4-23 妨碍
赤髪が揺れる。人混みを割くように歩くその姿は、大勢の中にいても紛れることはない。
両手に荷物を抱えたシキは、莉李の元へと戻るところだった。————そのはずだった。けれど彼の足は、彼女がいる方へは向いていなかった。むしろ、そこから離れるように反対方向へと進んでいて、何かから逃げるような、まるで身を隠すことができるような場所を探しているように見えた。
「シキ、逃げても無駄ですよ」
大通りに面している方とは反対側の建物の裏側にたどり着くのと同時に、人影が現れる。とはいえ、太陽は建物を挟んで向こう側にあるため、実際は建物の陰で人物の影は見えない。
隠すつもりはないのか、堂々と気配を表に出したまま近づいてくる人物に、シキはため息をこぼした。
「久しぶりだね、ニア」
開き直ったように、「別に逃げてないから」などと苦し紛れの言い訳をする。
彼が逃げるのも、言い訳をするのも今回が初めてではないのか、ニアは表情を崩すことなく、さらにシキとの距離を縮めた。
「こんなところで会うなんて奇遇だね。仕事中かな?」
そうは言ってみたものの、仕事ではないことはニアの格好からも一目瞭然だった。正装ではなく人間界の服を纏っているし、何より彼の右目に巻かれたそれが力を解放していないことを証明していた。
一目見てわかることを、シキは敢えて口にした。
抗うように「仕事の邪魔はしちゃいけないなぁ」と、気を遣う素振りを見せ、その実、ニアから離れようとしていた。
「仕事ではありません。あなたに会いに来たんです」
シキのおふざけに、1ミリたりとも乗らないニアが淡々と告げる。それに対しシキは、「えー、照れるぅ」と軽口を重ねた。その言葉の裏側には、「何も今日じゃなくてもよかったでしょ」という悪態が滲み出ているように思えた。
「えーと、それじゃあ夕方くらいにまた集まるってことで……場所は…」
「急を要していますので、今すぐにお願いします」
「………要件は何? あ、手短にお願い」
「そう簡潔にお話しできることではありません。————それに、ここは人が多すぎます。場所も移動して……」
続く言葉を、シキは脳内で遮断した。話が微妙に噛み合っていないことに、フラストレーションが溜まっていく。
何より、思ったよりも面倒くさい感じだな、とそのままの感情が表に出る。
急を要すると言うわりに、妙に計画的なところも怪しさを拭いきれない。
何せ今のいままで、気配は感じ取れなかったのだ。今日は大事な日なので、いつも以上に気を配り、警戒していた。にも関わらず、シキが一人になったタイミングを見計らって存在を示してきたのだ。最初から仕組まれていたことなのだろう。その魂胆にも苛立ちを覚える。
「何でこのタイミングなの?」
「今がベストかと」
「何のベストだよ。むしろ悪いよ。ワースト1位だよ」
首を傾げるニアに、シキは頭を抱えてため息をつく。
上目遣いに小首を傾げているところがまた鼻につく。見た目が見た目なだけに、とぼけた顔をして、ちょっとキュルンとさせてみれば、一定の層には通用するのだろう。本人にその意志がなくとも、あざとさは創り出せる。
もちろんシキには効果はなく、騙せるはずもない。かといって、ニアを相手に本気では抵抗もできない。ニアがその気になれば、従わせることなど容易いということは痛いほどわかっていた。だから尚更、腹立たしいことこの上ないのだった。
「もう十分楽しまれたんじゃないですか?」
「まだ、全然だよ。これからなんだよ」
「ですが、楽しい時間はあっという間に過ぎるものだというじゃないですか」
「いやいや、確かにあっという間かもしれないけど、今回に限ってはニアが邪魔したせいで、短くなるんだからね?」
本当に、話が全くもって噛み合わない。噛み合わせようとしていない意志を感じる。
いつもはシキが相手を振り回す方なのだけれど、ニアと対峙するときはその役がシフトした。
「余計なことを考えるのは後にしてください」
「でもさ、あと少しくらい猶予をくれてもいいんじゃないかな?」
「聞けないお願いですね。あなたがいくら駄々をこねたところで、僕も引けないんですよ。それに、もし従ってくれない場合、彼女の方に干渉することになりますよ。そんなことされたくないでしょう? 僕だって心苦しいです。あなたにはもったいないほど純粋そうで……」
「え…ニア、彼女に会ったの?」
「えぇ、先ほど」
声を低めたシキに、無表情のまましれっと返す。「あちらから声をかけてきてくださいましたよ」と、明らかに余計な一言を添えて。
「あなたは、彼女と僕を合わせたくなかったみたいですね。わざわざ、あの彼に釘を刺しておくほどに」
「……全部筒抜け、か」
シキは自嘲するように、何度目かのため息をついた。とはいえ、ニアが状況を把握していることなど、容易に想像ができることなので、特に困った様子は見られない。それでもやはり煩わしさを感じているのか、もしくはいまだにここから逃げ出す方法でも思案しているのか、シキは話半分に何かを考えているようだった。
「でもまさか、あなたがこれほど誰かに執着するとは思ってなかったです。どこに惹かれたんですか? お優しそうな方ですから、雨に打たれていたところに、自身が持っていた傘を渡してくれたとか?」
「ニア」
「もしくは、お腹を空かせていたところに、ご飯を恵んで……」
「ニア!」
シキの声が響き、ニアが開いていた口を閉じる。
「そんなことを話している時間があるなら、本題を」
苛立つシキの冷静な言葉に、「失礼しました」と咳払いをした。
「では、僕に着いて来てくれるということでよろしかったでしょうか?」
「不本意だけどね」
「彼女に一言伝えるくらいの時間は差し上げますから————あぁ、そのまま逃げようとは考えないでくださいね? 強行手段はいくらでもありますから」
「はいはい」
適当に相槌を打ちながら、今日のことは絶対に忘れない、と心に刻み込んだシキだった。
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