5-8 終焉alternative

 ここ数日、智也は遠目に様子を伺っていた。

 あの夜、感じた異変の正体を探っていた。が、彼女は至って普通に見えた。そう装っているのかもしれないけれど、無闇に触れる必要もないだろうと、見守るだけに留めておいた。

 大方、会長あいつ関連のことだと感づいていたのかもしれない。だからこそ、聞けなかったとも言えた。


 その日は、美桜も久弥も用事があるとのことで、別々で帰ることになっていた。

 莉李が教室を出ていくのを見送ってから、智也も教室を後にする。

 そのタイミングで出てしまったせいで、気づけば莉李の後を追っているような形となっていた。智也は内心、言い訳まがいなことを思う。方向が一緒なのだから仕方ないのだと。

 それでも、途中まで一緒に帰ろうと声をかけるという考えは、智也の中にはなかった。


 校門を出てしばらくしてから、莉李の足が止まった。自然と、智也も立ち止まる。

 誰かに声をかけられたようだ。智也の位置からは、相手の後ろ姿しか見えない。

 背が高く、銀色の長い髪を一つに纏めていた。

 顔は見えないけれど、醸し出される雰囲気には身に覚えがあった。だがしかし、具体的なことは何もわからない。


 二、三言葉を交わしたあと、莉李はその人物についていくように歩き出した。

 不意に見えた横顔にハッとした。身に覚えがあるなんて、そんな生ぬるいものじゃない。髪型も髪色も、表情も違っていたけれど、あれは間違いなくだ。

 沸き立つ怒りの感情を抑えることなく、智也は二人の後を追った。


「おい」


「え、対中くん?!」


 莉李の腕を掴み、引き寄せる。そのまま莉李を自分の背後へと隠した。


「どうしたの? 君の知り合いかい?」


 声を聞いて、智也は確信する。その声も、顔も、忘れたことはなかった。

 目の前の人物は顔を動かし、智也たちの方を見た。けれど、完全にはこちらを向いていないことに智也は違和感を感じる。

 だが、そんなことを気にしている余裕はなかった。今は他に優先すべきことがある。


「成瀬、お前先に帰ってろ」


「え……でも、」


「いいから」


 智也の声に圧を感じ、戸惑いながらも莉李は智也の言葉に従った。


「勝手なことされたら困るなぁ。僕は彼女に用があったのに」


 というわりには、莉李が去るのを止めることもせず、姿が消えるのを待って口を開いていた。

 口角が上がった顔に、智也は眉を歪ませる。その表情もまた見覚えがあった。


「俺はお前に用がある」


「僕に? 見ず知らずの人間が、僕に一体何の用があるって言うんだい?」


「見ず知らずじゃねーよ。俺はお前に、妹を奪われた」


 智也の怒号に怯むことなく、目の前の人物は首を傾げていた。

 何のことを言われているのかわからないといった様子だ。無理もない。突然、そんな言葉をぶつけられたら、誰だってそうなるだろう。だがしかし、そんな懸念をよそに、銀髪の人物は何かを思い出したように表情を変えた。


「……もしかして、君、あの時の? 僕の話も聞かずに嘆いていた彼なのかい?」


「まさか、こんなところで会うなんてな」


 しかも、莉李あいつに接触しているなんて————

 嫌味を言われていることに気づいているのか、いないのか。智也は全面に嫌悪をあらわにすると、目の前の人物を睨みつけた。


「本当にね。確かにあの時、僕はまた君に会いたいと言ったけれど、こんなところで再会するとは。狭い世の中だね。それに、君は勘違いしているよ」


「勘違いも何も、お前が奪ったことに変わりはないだろ!」


「ひとまず場所を変えよう。ここじゃあ、落ち着いて話もできない」








「同意だったんだよ」


 場所を移動し、人の気配が消えるとすぐ、彼は首に巻いていた包帯を解いた。

 髪色が銀から金へと輝きを変える。包帯が外れた首に手を触れると、漆黒の羽が背中にその存在を現した。どれもあの時と寸分の違いもない。


「あの時、君は全然僕の話を聞いてくれなかったからね。君は真実を知ってもなお、同じことが言えるかな?」


 そう言うと、彼は智也の方に向かって手を伸ばした。

 手は触れる直前で止まる。その動きを訝しげに見つめていると、投影されるかのように、少しずつ脳内に映像が流れ込んできていた。







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 アイボリーカラーのカーテンが視界に揺れる。

 机、ベッドなどの家具の色が統一された部屋は、陽の光が差し込まずとも、暖かみが感じられた。

 見慣れた光景。それでも、ずっと昔の記憶のように、懐かしさを感じる。

 、智也はベッドの方に視線を送る。だがしかし、そこにいるはずの姿は見当たらなかった。

 顔だけを動かし、部屋中を見回す。自分の意思が反映されるかのように、映像もまた視覚を補完していた。

 その姿は窓際で見つけた。どこかから移動してきたのだろう。

 肩に当たって跳ねる髪。彼女はその癖っ毛を気にしていたようだけれど、智也からすれば、それも可愛らしい一面だった。

 身に纏っているのは、彼女がお気に入りだと言っていたパジャマ。ここ数年、通院以外の外出は許可が出なかったため、私服はほとんど持っていなかった。服が欲しい、外に遊びに行きたいなどと、表立ってわがままを言うこともなかった。


 外を眺めていた。たまに体調のいい日は、ベッドから出て、窓の向こう側を眺めていることがあった。何か面白いものがあるわけでもなく、限られた視界の中で得られる景色は、さほど変わらないだろうに、彼女は何の気なしに、そこにあるを感じていた。その姿が、外に出たいと言っているかのようで、実際に言葉にして言われるよりも悲しく、申し訳ない気持ちになる。


 これは何だ? 過去の記憶か?

 そう思いながら、智也は壁にかけられたカレンダーに目を移す。

 カレンダーは過ぎた日に斜線がつけられていた。今日は————

 数字を目にするや否や、その目が見開かれる。そんなはずはない。何かの間違いだ。

 焦るように、智也はもう一度、カレンダーに書かれた数字を見た。斜線が引かれた右隣の数字を————

 まさか、そんなはずは……

 カレンダーの日付は、彼女が亡くなった後の数字を示していた。にもかかわらず、彼女は生きていて、窓の外を眺めている。


 カーテンが揺れ、智也の疑問は一旦置かれる。

 カーテンが揺れたことに、改めて不可解さを感じた。カーテンが揺れる条件はいくつか考えられるけれど、この場合、何かがカーテンに触れたか、もしくは窓が開いているかのどちらかくらいだろう。しかし、その揺れ方は両者で異なる。見えている揺れ方は明らかに後者だ。

 窓の方に意識を向ける。先ほどまで開いていなかったであろう窓が、ほとんど全開まで開け放たれていた。彼女はそこから身を乗り出し、手を伸ばしている。彼女の体は、上半身が外へと出ている状態だった。

 智也は焦るままに手を伸ばした。けれど、手は動いたにもかかわらず、足はその位置に固定されているかのように進まない。動けないことに疑問を抱く暇もなく、目の前いたはずの彼女が視界から消えた。

 新たに聴覚が身に付いたかのように、音が鼓膜を振動させる。ブレーキ音のようなおどろおどろしい騒音が聞こえたかと思うと、それはそのまま轟音へと変わった。

 見て確認せずとも、その最悪の事態を想像できることに智也は吐き気を覚えた。頭を抱えるように目を閉じると、そのまま目の前が暗転した。






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「どっちがよかった?」


 景色が変わり、目の前の人物が口を開く。相変わらず口角を上げ、「僕の優しさで、最期は見せないでおいてあげたよ」と言う。

 状況が飲み込めない智也は、さらに眉根を寄せた。


「これは一体、何なんだ……?」


「君の妹が通るはずだった運命だよ」


「運命?」


 目の前の人物は楽しそうに頷いた。


「彼女のの死はとても残酷で、苦しいものだった。2階から落ちただけでも衝撃はすごいのに、ちょうどそこを通った車に轢かれているからね。身体はほとんど原型をとどめていなかった。さらに不幸なことに、彼女の息はまだ残っていたから、その痛みを感じながら最期を迎えることになっていたんだ。彼女だけじゃない。下手をすると君も、君たちの両親さえも立ち直れなくなっていたんだよ。それを救済したんだ。むしろ感謝されたいくらいだね」


「それでも!」反発するように声を荒げる。


「それでも、もっと一緒に生きられたはずだ……時間を共有できたはずなのに、あんたはそれを奪った! まして、それを知っていたのなら……」


 回避することだってできただろうに、とそんな言葉が喉から出そうになって、けれど声にはならなかった。彼らにそんなことを言っても無意味だということをわかっているのだろう。


「寿命を延長することはできない。だから、彼女が助かる方法はなかった。それにね、あれは彼女が望んだことだよ。自分が痛い思いをするのは仕方ないけど、君たちに辛い思いをさせるのは嫌だと言ってね。僕は彼女の願いを叶えてあげたんだよ。彼女の願いを叶えるために、を結んだ。僕は彼女の願いを叶える代わりに『時間』をもらった。当然じゃないか。タダで願いが叶うはずがない。彼女の命はわずかしか残っていなかったし、それでは対価にならない。だから、時間をもらった。ほんの時間をもらうだけで、君たちが一生苦しんだかもしれない長い時間から解放してあげたんだ。彼女の死顔も美しいものだっただろう? やっぱり君は僕に感謝すべきなんだよ」


 愉快そうに語る声を遮断したかった。

 理解が追いつかずに、智也は口を閉ざす。

 一瞬、静寂が空間を包んだ。静寂を崩したのは、二人のものではない物音だった。



「今の話、何……?」

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