4-28 依頼

 足早に廊下を抜け、角を曲がって階段を上がる。

 スピード感こそ感じられる歩みではあるけれど、背中を丸めているせいか、実際の速度よりは遅く見えた。“とぼとぼ ” という擬音を当てるのが適当だと思うほど。


 階段を上り切ったシキは、重たい扉を押し開けた。

 刹那、冷たい風が吹き抜け、室内へと押し戻されそうになる。そのまま風に身を委ね、扉を閉めてしまいたい衝動に駆られたけれど、外にいるとうっかり目が合ってしまい、さらに重たくなった扉に力を入れた。


での呼び出しはやめてって言ったよね? めちゃくちゃ荒いし」


「頭割れるかと思ったよ」と、こめかみの辺りをさする。

 ニアは眉を下げると、申し訳なさそうに口を開いた。


「すみません、最近物忘れが酷くて。呼び出し方をしたのも久しぶりなもので、加減がわからず……」


「よく言うよ。おもむろに邪魔するようになっちゃってさ」


 悪態をつくシキに、もうすっかり元通りに表情を戻したニアが「何のことでしょう? 僕は自分の仕事をしているだけですが」と、シラを切る。

 ニアがシキにコンタクトを取ってきたタイミングを考えると、シキが文句を言いたくなるのも頷けた。————とはいえ、日頃の行いが行いなので、擁護する気も起きない。


 ニアは先日とは異なり、この日の出立ちは正装だった。黒いローブに身を包み、頭を隠すようにすっぽりとフードをかぶっている。

 右目を覆っていた包帯はなく、前髪が風に揺れるたびに、右目がその姿を覗かせていた。


「で、何の用?」


 話はここでいいのかと手でジェスチャーをすると、「僕は暖かいので」と自分本位な答えが返ってきた。寒がりなニアへの配慮だったのに、とシキはわざとらしく白い息を吐いてみせた。

 シキは改めて「それで?」と口にする。


「仕事の依頼に来ました」


「依頼?」


「担当ではなく?」と質問を重ねると、ニアは小さく頭を上下に揺らした。

 シキは顔をしかめた。『依頼』だなんて、初めてのことだ。しかも、明確に『担当』とは違うらしい。


 通常、シキたちの仕事は各人、対象を割り当てられ、回収を行う。

 実を言うと、回収できる者は決まっていない。誰でも回収できる、と言ってもおおよそ間違いにはならない。最終的に納める場所は決まっているため、それさえ守れば誰が『回収』してもいいことになっていた。

 管轄を設けているのは、その縛りを作ることで、悪用されることを防ぐ目的だ。なので、誰でもとは言ったけれど、結局のところ管轄の範疇を超えることはできない。

 回収できる条件としては、最初に見つけた者、もしくはその人物に一番接触していた者が挙げられる。

 シキが現在、この学校にしているのも、ターゲットに一番近い存在でいるためだった。シキたちの管轄は、必然的に他者への恨みを抱く魂が多くなるため、なるべく早く回収する必要があった。————すでに、でのシキの仕事は終わっているわけなのだけれど。


 そんな縛りがある中で、各々の仕事をこなしている。先にも言ったように、ターゲットには基本的に一人で対応する。『担当』として受け持ち、役割を担う。これは、シキが存在するようになってから、少しも逸脱したことはなかった。


「『依頼』って、いつもの仕事とは違うの?」


「作業としての違いはありません。ただ、今回は二人で対応していただきたく」


「二人?」


 予期せぬ言葉に、意図せず大きな声が出た。


「大変な仕事なの? 今までそんなことなかったよね?」


「こちらの事情と、最悪な回収案件が重なってしまい……」


「最悪?」


「新しい年を迎えるとき、不穏なことを考える人間もいるのですよ」


 感情もなく言うと、ニアは「人の世というものは、何年経験しても理解が追いつきません」と続けた。

 つい先ほどまで興味関心を示していたシキは、ニアの答えがつまらなかったのか、目線を逸らし、指をいじり始めた。


「で、どうして『依頼』なのかな?」


「当初の予定では、いつも通り一人で対応することになっていたんです」


「誰の担当?」


「初めは、オーレンでした」


『初めは』、『でした』というニアの言葉に、シキはすぐに事情を察した。何より、ニアが名を口にした彼がもう存在しないということを、シキは知っていた。


「代打は?」


「ウィルです」


「それで、何人が対象?」


「12名です」


 その数に、シキは苦笑を禁じ得なかった。

 一人で対応できない数ではない。対応できない数ではないけれど、それはあくまで慣れていればの話だ。もちろん、二桁を超える数を一度に対応することは、それほど多くはないのだけれど。早々あっても困る、とシキは首を振った。

 加えて、ウィルというのは最近ニアのグループに入ってきた新入りだ。おおよそ、仕事に慣れてきた、という頃だろう。そんな時期に、シキや、ましてニアでさえ対応するのも辟易する数をこなせるなんて到底思えなかった。


「俺一人でもいいよ。不足してるんでしょ」


「それも考えましたが、ウィルにも経験が必要かと。おおよその能力はもともと備わっていたとしても、やはり場数を踏まないと、慣れないし、できることも増えませんから」


 なるほど、とシキは頷いた。

 ニアがフォローに回ればいいのでは? と思った疑問は、声になる前に飲み込んだ。その代わりに、ふと思いついたことを口にしてみる。


「いっそ止めちゃえばいい」


「はい?」


「俺たちはさ、誰かに奪われる命を、その瞬間を知ってるんだよ。それを、止めちゃえば、俺たちの仕事はなくなるよ?」


 何をバカなことを言っているのかと、呆れた様子でニアは黙ってシキを見た。

 シキ自身も、自分がおかしなことを口にしている自覚はあった。それでも、言葉は留まることを知らず、喉元を揺らし、音として表に出る。


「ニアはさ、一度も考えたことない?」


「何をです?」


「『魂』が誰かの手によって放出されるのを、止めようと思ったこと。ない?」


「どうしたんですか? あなたにしては珍しい」


「ちょっと受け売りでね。……ニアはどうなのかな、と思って。あ、もちろん、本来の職務をサボりたい理由づけではないよ」


 ほんの興味本位、とシキは笑った。

 敢えて訂正を入れてくるところに、それが本音なのでは? と疑いの目でシキを見る。口調がいつものように冗談を言っているようだったので、余計にどこまでが本気なのか読み解くことができなかった。

 一瞬だけ沈黙が走る。目を閉じ、すぐに見開くと、ニアはほんの少し、本当にほんの少しだけ声のトーンを落とした。


「正直に言うと、考えたことはあります。もう、だいぶ昔ですが」


「へぇ、そうなんだ。————それで? 実際、何か行動したの?」


 ニアは静かに首を振った。


「僕は、不公平や不条理が嫌いなんです。それは何に対しても、誰に対しても変わらない」


「どういう意味?」


「僕の気まぐれで、流れを変えたくないということです。それが、彼らの寿命であれば、その点だけを伸ばしたとしても、結局は精算される。寿命を超えた『魂』を回収するグループもありますからね。それに、救う、と言うと聞こえはいいかもしれませんが、全てを救えるわけでもないですから」


「でも目の前の人は救えた、って思うこともできるんじゃないの? そう言うでしょ?」


「それは、自己満足に過ぎませんよ」


 吐き捨てるようなニアの言葉に、シキは「ふーん」と、わかっているのかどうか定かではない空返事をした。内心、思っていたよりも面倒くさい思考回路をしているなと、視線を逸らすように空を見上げる。

 シキたちの役割は決まっていて、それを逸脱したりはしない。言わば、決められたことだけやっていればいいということだ。

 それでもニアは、その範疇を超え、救うという選択を取ろうとしていた。そう思ったきっかけについては興味があったけれど、シキの思考は別の方へとシフトした。


 じゃあ、その反対は? 羽あり彼らがやっていることは、ニアが————実践こそしなかったものの————やろうとしていたことと、真逆と言って過言ではない。

 そもそも、はどこからやってきたのか。最初から存在したのだろうか。

 シキはすぐに疑問を脳内から一蹴すると、目線はそのままに口を開いた。


はその後どう? 何か進捗あった?」


 まだ数日しか経っていないし、期待はしていなかったのだけれど、案の定、ニアからの返事は思わしいものではなかった。

 静かに首を振るニアに、「ま、そう簡単にはいかないよね」と軽い口調で言う。


「少しでも手がかりがあればいいのにね」


「それもなかなか難しいですね。何も痕跡がないので……痕跡がないということが、の仕業だという証拠なのかもしれませんが」


 ニアは続けて、「彼らは気配を消すことができるので」と言った。


「それも不思議だよねぇ。あたかも、俺らと変わらないものとして生活してるってことでしょ? ……って、俺らも人間からしたら、そう見えるのか」


 自嘲的な笑みを浮かべるシキの目は、少しも笑っていなかった。

 むしろ、の話を始めてから、その表情は険しくなっていた。おそらく本人は気づいていないのだろうけれど。

 シキのに対する憎悪は計り知れない。

 普段、ヘラヘラとした笑みを浮かべていて、怒りや憤りなどの感情はほとんど見せないため、ニアですら忘れてしまいそうになるけれど、どうやらに対する憎悪は、根強く残っているらしい。

 ニアが理解できないのは、それほどまでに憎んでいる相手と、同じようなことをしている自分に嫌悪を抱かないのかということ。「同じじゃない」と持論を振りかざすシキには、呆れてものも言えなかったけれど、確かに、『奪う』ことに意味を見出していないとは、その点が異なるのかもしれないと、必死に肯定できる理由を考えていた。


「僕は、あなたがじゃなくてよかったと思っていますよ」


 願望を込めて、口にする。

 過去にも、未来にも期待を込めて溢れた言葉は、二人の間に流れる風の中へと消えていった。まるで、届かないということを、突きつけるかのように————

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