5-9 作為的agreement

 結局、莉李に連絡できないまま、時間だけが過ぎた。

 相変わらず多大な仕事を押し付けてくるニアを言い訳に、シキは現実逃避に走っていた。それでも頭は、そのことにしかエネルギーを使わなくなったかのように、一つのことだけを考えていた。どうするのが最適なのか、何通りものパターンを想定する。

 自分が優先させるべきことは決まっているのに、彼との取引が————そして、自分の中にある別の欲望が、その答えを阻んだ。


 顔を見ることもなく日々が過ぎ、いつもと変わらず学校から担当現場へと向かおうとしていた時だった。シキはゼノンの姿を見かけた。どうしてこんなところにいるのだろう、と思う前に、一緒にいる人物に首を傾げる。

 どうしてあの二人が? と、不思議に思いながらも、シキは二人の後を追っていた。







 人気のない場所に移動すると、ゼノンはそこで包帯を取った。

 ゼノンの紋章————能力の源は、左耳の下、首筋に沿うように刻まれている。首に巻いている包帯を隠すように、ハイネックの服をよく着ていた。包帯自体を隠す必要はないのだけれど、シキも夏の暑い日でも長袖を身につけていた。


 髪が金色に輝く。見慣れたその色に見惚れていると、次いで現れたにシキは息を呑んだ。

 ゼノンは背中に、黒い羽根を携えていた。

 通常、彼らに羽根はない。羽根を持つということは、の証。それは、自ら魂を奪える存在————シキが憎しみを抱いている『羽あり』だ。

 彼らが生み出される方法はわからない。わかっていることは、普段は羽根を隠し、特有の気配を消し、シキたちと何ら変わりはなく日常に溶け込んでいて、魂を奪うタイミングを狙っているということだけ。


 シキは目を疑った。幻を見ているかのようだった。

 ゼノンの口から語られる言葉も、すぐには理解できずにいた。

 あまりの動揺に、フラつく足取りで————ほぼ無意識に二人の前に出ていた。


「ゼノン、今の話何? それにその姿……」


 シキの瞳が揺れる。

 受け入れ難い現実に、智也の存在を忘れてしまったかのように、ゼノンしか見えていないようだった。



「……まさか、こんな形でバレるとは思わなかったよ」


 ゼノンは、ため息をついてから続ける。


「でもま、バレちゃったならしょうがない。そう、見ての通りさ。僕は、君たちが『羽あり』と呼んでいる存在なんだ」


 先ほどまで眉を下げ、困ったような表情を浮かべていたゼノンだったけれど、それも一瞬のことだった。いずれバレると思っていたのか、もともとバレて困ることはなかったのか————声すらも楽しそうな音を奏でる。


「隠してたってこと?」


「だって、本当のことを言ったら、シキは僕と友達にすらなってくれなかったでしょ?」


「友達? じゃあ、ゼノンはに正体を隠して……嘘をついてそばにいたってこと? 俺が、を憎んでいるとわかってて……?」


「シキが僕たちに抱いている感情を知っていたからじゃないか……でも、シキ。これだけはわかってほしい。僕は君を欺きたかったわけじゃない。嘘をついてでも君のそばにいたかっただけなんだ」


 シキは何も言わなかった。

 わかってほしいと言われたところで、許容できないとでもいうかのように顔を顰める。


「でも、君だって同じだ。君は僕を裏切った。……いや、シキが悪いわけじゃない。悪いのは、シキを狂わせた彼女だ。今の君は、君じゃない。僕が正気に戻してあげる。僕は本当の君を取り戻してみせる。そのために、僕たちの邪魔をするものは、それが何であっても排除しないと。そうでしょ? 僕は、狂った君も、僕の大切な君を狂わせた彼女も、排除する」


「何を……」


「言ったでしょ、シキ。タイムオーバーだって。僕はなんだ。意味わかるよね? 君も、君が入れ込んでいる彼女も、僕の手にかかれば簡単に消せるんだよ」


 薄暗い中、ゼノンの金色の髪が輝いたような気がした。

 身勝手に進められる言葉に、理解が追いつかない。それでなくても、まだゼノンがだという事実を受け止めきれてはいなかった。その姿を見れば、一目瞭然なのに。


 『僕の手にかかれば簡単に消せるんだよ』


 であれば、確かにそれも可能だろう。

 けれど、ふと我に返ると、シキは不思議に思った。なぜ、ゼノンが主導権を握っていることになっているのだろうか、と。

 だからと言って、自分勝手に、自由に搾取できるわけではないはずだ。『魂』を得るには、『同意』が必要となる。であれば、彼女の『魂』もそう易々と手に入れられるはずはない。それはシキ自身のものも同様だ。


「余計なことは考えないことだね」


 相変わらず愉快そうな口調で、ゼノンが口を開く。


「確かに『同意』は必要だけど、シキ、君に関しては一度僕に『同意』している」


「は?」


「あの時……僕が視力を失ったあの時、シキは僕に『くれる』と言った。単純だと笑うだろう。でも、『同意』はそれで十分なんだよ」


 ゼノンの言葉に、シキは記憶を探る。

 悲しく、辛い思い出として残るあの時の記憶は、抹消したいという思いで、奥底にしまっていた。けれど、探すまでもなく、無情にもすぐに蘇る。だが、ゼノンが言う『同意』の言葉を口にした覚えはなかった。

 あの時、シキは気が動転していた。自分が口にしたことなど覚えていなかった。ほぼ無意識に、言葉が口を出ていたため、いくら探しても自分が言ったことを思い出すことはできない。

 記憶を辿ってみたけれど、やはりそんなことを言った覚えはなかった。けれど、ゼノンが嘘をついているようにも思えない。ハッタリの可能性もあったけれど、目の前の彼は真剣な表情だった。


「まさか、その怪我……わざと、じゃないよね?」


 ふと思い至ったことを口にする。自分で言っておいて、馬鹿らしいと思った。

 否定されると思っていた。「面白いことを言うね」と、一蹴するように笑ってくれると思っていた。けれど、シキの予想に反して、返ってきたのは嘲るようなものではなく、愉快そうな笑いだった。


「それは、ご想像にお任せするよ」


 ゼノンの返答はそれだけだった。答えを知るには、それで十分だった。

 改めてゼノンの方に目線を向けると、シキは鼻を鳴らす。


「何?」


「いや……やっぱり、はみんな同じなんだなと思って。ゼノン、君も」


「自分本位で奪っているとでも言いたいのかな? それなら、シキ、君にも身に覚えがあるはずだよ。そもそも、君が他に大切なものなんてつくるから悪いんだ。僕は君だけで、君も僕だけだったのに……そんなの君じゃない。今の君は、僕の大切な君じゃない。僕のそばに置いて、君の目を覚まさせてあげるよ。だから、早く僕だけのシキに戻って……」


「俺は、昔も今もゼノンのものだったことなんてないけど……もうそれでもいいから、彼女には手出しはしないって約束して」


「最後まで執着するって言うのかい?」


「違うよ。俺がいなくなるなら、君が彼女に干渉する必要もなくなるでしょ。それとも、一緒にそばに置いてくれるのかな?」


 敢えて挑発するような口調を選んだ。ゼノンが乗らないはずがないと踏んでいた。

 本音を言うと、彼女を他の誰かの元に置いておくなんて絶対にしたくないと思っていた。

 自分が消えた後でさえ、自分以外のところにのは、シキには耐え難いことだった。


 ゼノンは鼻を鳴らした。

 言葉はなかった。以降のことを確認する術は、シキにはない。だからこそ、ゼノンがそんな無駄なことをするとは思えなかった。

 ゼノンと対峙しながら、最後の最後までこの場を切り抜ける方法を考えていた。それもまた無駄なことのように思える。

 シキは静かに目を閉じた。心の中で、ニアに向けて謝罪の言葉を呟きながら————

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