4-29 深夜訪問





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 黄金色の髪が、満月に照らされてより一層光を放つ。その光が風になびく様を、夢うつつに眺めていた。

 あまりに現実味を帯びていなかった。言葉のとおり、を見ているかのようだった。

 扉の向こうはではなく、別の空間が広がっているかのように思えた。それほどまでに、空気も、景色までもが、日頃見知っているものとは異なっていた。


『これは彼女が望んだことだよ』


 低い声が鼓膜に響く。

 顔を上げるとすぐ、目が合ったような気がした。逆光になっているため、顔はほとんどわからない。それでも、目の前の人物がこちらを見ているということだけはわかった。


『———に何をした。———を離せ』


 叫ぶような声は、自分の声ではないように聞こえた。

 喉元を震わせ、間違いなく自分の口から出た言葉なのに、まるで違う人間が発した音として耳に届いた。






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「————っ!」


 自分の声に驚き、飛び起きた。

 何が起こったのかわからないまま、はっきりしない頭で辺りを見回す。まだ夜は明けていないのか、部屋の中は暗かった。眠る時は電気を消しているため、部屋に置いてある時計を見ることもできず、智也はスマホへと手を伸ばした。

 横についているボタンを押すと、『2 : 05』と無機質な数字が表示された。

 丑三つ時か————と、そんな言葉が脳裏に浮かぶ。


 カーテンの隙間から漏れ入る明かりに、少しだけカーテンを開けた。刹那、すぐに後悔した。目を逸らし、開いていた以上にカーテンを閉める。


 そうか、今日は満月だったのか————

 だから、の夢を……


 あの日から、智也はあまり月を見上げなくなった。

 満月が近くなると、顕著に、露骨にそれを嫌がった。満月の明るささえも、目に毒だった。

 見上げなくとも、目を閉じれば浮かび上がる。夢に出てくる月は、実物よりも色濃く、目に焼き付けさせようとしているかのように思えた。それと同時に、あの時のことを鮮明に、夢の中でも明確に現実を突きつけてきた。


 と過ごした時間はあまり多くはなかったけれど、それでも楽しくて、幸せで、温かいものだったのに————

 を想う時、いつもの姿がチラついた。

 声も、表情も、何もかも全て、忘れることなんてできない。忘れさせてくれない。


「ここ最近、も関わったりしたからかな」


 の夢を見る頻度が増えたような気がしていた。

 憎しみを忘れるなという戒めか、時が過ぎてもなお、苦しめということなのか————


 頭を抱えながらもう一度スマホに手をやる。10分も経っていなかった。

 すっかり目が冴えてしまったけれど、ベッドから出る気は起きなかった。上体だけを起こした体勢で、ぼんやりと壁を眺めながら考えに耽る。

 智也が考えていたのは、クラスメイトの莉李のこと。敢えて『クラスメイト』とつけたのは、そう思わなければいけないような気がしたからだ。

 ニアから得た情報を何度も反芻し、『条件』についても何度も考えた。けれど、彼が濁した一番重要な部分について、智也はいまだにピンときていなかった。


「もう一度、話が聞けたらな……」


 ポツリと溢れた言葉に、智也は自嘲した。

 を頼っているようで、矛盾を感じ、可笑しくなる。


 トン


 何かが当たる音がした。智也は音のした方へ目線だけを向ける。ノックかと思ったけれど、その考えはすぐに一蹴した。何せは、部屋の扉ではなく、出窓の方から聞こえたからだ。

 智也の部屋は2階に位置していて、窓を開けた先には何もない。空間が広がるだけだ。そんな場所にいて、ノックをする者などいないだろう。


 トントン


 また、音がする。今度は、先ほどよりもはっきりと聞こえた。

 智也は再びカーテンに手を触れた。開けるのは躊躇われたけれど、ゆっくりと、ほんの少しだけそれを開けた。


「お久しぶりです」


 瞬時、智也は再び、先ほどの比ではないくらい、勢いよくカーテンを閉じた。

 目に映った非現実的なものに、微かに聞こえた声に、頭が混乱していた。

 もしかすると、見間違いだったかもしれない。そう自分に言い聞かせるように、願望を確かめるようにもう一度カーテンを開ける。


「夜分に申し訳ないのですが、開けていただけませんか?」


 ————見間違いではなかった。やはり、そこに

 足は接地しておらず、浮遊しているようだった。

 見た目も初めて会った時とは異なっていた。頭の包帯はなく、緑がかった薄い色をしていたはずの髪色も、さらに色素の薄い、何にも染まらない白髪はくはつだった。目の色もまた、髪と同系色で、包帯がなくなったことで見えるようになった右目には、何やら不思議な紋章を

 いつかの時に、あの銀髪の彼が着ていたものと同じ黒のローブを身に纏っている姿は、何だかそれだけで、あの彼の仲間なのだと、単純にもそう思った。


 智也は静かに窓を開けた。

 髪の色、目の色、服装やその身に帯びる雰囲気に至る全てが異なっているのに、智也は目の前にいる彼が、『ニア』だということを認識していた。


「ありがとうございます。危うく不審者になるところでした」


 窓から部屋に入りつつ、真顔でそんなことを言うニアに、智也はツッコんだ方がいいのだろうかと、慣れない気遣いをしてみたのだけれど、声にはならなかった。


「……髪と目の色が変わるのは、そういうものなのか?」


「? あぁ、あなたはシキの姿も見たことがあるんでしたね」


 ベッドに腰かけた智也は、勉強机の椅子に座るようニアへ勧めたのだけれど、彼はその申し出を丁重に断った。向き合うように立ったまま、電気をつけようとした智也を、それもまた手を差し出すことで制した。


「普段は能力を抑えているので、それに付随して色が変わるんです。解放することで、力が溢れることで色が変わるのかもしれませんが。いずれにせよ、が本来の姿になります」


「その能力ってのは、どうすれば解放されるんだ? ……いや、どうすれば抑えることができるのかと聞いた方がいいのか?」


「それは至って簡単です。これですよ」


 そう言ってニアが差し出したのは、『包帯』だった。


「僕の『力』の根源は、『瞳』にあります。これです」


 右目にかかる髪を手で避ける。暗闇の中でも光る瞳に、その瞳の中にある紋章を智也は食い入るように見つめた。


紋章これを物理的に隠せば、力を抑えることができるんです。とはいっても、これも普通の包帯ではないので、ただ単に隠れればいいというものでもないのですが。仕組みとしては単純でしょう?」


「他の奴らもそうなのか?」


「えぇ。場所は違いますけどね」


 それはさておき、とニアが話を切る。


「前回、途中で話が終わっていたので、続きをと思い、伺いました」


 こんな時間に? と今更ながらに思う智也だったけれど、眠れそうにもなかったし、そこまで深くは気にならなかった。何よりニアが「こんな時間でないと、抜け出せないもので」と口にしたので、大人しくニアの話に耳を傾けることにした。


「あれから僕の方でも、少し説得を試みたのですが……」


 口調から、失敗に終わったのだと悟った。

 そんなに簡単に話がつくなら、もっと早くに手を打っていただろうとも思うので、落胆はしない。


「あなたの方はどうですか? 決心はつきましたか?」


「決心?」


「えぇ。コレクションできる条件のことですよ。とはいえ、改めて考えると、あなたにも、何より彼女に悪いような気がしましてね。他の方法を考えようかと思っているんですよ。あなたの方で何かいい案はありませんか?」


 ありませんか? と聞かれても、そもそも条件が何かわからない智也には、代替案が思い浮かぶはずもなかった。

 返事もないうちに、さらにニアが続ける。


「それに、僕が画策したことが万が一シキにバレたら、シキが……」


 口を挟もうとしたところで、突然ニアが口を閉ざした。

 ほんの少しだけ見開かれた目に、驚きの色が現れる。


「そうか……その可能性は考えてなかったな……」


「全然話が見えないんだが……」


「すみません。来て早々あれですが、別件で気になることができましたので、今日はこれで失礼します」


「は?」


「ひとまず、あなたはなるべく彼女のそばにいてください。あと、シキには暇をつくらせないほど仕事を与えておきましたので、少しの間は時間稼ぎになるかと思います」


 ニアはまたしても俊敏な動きで、入ってきた窓に足をかけた。引き止める間もなく、体を乗り出すと、そのまま姿を消した。

 一瞬、ここが2階であることを忘れていた。智也は慌てて窓の外に顔を出し、辺りを見渡したけれど、彼の姿はどこにもなかった。


「何だったんだ?」


 嵐のように来て、去っていった。あまりに怒涛の出来事に、これもまた夢の続きのように思えた。

 相変わらずのマイペースさに、考えるのもバカバカしくなり、窓も鍵も閉め、カーテンも明かりを遮断するように締め切ると、思い切ってベッドに潜り込んだ。

 先ほどまでさっぱり眠れそうな気配はなかったにもかかわらず、不思議なことにすぐに眠りの世界へといざなわれ、朝まで一度も目を覚ますことはなかった。

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