4-25 説得
「おや、思ったより早かったですね」
指定された場所に向かうと、腰の位置ほどの高さの塀に座ったニアが飲み物片手にシキを待っていた。
場所を移動したのは、それまでいたところでは人目が多く、落ち着いて話せないからとニアが提案したため。
ちなみに、ニアが持っている飲み物は、シキが莉李のために買ったものだ。ただ、それだけを押し付けるのはいかがなものかと、ニアに渡したのだった。
「話って何?」
莉李とのデートを邪魔されたことが相当気に食わなかったらしく、「しょうもない話だったら許さないから」と声を低める。
「クロが消えました」
「は?」
前触れもなく、そして無感情のまま告げられた言葉に、シキは呆気に取られてしまった。
先ほどまで眉間にシワを寄せていた表情を一変させ、信じられないと言った様子で口を開く。目までも見開き、大きく、飲み込んでしまいそうな瞳でニアを見つめる。
「クロだけではないんです。ここ最近、消息を絶つ者が増えています」
「え、ちょ、ちょっと待って。え、何……何があったの? 消えたってことは、『本体』の回収もできてないってこと? 一体、何がどうなって…」
「僕らが消える場合、『本体』など残らないかと。それから、原因については現在調査中です」
前のめりに話を聞いていたシキが、ニアが語る正論に正気に戻る。
原因についても、てっきりわかっているものだと思っていたのか、『調査中』と聞いて、肩を落としていた。ため息混じりに「随分呑気だね」と溢す。
「……ひとまず、注意はしてください」
咳払いをしたニアが「今日はその忠告にやってきました」と続けると、言葉の軽さとは反対に、シキにしては珍しく考え込むような、真剣な表情を浮かべていた。
冷静になったところで、事の重大さを理解したのかもしれない。仲間の消息が途絶えたことに、少なからずショックを受けている可能性も大きい。クロは、ニアの元で仕事をしている者で、仲間内でも近しい関係だったので、尚更受け入れられないのだろうと思った。
しばらく黙っていたシキが、伺うようにニアを見やり、静かに口を開いた。
「ねぇ、それってさ……冗談、ってことはないよね?」
「冗談?」
「いや、ニアがそんな冗談を言わないってことはわかってるよ。この俺ですら、冗談だったとしてもそんなこと言わないからね」
訝しげに見つめるニアに、シキが早口で答える。
ほんの冗談のつもりで口にしたものの、ニアの反応が鈍かったことを気にしたようだ。慌てて言い訳をしているように思えた。
「ニアの冗談っていっつも笑えないからさ。他に理由があって、そんな話を作ってたりして……とか思ったり、思わなかったり」
「僕の言葉が信じられないと言うのでしたら、今ここで確認されてはどうですか?」
疑われるなんて心外だ、とでも言わんばかりに、ニアが自分の左腕を指差す。能力を解放し、『魂』の所在を確認すればいい、と言葉と動作で意思表示する。それに対してシキは、指示に従う素振りは見せず、「ごめんごめん、疑ってるわけじゃないんだよ」と敢えて軽口を叩いた。
「ニアの言葉が信じられないっていうよりは、それ自体がしっくりこないというか……」
「あなたが仰りたいこともわかります。僕たちが消えるのに、選択肢がいくつもあるわけじゃないですからね」
「だよねぇ……って、それってまさか、羽ありの仕業ってことはないよね?」
「それも踏まえて調べているところです」
シキはニアの隣に腰掛けると、再び黙り込んだ。
視線を宙に投げ、段々と雲が厚くなっていく空を見上げる。
シキは一人、考えに耽っていた。
考えているのは、彼らのことだ。本当だったら1秒たりとも考えたくない、頭の片隅ですら置く場所はないと、場外に追いやってしまいたいほど憎い彼らのことについて考えを巡らせる。
途中、あまりに不快な感情が心中に渦巻き、蕁麻疹が出そうになったのだけれど、手を触れても何にも当たらない。そのことに安堵すると、シキは口を開いた。
「ねぇ、ニア」
「何です?」
「もし、もしさ。その件に関して、本当に羽ありが関与してたとするでしょ?」
「はい?」
「それってさ、つまり……同意があったってことになると思うんだけど、」
シキの言葉に、「そうなんですよね」と頭を捻るようにニアが頷いた。
ほんの少しだけ、ニアの表情が崩れたことに、調査が難航しているのだろうと推測する。いつ消息を絶ち、どのくらい調査しているのかはわからないけれど、一番可能性が高い彼らの仕業だという答えが、一番理解し難いことだった。
「早く解明できるといいねぇ。————というか、もし原因が彼らだとすれば、俺に忠告する必要あった? わざわざニアが足を運ぶ必要性がわかんないんだけど」
空気が重くなりそうだったので、シキはここぞとばかりにおちゃらけた口調を意識した。
ニアは表情を戻すと、顔だけを動かし、シキと対面する。
「むしろ、今のあなたに一番必要かと思ったのですが」
あまりに真剣にそんなことを言うもんだから、シキは何だか可笑しくなって、「だから、ニアの冗談は面白くないんだって」と口にする。
冗談なんて言った覚えのないニアは、何のことを言っているのかわからない、と顔いっぱいにその感情を表した。
「今の俺に一番必要? むしろ逆でしょ。今の俺は今までで一番無敵に近い。彼らに同意する? あり得ない。今、消えるなんて考えてないよ、全くもって」
「その自信はどこから来るんです? ……彼女、ですか?」
「他にある?」
自信満々に言いのけるシキに、ニアはわざと聞こえるように大きなため息をついた。
何もわかっていない、とでも言うように首を振る。
「守る存在がいると、強くなれるとでもお考えですか?」
「それもあるね。だって言うでしょ。守るべきものを見つけた時、本当の強さを手に入れることができる————みたいな」
鼻を鳴らすシキに、ニアはもう一度ため息をこぼした。
「確かにそういう話を聞いたことはありますし、実際、そういう人もいるでしょう。それ自体は否定しません。けれど、一人じゃなく、誰かもしくは何かを必要とする強さは、頑丈なようでいて非常に脆い。そこに付け込まれたらおしまいです。それに……」
「それに?」
「あなたが今やろうとしていることは、彼らのやっていることとさして変わりはない。むしろ、同意がない、という点において、あなたの方がタチが悪い。そんな同調するような考えを持つあなたに、彼らが付け込むのは容易かと。そうなると、消すことのできる彼らの方が優位なんですよ」
「確かに見える結果は大差ないのかもしれない。でもね、ニア。目的も実際に得られる結果も、俺がやろうとしていることはあいつらとは全く違う。同じなんてことは、絶対にない」
シキは語気を強めた。
思わず、彼らのことを『あいつら』と口にしてしまっていることにはおそらく気づいていないのだろう。それだけ、苛立ちが表立っていて、隠しきれていない。
ニアはというと、黙ったままシキを見つめていた。
ニアの表情からは、呆れや、自分の言葉を理解しないシキにもどかしさを感じていることが読み取れた。
「シキ、真面目な話、今あなたまで失うわけにはいかないんですよ」
ニアの声のトーンが変わる。
さすがのシキも、真剣な雰囲気に当てられ、上がっていた眉が定位置に戻る。先ほどまでの怒気も浄化され、重々しい空気は薄れた。
「いい加減、人手不足なのに、これ以上人員が減ると困るんです」
「あーそっちね」
「どっちがあるんですか」
「いやいや、何でもないよ」
シキはいつものようにへらっと笑った。
言っても聞かないだろうことは百も承知ではあったけれど、この件でもまだ手を引かないのかと、ニアは心の中に落胆の色を滲ませた。
「とにかく、十分注意してくださいね。もしくは、事が落ち着くまでは僕と同じ……」
「いや! そこまでニアのお世話になるわけにはいかないよ」
「手間ではありませんし、管轄が異なると僕も手助けできなくなりますから。一緒に行動してくれた方が安し…」
「いやいや、自分のことは自分で何とかできるって。大丈夫、ちゃんと注意するし。要は彼らに弱みを握られなければいいんでしょ?」
そんな単純な話ではない、と思ったニアだったけれど、ごちゃごちゃと捲し立てるシキの様子を見て、今回の説得は失敗に終わったことを悟るのだった。
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