5-5 逆説trap

 振り返ると、きれいな顔立ちをした男性が立っていた。見上げるようにした目線に、一つにまとめた銀色の長い髪が映る。

 その髪が揺れた。顔へと視線を向けると、今度は首を傾げている姿が目に入る。


「あの……?」


「あ、すみません。どうかされましたか?」


「突然声をかけてしまい、申し訳ないです。道を教えていただきたいのですが」


 行き先を訊ねると、男性は手に持っている紙を莉李に見せながら、「ここに行きたいのですが」と伝えた。失礼して拝見すると、目的地は莉李も知っている場所だった。だが、駅からは1kmほど離れていて、かつ入り組んだところにあるため、説明するにも少々苦戦を強いられた。


「えーと、どうやって行かれます? 歩いても行けますが、ちょっとわかりにくいかもしれないです」


「そうですか……歩いていくつもりだったんですけど、難しいですかね?」


「うーん……あ、もしご迷惑でなければ、ご一緒してもいいですか? ここからだと10分くらいなので、案内した方が早いんですが」


「よろしいんですか?」


「はい」


 笑顔で返した莉李は視線を逸らすと、手を差し出そうとして躊躇した。

 こんな時、どう対応すればいいのか、経験のない莉李はわからなかった。

 あたふたしているところに、頭上から笑い声が聞こえる。息が漏れる程度の音に、顔を上げると、手を口元に移動させた男性が「失礼」と口にした。


「大丈夫ですよ。が、補助なしで歩けますから」


「……すみません」


「いえ。お気遣いありがとうございます」


 男性は優しく微笑むと、「案内お願いします」と言った。





 ————————————————

 ————————






「学生さんですか?」


「はい。二駅隣の高校に通っています」


「二駅……じゃあ、もしかしてシキを知ってますかね? えーと、確か国東……」


「あ! 紫希先輩ですか? 紫希先輩をご存知なんですか?」


「えぇ。シキは僕の友人です」


「そうだったんですね。すごい偶然!」


 思わぬところで共通の話題を手に入れ、莉李の声が弾む。話題を提供してくれてありがとうございます、とどこにいるかもわからない紫希を拝む。

 莉李は、学校での紫希の話をした。生徒会長をしていて、生徒会役員という関わりで知り合ったのだと説明する。

 聞けば、彼は古くからの知り合いらしく————どういう知り合いなのかは濁されたけれど————紫希とは長い付き合いとのことだった。


 歩きながら、会話も進む。

 時折、段差などの障害がある度、隣に意識が向くけれど、莉李の心配を他所に、見えていないことを感じさせない足取りだった。


「気になりますか?」


「え?」


「目のことです。この目はね、シキにあげたんですよ」


 突然投下された予想もしなかった言葉に、莉李は息を呑む。

 言葉の意味はすぐには理解できなかった。目はあげたり、もらったりするものだろうかと、大真面目に考える。いくら考えても、それを肯定する答えは見つからない。


 莉李は固まったまま。

 重い空気を一掃するかのように、目の前の男性が吹き出した。もちろん、莉李にはどうしてそんな反応を示されるのかはわからない。


「そんなに深刻な話ではありませんよ。事故に遭いそうになったシキをかばってできた名誉の傷が原因なので」


 それは十分、深刻なのでは、と思う。

 事故に遭いそうになった、という点も気になったけれど、“名誉の傷” と口にしたその言葉の意味も、やはり莉李には理解できなかった。

 彼の口調からは、恨みのような感情は感じられない。むしろ、声色は明るく、嬉しそうだった。


 不意に男性の顔がこちらに向く。

 瞳には自分の姿は映らないのに、なぜか見つめられているような、見透かされているような気持ちになった。


「シキは僕に負い目があるんです。もうずっと昔のことなのに、シキはいまだに気にしてるんですよ。それもシキらしいけど」


 弾むような声で続ける。


「これからもずっと僕に負い目を感じて生きていくんだ。だから、シキは僕から離れたりしないし、最終的に選ばれるのは僕なんだよ」


 口調が変わる。言葉の意図はわからない。

 頭は混乱したままだったけれど、莉李には一つ、気になることがあった。


「負い目を感じさせるために————そのために、かばったんですか?」


 わざと怪我を? と出かかった言葉は、声になる前に飲み込んだ。


「君には理解できないだろうね。僕はシキのためなら何でもできるけど、君はどう? 君はシキに何をあげられる?」


「負い目を感じさせたかったってことですか? かばうことで、自分が怪我することよりも、苦しむことがわかっててそんなことを……?」


「僕にだけ向けられるものなら、どんな感情でも嬉しいからね。あぁ、理解してもらわなくて結構。理解してほしいなんて思ってないから」


 気づけば、先ほどまでの楽しそうに語っていた雰囲気は消え、声が低くなっていた。そこで初めて、莉李は背筋が凍るような気がした。


「僕が望んでいたカタチが少しずつ崩れていっているんだ。君が現れてからね」


 莉李は何も言えなかった。何を言えばいいのか、何を言われているのかわからなかった。


「これ以上、邪魔しないでくれる? シキは君なんかがそばにいていい存在じゃないんだ。はっきり言って目障りなんだよね」


「……」


「君の方から身をひいてよ。これは君だけの問題じゃない。君が引かないなら、シキにも危害が及ぶってこと忘れないでね」


「え……どうして、先輩に……あなたは、先輩を————」


「そばにいる方法は一つじゃない。それに、最初に裏切ったのはシキだ。僕は僕を裏切らないシキがほしい。僕だけのものじゃない彼は必要ない」


 声を出せない莉李を尻目に、彼は言葉を続ける。


「君がやるべきことはただ一つ。シキと関わらないことだけだ」


 冬特有の乾いたような、澄んだ風が吹き抜け、重苦しい空気が消える。


「さて、案内はここまでで大丈夫です。もう近くまで来ていると思うので」


 口調が戻る。

 彼の言うとおり、辺りを見渡せば目的地のすぐそばまで来ていた。

 莉李は無意識のうちにため息をこぼす。


「ありがとうございました。助かりました」


「いえ……」


 彼はもう一度、お礼を告げ、二人はそこで別れた。

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