞳の色と同じ真っ黒な髪は、夕日の色さえも反映しない。
真っ直ぐ見つめるように上を向くその姿に、鼓動が高鳴る。
脈が速くなる。シキは胸のあたりに手を置いた。振動がリアルに、その鼓動を伝える。
「何かご用ですか?」
シキは平静を装うと、笑顔を繕った。
目の前の女の子は、なぜか焦ったように口をまごつかせる。
「すみません、知っている人かと思ったもので……急に声をかけてしまってすみません」
女の子は再度謝罪の言葉を紡ぐと、軽く会釈してから、そそくさとシキに背を向けた。
去りゆく背中に、思わず声をかけそうになる。引き止めようとしていたのか、手も伸ばしていた。けれど、そのどちらも女の子には届かず、行き場のなくなった手はしばらく宙を彷徨っていた。
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