4-22 スノードーム

 ろうそくの灯や電飾のきらめきが、冬の太陽に負けないほどに光を放つ。その光を目指す人々の流れに導かれるように莉李の足もそちらに向き、吸い込まれるように進んでいた。もちろん紫希の手は繋がれたままで、彼女が向かう方向へ、自ずとついていく形となる。


 紫希が莉李とのお出かけ場所に選んだのはクリスマスマーケットだった。毎年この時期に開催されているもので、二棟の建物に挟まれてできた広場が一面マーケットへと化していた。

 マーケットにはクリスマスツリーのオーナメントをはじめ、クリスマスにちなんだ小物類が多く取り揃えられていた。雑貨だけでなく、ホットワインなどの飲み物や食べ物も売られていて、ここだけを切り取って見ると、日本ではないかのような空間が広がっている。

 その雰囲気も相まって、莉李も楽しそうにお店を見て回っていた。見るもの全てに目を輝かせ、自然と笑顔が溢れる。いつもより柔らかい笑みを綻ばせている莉李の表情を眺めながら、紫希にも笑顔が伝染していた。


「これ可愛い」


 ふと莉李の足が止まる。出店のようになっている奥の方から店員が「どうぞ手に取ってご覧ください」と声をかける。その言葉に甘え、莉李は目当てのものを手にした。

 莉李が手に取ったのは、ランタンの形をモチーフにしたスノードーム。本来明かりが灯る部分にスノードームのガラスがはめ込まれ、その中には二つの雪だるまが仲良く並んでいた。


「珍しい形だね」


 隣で顔を覗かせる紫希に、莉李が頷く。


「底にあるボタンを押すと光るんですよ」


 店員が「ランタンだけに」と冗談を言いながら、同じ形のスノードームを手に取る。底の方に視線を送り、何やらゴソゴソとやっているかと思うと、次の瞬間には、パッとスノードームの中が照らされた。


「わぁ! すごい!」


 ミラー効果のようにさらに表情を明るくさせた莉李が「綺麗ですね」と呟いた。独り言のような言葉に「本当だね」と紫希が相槌を打つ。


「気に入った?」


 紫希からの問いかけに、莉李は微かに頭を上下にさせた。頷いたようにも見えるけれど、光の中、雪が舞う小さな世界に魅了されている莉李には、おそらく紫希の声は聞こえていないだろう。すっかり心を奪われてしまったようだった。

 紫希は苦笑いを浮かべながら莉李から視線を外すと、店員にだけわかるようにジェスチャーを送った。その合図を理解したのか、店員は紫希に笑みを向けると、これまた彼にだけわかるように、何やら小さな紙のような————いや、指にくっついていることから、シールか何かだろうか。そこに書かれた文字を紫希に見せた。

 数えられる程度のやりとりを済ませている間、いまだ手のひらに収まる小さな世界に入り込んでいるのか、莉李が二人の行動に気づく様子はなかった。購入しようか悩んでいるのかもしれない。


「お包みしますので、一度お預かりさせていただきますね」


 申し訳なさそうに声をかけ、断りを入れると、莉李が持っていたスノードームに手を取った店員は慣れた手つきで包装を始めた。

 店員の声で、やっとのこと戻ってきた莉李は何が何だかわからないといった様子で、紫希と店員を大きな目で交互に見やる。


「ありがとうございました」


 持ち手のついた紙袋を紫希に渡した店員が、二人に笑みを向けた。紫希も同じものを返すと、莉李の手を引き、お店を後にする。


「あの、先輩?」


「はい、これ莉李ちゃんに」


「え……??」


 通路を避けるように立ち止まると、紫希は先ほど店員から手渡された紙袋を莉李へと差し出した。状況を把握できていない莉李は、困惑の色を示す。


「あ、帰るまでは俺が持ってた方がいいね」


「いえ、あの、そうではなくて……えーと、」


 ついさっきまで入り込んでいた世界から切り替えることができず、思考が追いつかない莉李は、必死に言葉を探していた。その間、紫希から返ってくる言葉は、莉李が求めている返答ではなく、そのことが莉李をさらに混乱させた。

 頭を抱える莉李の頭上で、笑い声が揺れる。微かに鼓膜に届いたそれに、莉李は顔を上げた。


「あ、ごめん。可愛いなと思って」


「?」


 笑いを堪えるように口元を手で隠した紫希が、もう一度「ごめん」と呟く。何に対して笑っているのかも、何に対して謝っているのかも莉李にはわからない。

 首を傾げ、紫希を見つめる。紫希は咳払いを一つすると、手は口元を覆ったままで口を開いた。


「これをね、莉李ちゃんにもらってほしいんだけど。今日の思い出というか、初デートの記念? に」


「え……いただいても、いいんでしょうか?」


「もちろん」


 まだ少し戸惑う気持ちを抱えながらも、莉李はお礼を言ってから、満面の笑みを浮かべる紫希から紙袋を受け取った。中には割れないように包装されたスノードームが入っていた。

 いつの間に、という疑問が莉李の頭に浮かぶ。伺うように紫希を見上げると、手は下ろされていて、先程とは違う笑みを浮かべた紫希と目が合った。


「先輩、これ……」


「? やっぱり、帰るまで俺が持っとこうか?」


「いえ、自分で持ちます。持ちたいです」


 あくまでふざけて返すつもりなのか、「遠慮しなくていいんだよ?」と紫希がさらに言葉を重ねる。ついさっきまで見直していたところだったのに————それも照れ隠しか何かだとすれば、おかしくもあり、可愛らしくもある。

 莉李はもう一度中を覗き込んでから顔を上げ、紙袋を大事そうに抱えると、「先輩、ありがとうございます。部屋に飾りますね」と、はにかむように笑った。









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————————









「先輩は何か見たいものないですか?」


 一通り見終わったところで、ふと振り返ってみると、莉李が行きたいお店、見たいものばかりに紫希を付き合わせていたことに気づく。「私ばかりが楽しんでいるような気がします」と申し訳なさそうに口を開く。


「俺は莉李ちゃんが楽しんでるところを見て、楽しんでるよ」


「……」


 紫希の返答を不満に思ったのか、莉李が口を閉ざす。少し口を膨らませているようにも見えて、そんな顔も可愛いなと、表情が緩んでいたのか、睨まれてしまった。


「ごめんごめん。でも本当だからなぁ。あ、そうだ! そしたらさ、あとで付き合ってほしいところがあるんだけど、いいかな? 話したいこともあるし」


「それはいいですけど……話したいことって?」


「それは移動してから、ね。その前にちょっと休憩しませんか? さっき莉李ちゃんが好きそうな飲み物売ってたんだよね」


「買ってくるから、ちょっと待ってて」と踵を返すと、「入ったすぐのところに座れるところがあるから、座ってて」と建物の方を指すと、紫希は足早に人混みの中へと消えていった。

 呼び止める暇もなく離れていった背中を見送った莉李は、自分が買いに行くべきだったのにと思いながらも、気を抜いたところで足の痛みに気づく。あまり高いヒールは選ばなかったものの、普段履き慣れていないブーツに、足が疲れていたようだ。それを紫希が気づいていたかどうかは定かではないけれど、優しさに甘え、大人しく待たせてもらうことにした。


 通行人の邪魔にならないように隅っこに寄る。紫希が言ってたように、数歩先にある建物の中には、入り口から見えるところに座る場所があった。

 建物近くに来たところで休憩しようと言い出したのは、タイミングを見計らってのことだろうか。もしくは、寒さ避けを気遣ったのかもしれない。建物で風が遮られているだけでも寒さを感じることはなかった。

 そんな風に考えてしまうのは、雰囲気に飲まれているせいか、逆上せている証拠だろうか。

 莉李は、その熱を冷ますためにも、外で待つことにした。


 紫希を待っている間、きらめく世界をぼんやりと眺めていた。クリスマスマーケットはもちろんだけれど、そこに訪れている人たちもみんな楽しそうで、そんな笑顔を見ているだけで、こちらも幸せを分けてもらっているような気分になる。


『デートみたい……』


 不意に思い出された言葉に、莉李は顔を赤くした。家族連れや友だちどうしで来ている人たちもちらほら見かけられたけれど、その大多数はカップルが占めていて、そこに混じる自分たちもまたそう見えているのかもしれないと思うと、照れくささのような感情が心に広がった。

 けれど同時に、紫希が言っていた言葉も浮かんで、今度は心が曇っていくのを感じた。

 紫希は今日のお出かけを『デート』だと、『楽しみにしていた』と言っていた。あくまでいつも通りに、普段と変わらない口調でそう言っていた。おそらく深い意味はないのだろう。

 そのことに不満を感じるなんて————


「欲張りだ……」


 ぽつりと呟いた言葉が静かに消えていく。

 今日の思い出に、と紫希がくれたスノードームプレゼントを見つめ、こんなに素敵なものまでもらっておいて、楽しい時間を共有してもらったのに、他に何を望むというのだろう。


 風に吹かれ、流れていく言葉をぼんやりと眺めていた莉李は、はっと我に返ったように首を振り、弱気な自分をかき消した。せっかくの楽しい時間に、マイナスなことを考えるのはもったいない。

 気持ちを切り替えるように視線を別のところへと移した。

 クリスマスマーケットから逸れると、人気もまばらになる。クリスマスマーケットに向かっている人、別の場所へと移動している人たちの姿があるだけだ。


 その道からも逸れた閑散としたところに、一人の人が佇んでいた。キョロキョロと顔を動かし、何かを探しているようだった。目線が上の方にあることから、落とし物をしたというよりも、誰かを探しているように思われた。一緒に来た人とはぐれてしまったのだろうか。

 莉李に背を向けて立っていることもあり、後ろ姿しか見えない。その後ろ姿からは男女の別はわからなかったけれど、年は莉李よりもいくつか下に見えた。

 莉李は足をそちらに向けると、躊躇いもなく声をかけた。


「どうかしましたか?」


「え……」


 かけられた声に、それまで背を向けていた人が振り返る。振り返った顔に、莉李は思わず「あ」と言葉が漏れていた。


「どこかでお会いしたことありませんか?」


 思わずそんなことを口にしていた。髪の毛から覗く頭に巻かれた包帯に、何だか見覚えがあるような気がした。


「それは、ナンパか何かですか?」


「え……あ、いえ! 違います!」


 慌てて否定する莉李に、「冗談ですよ」と表情を変えないままに口にする。


「それで、僕に何かご用ですか?」


「お困りかなと思ったので、声をかけさせてもらったのですが」


「そうでしたか。それはお気遣いありがとうございます」


 無表情のまま淡々と言葉を紡ぐ人物に、随分と畏まった喋り方をする人なんだなと舌を巻く。年下だと思っていたけれど、実はそうでもないのだろうか。ませているとも取れるけれど、この落ち着き具合は、背伸びをしているようにも見えない。


「ですが、大丈夫です。お気持ちだけ受け取っておきます————そういうあなたは、お一人ですか?」


「いえ、連れがいるんですけど」


「……デートですか?」


「え! 違いますよ!」


 ムキになって否定する莉李に、相変わらず大人びた様子で静かに視線を向けられる。揶揄われたのだろうか。けれど、茶化すような口ぶりではなかった。

 莉李は軽く深呼吸をして平静を装うと、「ちょっとしたお出かけです」と返した。

 さして興味はないのか、目の前の人物はやはり無表情のままに、「そうですか」と口にする。


「それでは、僕は用があるので」


「引き止めてしまって、すみませんでした」


「いえ。お心遣い感謝しています」


 軽く会釈し、莉李に背中を向けたかと思うと、体勢はそのままに「お邪魔してしまってすみません」と謎の言葉を残して去っていった。

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