4-21 新奇
「これでいいかなぁ?」
自宅の玄関にて、下駄箱のドアに設置されている全身鏡を覗き込みながら莉李が呟く。ここに来るまでに目にした鏡という鏡に姿を映しては、その都度同じ言葉を繰り返していた。当初予定していた出発時間は確実に迫ってきている。けれども、なかなか最終決定には至らず、家を出られずにいた。
ヘアアイロンでほんの気持ち程度に毛先を巻いた髪をいじりながら、髪型はこれでいいだろうか、結んだ方がいいだろうか、とそんなことをずっと悩んでいた。服装も、無難にロングスカートを選んではみたけれど、最近新しく買ったワンピースの方がいいような気もしてきた。
着替え直そうかと思った矢先、スマホが鳴る。振動するスマホに目をやると、ディスプレイには現在の時刻が表示されていた。
「もうこんな時間! ……変じゃないかな? 変じゃないよね?」
莉李はアラームを止め、自分に言い聞かせるように独り言を口にすると、最後にもう一度髪に触れ、コートを身につけてから、やっとのことで扉を開けた。
待ち合わせ場所は、学校の最寄り駅から二つ離れた駅が指定された。駅から少し歩いたところに観光名所と呼ばれる場所があり、目的地はそこなのかもしれないと推測していた。なにせ、紫希が莉李に伝えたのは集合場所と時間のみで、行き先は教えてくれなかったのだ。着いてからのお楽しみということだろうか。
「次は———駅、———駅」
車内のアナウンスの声に、顔を上げる。窓の向こうの景色は普段見慣れているものではなく、いつもなら降りているはずの駅を通り過ぎていることに内心焦りを感じた。それでもすぐに本日の目的地を思い出すと、ほっと胸を撫で下ろす。考え事をしている間に、降りる駅の一つ前まで来ていたようだ。
莉李は鞄からスマホを取り出し、時間を確認した。待ち合わせの時間に余裕を持って到着できるように、家を出る時間を計算していたわけだけれど、電車も定時運行をしてくれているおかげで、待ち合わせ時間にはゆとりを持って辿り着けそうだ。むしろ少し早かっただろうか。紫希は————これまでの経験上、先に待っているということはないだろう。
電車を降り、改札へと向かう。定期入れを戻すついでにもう一度スマホを取り出し、待ち合わせ場所を再度確認する。確か、西口だったはずだ。
「莉李ちゃん」
改札を出てすぐ端に寄り、紫希からのメッセージを開こうとスマホを手に掲げるや否や、莉李の名前を呼ぶ声がした。スマホから顔を上げると、壁側に立っていた人物が莉李に向かって手を振り、近づいてくる姿が目に入る。
「……?」
目を丸くする莉李に、紫希が笑顔で迎える。莉李は手に持っているスマホで時刻を確認した。待ち合わせ時間にはまだ10分近くある。それなのに、紫希が先に来て待っている————人違い、もしくは幻か何かかと疑いたくなった。
すぐに紫希だと断言できなかった理由はもう一つあった。それは、格好だ。いつもは白い学ラン姿しか見たことのない紫希が、今日はいつもとは正反対に全身真っ黒に装っていた。黒のチェスターコートに、スキニーパンツ、足元のムートンブーツも黒で揃えている。首元にぐるぐると巻きけたマフラーもチャコールグレーで、唯一の色と言えば、彼のトレードマークでもある赤髪くらいだ。
モノトーンで統一された姿に、莉李は戸惑うように目をキョロキョロとさせた。見慣れた赤髪と、莉李の名前を呼ぶ聞き覚えのある声は紫希のものに間違いはなく、格好の違和感だけが困惑を招いていた。
「おーい、莉李ちゃん? どうしたの?」
莉李の目の前までやってきた紫希がしゃがみ込み、莉李と目線を合わせる。
赤色の髪が目の前で揺れる。様子を伺うような目に視点が合うと、莉李はそこでやっと我に返った。
「すみません。雰囲気が違ってて……黒色を着ているって何だか新鮮ですね」
「黒着てると落ち着くんだよね。……てか、そっか! 私服で会うのは初めてだもんね。でも俺はすぐにわかったよ! 制服姿も可愛いけど、今日の格好もすごく可愛いね」
ドヤり顔から柔らかい笑みへと表情が移ると、「髪巻いてるんだね。似合ってる」と言いながら、莉李の髪に触れる。その動作に、莉李は顔が熱くなった。赤くなっているような気がして、目を逸らす。
「今日はどこに行く予定ですか?」
ほんの少し距離をとりながら、話題も逸らす。さすがにもう教えてもらえるだろうと、同じ質問を投げかけてみたのだけれど、紫希は「お楽しみは取っておいた方がいいでしょ」と笑うだけだった。
「さ、行こう」
そう言うと紫希は莉李の前に手を差し出した。目の前の手に、莉李は首を傾げる。
いまだに空を切っている手に苦笑いを浮かべながらも、紫希はいつもの強引さで莉李の手を取ると、駅構内を出た。
休日ということもあり、街は多くの人でごった返していた。街路樹には電飾が飾られており、夜にはイルミネーションを楽しむ人たちで溢れるのだろう。
正直なことを言うと、莉李も全く期待していないわけではなかった。街はオーナメントもあちこちに並べられ、街に流れる音楽もクリスマス一色で、意識するなという方が難しい話だった。
とはいえ、相手はあの紫希だ。そして何より、莉李自身がこれまでにクリスマスという行事を気にかけたことがなかった。
意識するきっかけになったのは、おそらくこれも秋葉の言葉に起因するものなのだろう。そう思うと、秋葉の策略にまんまとハマっているような気がしてならない。もちろん、莉李にとって悪い策略ではないので、嫌な気はしないのだった。
駅から同じ方向へと歩く人並みに沿って移動していたため、目的地はやはり観光スポットなのだろうと思った。けれど、その周辺までやって来たところで、紫希は莉李の手を引いて人並みから少し逸れた。不思議に思いながら周りを見回すと、莉李たちだけではなく、他にも同じような人たちが先ほどまで歩いていた道を外れていた。その多くが手を繋いでいたり、腕を組んで歩いている二人組で、デートを楽しんでいるように見えた。そんな人たちを眺めながら、莉李はふと、そこに自分たちも混ざっているように感じた。
「デートみたい……」
「え? デートじゃなかったの?」
ぽつりと出た言葉に————口にしていた自覚はなく————反応があったことに、莉李は驚いて顔を上げた。反動で逃げるように反対方向へと力を加えた莉李だったけれど、がっちりと握られた手を引かれ、逆にその距離が縮まる。
「俺はそのつもりだったんだけど、莉李ちゃんは違った? 莉李ちゃんとのデート、楽しみにしてたのは俺だけ?」
「……その聞き方はずるいです」
「ずるい?」
「だって……」
私から誘ったのに、楽しみにしてない訳ない————そんな言葉を、莉李は飲み込んだ。言えなかったのではない。言葉にするよりも先に、目の前の光景に目を奪われてしまったのだ。
「先輩、あれ!」
繋いでいる手とは反対の手で指をさす。話を逸らされたことに苦笑いを漏らしながらも、莉李が釘付けになっている方向へと顔を向けた。
「もしかして、今日連れて行ってくれようとしている場所って」
「そうだよ」
紫希の返答にパッと表情を明るくした莉李が、浮き足立った様子でそのまま紫希の手を引く。「早く行きましょう!」と言葉がなくとも、全身でそう伝えているようだった。
昼間の明るい中でも、キラキラと輝いていることがわかるその場所に、同じように目を輝かせた莉李が吸い込まれていく。そんな彼女の姿を見つめながら、「誤魔化されちゃったなぁ」と、一つため息をこぼした。
「でもま、こんなに喜んでもらえるならいっか。というか、莉李ちゃんに手を引かれるのって何だか新鮮で……すごく、いい」
「何か言いましたか?」
「ううん、何にも。ほら、早く行こう?」
切り替えるように顔に笑みを作ると、紫希は繋いでいた手を握り直し、訊ねておいて気にする素振りも見せず、紫希の手を引く莉李の後を追った。
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