6-6 お腹でも空いてるんじゃないですか

 ニアは頭を悩ませていた。原因は、シキの仕事態度だ。

 そんなことは今に始まったことではない、と思われるだろう。いかにバレないようにサボることができるか。そんなことを常々考えているような男だ。その度に、ニアは監視の目を光らせなければならなかった。

 けれど、今回の問題はいつもとは逆なのだ。

 シキが————怠惰で、自堕落なあのシキが、仕事に打ち込むようになったのだ。

 素直に喜べないところが、何とも悲しい気持ちにさせる。が、文句も言わずに、むしろ自ら率先して仕事を求めるようになったシキに、ニアは怪訝な表情を浮かべていた。


「ニア、終わったよ。次は?」


 ————このざまだ。耳を疑いたくなるという心境はもうすでに通り過ぎていた。自分を、というよりも、シキが変わってしまったのだろうと疑念がそちらに向く。

 記憶を操作する際、何か余計な部分までいじってしまっただろうかと、一通り考え得る全てのことを思案してはみたけれど、何も思い浮かばなかった。


「ニア?」


「……失礼。えーと、何でしたっけ?」


「言われてた分の仕事終わったよ、って。次の指示を」


「ちょっと、働きすぎじゃないですか? 少しは休んだ方が」


「大丈夫だよ。休みたくなったら休むし、でも今はその時じゃないから」


 仕事をくれ、と言わんばかりに、シキは両手を前に出した。

 その時とはいつやってくるのだろうか、とニアは首を傾げる。

 一つわかったことと言えば、仕事をしようがしまいが、言うことを聞かないということだった。







 ***






 シキに休養を取らせるためにはどうすればいいだろうかと、ニアは頭を捻っていた。

 休暇を取らせる方法を考えるべきか。もしくは、休養を取りたがらない理由を考えるべきなのかもしれない。相手がシキともなると、どちらもそう簡単には答えが見つかりそうにもなかった。

 強制的に仕事をさせない、という選択肢もニアの中にはあったのだけれど、それは最終手段だ。


 考え事をしながら歩いていると、何かにぶつかった。

「すみません」と声がしたため、物ではないことは理解した。


「すみません、前見てなくて」


「いえ、こちらこそ。怪我はありませんか?」


 ニアの問いかけに、ぶつかった相手————ウィルが大丈夫だと頷く。

 双方、幸いにも体格も似ていて、歩く速度もさほど速くなかったため、転んだりすることはなかった。


「仕事は慣れてきましたか?」


「はい、おかげさまで」


 ここで会えたのもいいタイミングだと、仕事の諸々について二、三質問した。

 困ったことはないかと訊ねると、ウィルは今のところ特にないとの返事をする。


「あ、でも……」


「何か?」


「ちょっと気になることがあって……シキさんのことなんですけど」


「シキがどうかしましたか?」


 食い気味にウィルに詰め寄る。珍しく前のめりになるニアに押されるように、ウィルが引いているのが見てとれて、ニアは後ろに下がりながら「失礼しました」と口にした。


「それで、シキが何か?」


「何というかちょっと……」


 ウィルは言い淀んだ。ニアの様子を伺うように、チラリと目線を向けるとそのまま逸らし、小さい声で続ける。


「ちょっと働きすぎじゃないですか? まだ本調子じゃないと思うんですけど、無理しているように見えるというか……あ、いえ、無理っていうのは嫌々とか、そういう意味ではなく」


 焦って弁解を始めるウィルに、ニアは感情なく頷く。

 無愛想にも見えるけれど、それがニアの常なので、おおよそ「わかっていますよ」という意味なのだろう。ウィルも肩を下ろしながら続ける。


「それに、休眠すら取っていないみたいで……確かに僕たちは睡眠を取る必要はありませんが、それでもやはり心配で」


 僕が心配するなんておこがましいかもしれませんが、と言って口を閉ざした。

 シキとの最初の仕事以来、すっかり大人しくなってしまったウィルは、以降もシキとは距離を取っているように見えた。

 距離を取っているからこそ、見えるものもあるのかもしれない。距離を取りたくなるようなことがあったからこそ、遠くから様子を伺っていて、だからこそ視ることができたのかもしれない。

 いずれにせよ、ウィルですら気づいているということは相当だ。

 休め、と伝えているにもかかわらず、言うことを聞かないことも気になった。

 やはり、早急に対処する必要があるだろうか。いっそ、本人に直接聞く方が早いようにも思える。

 ニアは強く頷くと、決断した。


「ウィル、ありがとうございました」


「え? えーと……?」


 ウィルの言葉を待たずに、ニアはシキを探しに向かった。







 ————————————————

 ————————






「シキ、ちょうどいいところに」


 探し人は探すまでもなく見つけることができた。


「どうしたの?」


「何かあったんですか?」


 単刀直入とはこのことだ。前置きも何もなくかけられた言葉に、さすがのシキも目を丸くする。


「率先して仕事をしてくださるのはとてもありがたいことなのですが、どうも調子が狂うのですよ。もし何かあるのでしたら、話してくれませんか?」


 記憶は消したけれど、何かの断片が残っていないとも言い切れなかった。一部分でも記憶の断片が残っていると、意識に混乱を生じかねない。

 一つだけ思い当たる節がないわけでもなかった。ただ、その考えはすぐに一蹴された。それはニアが以前思っていたことと反対の答えになるため、否定せざるを得なかった。自分の考えに合わないからと、何の根拠もなく切り捨てるのもどうかとは思ってはいたけれど。

 聞いてみたはいいけれど、シキが正直に口をするとは思えなかった。いつものように適当にかわされて終わりだろう、くらいに思っていた。けれど、ニアの願いは叶うことになる。


「実はさ、」


 シキは重そうに口を開いた。


「何かこう、うまく説明できないんだけど……何かがなくなってしまった、っていうのかな。そういう感覚なんだよね。こう、ぽっかり穴が空いているような。どこが? って聞かれると、それも明確な答えはないんだけど……仕事してると余計なこと考えなくてすむから。暇な時間をなくしたいんだよね。暇の中に身を置いていると、頭が自然に空いた隙間のことを考えてて、無意識に考えてて、そのうち、そのまま落ちちゃうんじゃないかって」


 伏目がちに下を向いたシキから、目を逸らす。ニアは何と声をかければいいのかわからなかった。

「消えた記憶の中に、答えがあったりするのかな」と呟くシキに、いよいよ何も言えない。


「お腹でも空いてるんじゃないですか」


 苦し紛れに適当なことを口にする。


「ニアじゃないんだからさ」


 シキがいつものふざけたような口調で返したくれたことが、唯一の救いだった。

 光の入っていない瞳を横目に見ながら、ニアは考えていた。後悔していると言っても、あながち間違いではないかもしれない。

 あの時、あの状況ではあぁするしかなかった。あの選択が最適だったのだと、そう信じていた。————けれど今となっては、それも言い訳なのかもしれないとも思えた。自分がもっと上手く立ち回っていれば、もっと早くにやるべきことをやっていれば、は違っていたのかもしれない。

 もしも、を考えるのは好きではない。そんなのは時間の無駄だ。それでも考えずにはいられなかった。

 変わっていくシキの様子を目の当たりにして、ニアは自分を責めることが多くなった。自分の考えを改めなくてはいけないような気もしていた。ただ、同じ過ちを————同じ苦しみをシキに味合わせたくはなかった。その想いが、ニアの行動を制限していた。

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