5 嘘

5-1 潜在dread

 静けさの中、除夜の鐘だけが響く。

 現在鳴っている音が、何回目のものかは判然としなかった。今鳴り始めたのか、もう随分と前から突き始めていたのか。

 シキは呆然と立ち尽くしていた。声をかけてきた人物を視覚としては捉えているのに、その姿をはっきりと認識できていないかのように、何度も目をしばたたかせていた。


「あれ? もしかして、僕のこと忘れちゃった?」と、目の前の人物は眉を下げる。

 けれど、困った様子はなく、どちらかというと楽しそうな雰囲気を醸していた。


「え……ゼノン?」


 目を丸くしたシキに、「久しぶり」と微笑む。

 聞き覚えのある声や口調に、まさか、と思いながらも口にした名前に、笑顔を返された。それでもシキはまだ信じられないのか、呆気にとられていた。そんなシキの表情は、ゼノンの目には映らない。


「え、どうしてゼノンがここに? え、本当にゼノン? 本物?」


 動揺の色を隠しきれずに、捲し立てるような口調で質問攻めにする。

 覚束ない足取りは、ジリジリとゼノンへと向かっていた。


「本当に本物の僕だよ。シキは面白いことを言うね」


「髪色が違うし、髪も最後に会った時と比べて随分伸びてるからわかんなかったよ。でも、確かにゼノンだ。ゼノンだ!」


 シキは思い切りゼノンに飛びついた。勢いに押されながらも、何とか持ち堪え、シキを受け入れると、二人は再会の抱擁を交わす。喜びを分かち合うように、二人の間でいくつか言葉が行き交う。傍らにいるウィルには二人の声は聞き取れない。

 置き去りにされたままのウィルは首を傾げながらも、自分がここにいることが場違いな気がしてならなかった。少し離れた場所に移動した方がいいだろうかと悩んでいると、ゼノンがウィルの存在に気づいたのか、ゆっくりとウィルの方へと顔を向ける。


「ごめんね、急に。初めまして、ゼノンと言います」


 ゼノンはシキから離れ、その顔に笑みを浮かべた。

 細めた目からは穏やかな印象を受けたのだけれど、ウィルは先ほどまでの緊張感を拭いきれずにいるのか、引き攣った笑顔を向ける。


「は、初めまして。ウィルと言います。シキ先……さんの後輩にあたります。よろしくお願いします!」


 誤魔化すためか、語尾が強くなった。

 大きな声に驚きながらも、ゼノンは笑みを絶やさない。


「後輩ねぇ……」


 独り言のように呟かれた言葉は、先ほどまでとは異なり、声のトーンが低かった。ような気がした。

 けれどすぐに、「シキが先輩なんて大変でしょ」と明るい声が返ってきたので、思い違いだったのだと安堵する。


「ちょっとゼノン、それどういう意味?」


「言葉通りの意味だよ」


 文句を言いながらも、シキは嬉しそうだった。声色も違う。表情も、今日ここに来てから見せていたものに比べて————いや、比較にならないほど、柔らかく、明るいものに変わっていた。

 会話もとても気軽なもので、二人の関係性がそこから見てとれた。ニアと話しているときのシキも、かなり砕けた口調ではあるけれど、それとはまた違ったタイプの気軽さだった。ニアとの会話は、重々しい空気も含んでいるので、どちらかといえばそちらの印象を強く受けがちだ。

 先ほど挨拶を交わした通り、ウィルはゼノンとはこれが初対面なので、管轄が同じというわけではないのだろう。ニアのグループに属しているのであれば、話したことはなくとも、顔を見たことくらいはあるはずだからだ。どういう知り合いなのだろうか。気にはなるけれど、二人の会話を遮る勇気をウィルは持ち合わせていなかった。


 ゼノンは軽い挨拶をすませると、再びシキの方へと体を向けた。シキよりも少し高い位置にある顔を傾ける。目線を交えているようにも見えるけれど、どうにも視点が定まっていないように感じた。


「シキ、この仕事が終わった後時間ある? 久しぶりに話したいな」


「俺も話したいんだけど……これとは別にもう一個、仕事が残ってて」


「いいよ、待ってる」


 申し訳なさそうに眉を下げながらも、シキは「本当?」と目を輝かせた。


「じゃあ、急いで回収してくる!」


「僕も手伝えたらいいんだけど、管轄が違うからね」


「大丈夫、すぐ終わるよ」


 満面の笑みで返すと、シキはいつになくやる気を見せ、踵を返してウィルに向き合った。

 久方ぶりに目が合い、ウィルはビクッと肩を震わせる。あまりに大袈裟にびっくりしてしまったので、おそらくシキも気づいたはずなのに、気にする素振りは一切見せず、淡々と説明を始めた。


「さ、さっさと仕事を終わらせよう。一度に回収が多い時のコツは……」


 シキの表情に真剣さが滲む。ゼノンはふっと鼻を鳴らすと、邪魔にならないように離れた場所へと移動した。

 姿が見えなくなり、気配が消える。

 説明を終えたシキに、ウィルがおずおずと声を掛ける。その声はぎりぎり聞き取れるくらいの小さなものだった。


「シキさん……あの人、ご友人ですか?」


「そうだけど、何?」


 ウィルは首を横に振った。それ以上、言及はしなかった。

 先ほどまでのシキのイラつきは、もうすっかり消えていたのに、なぜかウィルはいまだに怯えているような表情を浮かべていた。

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