4-20 コレクション

 二人の前にコーヒーカップが置かれ、徐ろに砂糖をニアに近い方へと差し出した店員が席を離れる。ニアは目の前の砂糖には見向きもせず、カップを口元へと運んだ。


「さて、何からお話ししましょう」


「その前に、本当にここでいいのか?」


「何がです?」


 周囲の様子を伺うように見回す智也に対し、手に持っていたカップを静かにソーサーへと戻しながらニアが訊ねる。


「あなたが人目に付くところで、かつ秘密の話ができて、と仰られたので、こちらを選ばせていただいた次第なのですが。あ、外は無理ですよ。僕、寒いところ苦手なので」


 しれっと口にするニアに、智也は顔を顰めた。そんなこと智也は一言も口にしてはいない。例の如く、心の中に言葉を思い浮かべただけのことなのに、ニアは「それならば」と、大通りから少し路地に入ったところにあるカフェを選んだのだった。

 人がいるところがいいと考えたことに間違いはない。目の前の彼が自分に危害を加えないと言い切れない以上、身を守る術は一人にならないことしか思いつかなかった。もちろん、それが全てではないことも知っている。

 とはいえ、話の内容が内容だ。誰かに聞かれるのもよくない。そもそも、誰が聞いているかわからない状況で、落ち着いて話をすることもできないだろう。そんな相反する場所があるとは思ってはいない。だからこそ、口に出さずにいたわけだけれど。

 そうして連れてこられたこの場所は、後者の条件を満たしていないように思われた。満席ではないとはいえ、少なからず人はいる。

 外が嫌だと言うのは、着席し、コートとマフラーを脱いだ下に、首元をしっかりと覆うニットのタートルネックをもこもこと着ている姿から、嘘ではないのだろうと判断した。それだけでも室内では十分暖かそうなのに、ニットの下にも相当着込んでいるのか、着膨れしているように見えた。


 話は聞かれても大丈夫ということか。智也にバラしたように、正体を隠す必要はないということなのだろうか。


「周りに僕たちの話し声は聞こえませんよ」


 ニアの言葉に顔を上げると、もう一口、コーヒーを口にしているところだった。


「能力、ってやつか?」


「いえ、力は解放していませんので」


 能力でなければ、どうやって周囲に漏れないようにしているのだろう————いや、それよりもまず、確認しておくべきことがある。


「あんたたちの能力って何なんだ?」


 何でも教えてくれると言っていた。今ここで得られる情報は何でも手に入れる。


「その前に、僕たちがどんな役割を担っているかについてはご存知ですか?」


「役割?」


「えぇ。僕たちのの中にもグループのようなものがあるんです。ヒエラルキーはないということになっているので、グループとしています。僕たちのグループは主に『回収』が役割に当たるのですが、その回収もさらに分割されています。人が肉体と魂を分け隔てる理由によって異なります。命が誕生するとき、その方法は一つですが、それが失われる場合に至ってはもっと複雑なので————例えばシキは、『他者によって命を奪われた者』の魂を回収する任に携わっています」


「『他者によって命を奪われた者』? ……それは、その役割ってやつを逸脱して回収はできないのか?」


「そうですね。最初に分担するので、それ以外のことはできないようになっています」


 智也が口を閉ざしたタイミングで、ニアもしばらくの間黙っていた。言葉を咀嚼する時間を智也に与えているかのようだった。





「『能力』ってのは、それとはまた別なんだよな? 考えていることを読み取る力のことか?」


「それは基本装備として、全員に備わっています。能力はまた別で、それも個人によって異なります。僕たちのグループは大まかに言うと、『記憶を消す』力を持っています。シキと僕では少し内容が異なりますが」


「記憶を消す?」


 眉がピクリと動いた智也に視線を向けることなく、「正確には少しニュアンスが違いますが」とニアが補足する。しかし、ニアの声が届く前に、視線を手元に落とした智也は、一人考えに耽っていた。智也が考えていた打開策と、ニアが口にした彼らの能力が合致していることに驚きを隠せない。


「あんたもその能力を持ってるんだよな?」


「えぇ」


「それなら、」


「それは無理ですね」


 まだ何も言っていないのに、ニアが断言する。能力は解放していないと言っていたにもかかわらず、食い気味に被された言葉に、それすらも嘘だったのではないかと疑いたくなる。けれどひとまず不満は飲み込み、何が無理なのか、どうして無理なのか、冷静に言葉を返す。


「仲間内では能力は無効なのか?」


「無効、とまでは言いませんが、条件があるんです」


「条件?」


「人間を相手にしているわけではないので、そう簡単にはいかないんですよ。それに、記憶を消すというのも、万能ではないんです」


 理解が追いつけなくなった言葉に、智也の表情が歪む。能力を使う相手が人間か、のような存在かで、状況が異なるというのはある程度は飲み込める。そもそも、同じような能力を持った者たちだ。一筋縄ではいかないのだろう。

 では、万能ではないとはどういう意味だろう? あの赤髪の彼も————その時は赤髪ではなかったけれど————同じようなことを言っていた気がする。彼らもまた完璧な存在ではないということだろうか?


「記憶というのは、思い出————いわば、感情から成り立つ部分が大半です。感情は人によって異なります。感じ方も、その強さも、何に心を動かされるのかも。強い想いは、言葉通り根強くその人の中に残ります。それがポジティブなものかネガティブなものかは、これもまたその人によります」


「言っていることは理解できるが、それとあんたたちの能力が万能じゃないということと、何が関係あるんだ?」


「想いの強さですよ」


「強さ?」


「えぇ。いくら記憶を消したところで、強い想いには敵わない。想いの強さが強ければ強いほど、僅かに残った想いのカケラがまた芽吹くんですよ」


「じゃあ、記憶を消したところで無駄だと?」


 声を低くした智也に、「無駄とは言いませんが」とニアが口にする。

 早々に解決するかと思われた自分の甘さに、出鼻を挫かれた思いで智也は頭を抱えた。もちろん、そう易々と解決策が得られるとは思っていなかったけれど————いや、得られるものなら、喉から手が出るほど欲してはいるけれど。

 そこで、ふと我に返る。自分ばかり求めてばかりいて、肝心なことをすっかり忘れていた。


「なぁ」


「何です?」


「情報を教えてもらう代わりに、対価みたいなものを要求されるのか?」


 何の見返りもなく情報提供されるはずがない。彼らの情報を得るために、それに見合うほどのものを要求されて、果たして智也にそれが提供できるだろうか。智也の懸念はそこにあった。もしかすると、ここまで着いてきたことを後悔する羽目になるかもしれない。巻き戻せるのなら、時間を巻き戻して欲しいと懇願したい気持ちになった。

 けれど、智也の懸念を他所に、目の前の少年————ニアは、何のことを言っているのかわからないといった様子で首を傾げた。


「僕は、あなたのお手伝いができると言ったはずですが? 手伝う、というのは語弊があるでしょうか。協力できる————いや、協力してほしい、と言った方が正しいかもしれません」


「あんたが得することは何もないじゃないか」


「僕にも得はありますよ。利害が一致しているとも言ったと思うのですが」


「俺があいつの邪魔をすることが、あんたの利になると?」


 智也の言葉に、ニアは相変わらずの無表情で頷いた。

 もう一度、カップに手を伸ばすニアから目を逸らし、智也は俯いた。矛盾している。そう思った。目の前の彼は、仕事仲間だと言ったシキを、早く次の管轄に移動させたいと言っていた。管轄が何を示すのかはわからないけれど、彼をから移動させたいのであれば、彼の目的を手助けすることだってできるはずだ。そちらの方が手っ取り早く、簡単に物事が進みそうに思える。彼らにとっては————

 ではなぜそうしないのだろう。なぜ、あちらではなく、敢えてこちらにコンタクトを取ってきたのか。他に目的があるのだろうか。


「聞きたいことがあるならどうぞ。先程も言いましたが、今は力を解放していませんので、あなたが考えていることを完全には読み取ることができません」


「じゃあ聞くが、なぜあいつじゃなく、俺に加担することにしたんだ?」


「それは、シキにそういう意味で『魂』を回収してほしくないからです」


 智也から目線を外し、「大切なものを作らせたくないと言った方がいいでしょうか」と呟いた。その声は今まで以上に小さく、独り言のようで、智也の耳には微かにしか届かなかった。


でも少々問題が起きていましてね。そんな時に、彼に余計なことをしてほしくないんですよ。あなたは彼女の魂を奪わせたくない。僕もその点については同意見です。そして、シキには一刻も早く次のところへ移動してほしい。それは、ここからいなくなるということと同義です。あなたにとっても望ましい状況ではありませんか?」


「……その言葉、信じてもいいんだな?」


「何を信じるかはあなた次第ですよ」


 そう言って、ニアは最後の一口を飲み干すと、軽くなったカップを戻した。

 その一連の動作を眺めていた智也は、静かにため息をついた。


「で、他に何か方法はあるのか?」


「方法はあります。ありますが、それをあなたができるかどうか……」


「できるかどうか?」


「えぇ。魂を『コレクション』するには、条件があるんです」


 条件————ここでも登場した言葉に、正直智也は辟易していた。彼らにも様々なところで縛りがあるのかと。ややこしく、すんなりいかない状況に、再びため息が漏れる。


「コレクションできる魂は、『誰のものでもない』ということが前提となります。もちろん、モノという価値観で測れないものですから、何のことだ? と思われることでしょう。ですが、これに関しては、もっと簡単です。とてもわかりやすい」


 そういう割には回りくどい言い方をする、と智也は内心悪態をついていた。簡単ではあるけれど、言いづらいことなのだろうか。


「そこであなたに協力を……」


 そこまで口にしたところで、初めてニアの表情が崩れた。とはいえ、ほんの微かな変化で、「すみません、気付かれたみたいです」と、何でもないかのように今までと同じ口調で淡々と口にする。

 口調に焦りは見られないけれど、急いでいるのかバタバタと身支度を整えていく。そんなニアを、智也はぽかんとした表情で眺めていた。


「今日のところはこれで失礼します」


 今まで呑気にニアの行動を見学者よろしく見ていた智也も、この言葉を聞くとさすがに焦った様子で前のめりになる。


「は?! 話の続きは?」


「また折を見てお話ししましょう。それまでに行動できるようであれば、実行していただいて構いません。僕の方でも説得を試みますので」


「実行って……」


 話の全容も見えない、状況も読み取れない智也を尻目に、ニアは立ち上がると机の上にお札を置いた。


「いいですか。要は、彼女を手に入れることです。くれぐれもに気付かれないように」


 去り際に「あなたはもう少ししてから、ここを出てください。痕跡を消していきますので」と言い残すと、これまでのゆったりとした行動が嘘だったかのように、せかせかと店を後にした。


 一人残された智也は、空席になった前の椅子をぼんやりと眺めていた。きつねに化かされたような心持ちがしていた。唯一、智也を現実に引き戻してくれるものといえば、二つ並んだコーヒーカップと、少し離れたところに置かれているカップの中身が空になっていることだろうか。それに、彼が置いていったコーヒー代もちゃんと存在していた。


 智也は冷えてしまったコーヒーを一口、口に含むと、ため息を一つ落とした。

 得られるものは確実にあったけれど、確証が持てるものは何一つ得られなかった。一番大切な部分を聞くことができなかったからだ。あとは自分で考えろということだろうか。また、とも言っていたけれど、それを待っている時間は果たしてあるのだろうか。

『彼女を手に入れる』————それが何を意味するのか。智也は必死に解読しようとしていた。目の前のコーヒーカップに映る夕日が、揺れる姿をただ眺めながら————

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